表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/122

第35話 悪夢

 気が付けば悟は学校の教室に居て、周囲を中学生が囲っていた。

 全ての人が、悟へと非難の目を向けている。


「あいつ、佐倉さんを振ったらしいぞ」

「これで何人目だよ。澄ました顔してるし、何様のつもりだっての」


 隠しもしないあざけりの声と視線は不快だが、その程度なら何も問題ない。

 むしろ胸を満たすのは、振った人に対する申し訳なさだけだ。

 それを表に出す資格は悟になく、毅然きぜんとした態度で顔を上げていると、周囲の人だかりから決して忘れられない声が耳に届く。


「そういえばよー。こいつって、家族でもない小学生を毎日迎えに行ってるらしいぜー」


 声の方を見れば、悟を不快そうに睨んでいる男子生徒がこちらへと歩いてきた。


「しかも滅茶苦茶可愛いんだってさぁ。モテる奴は違うねぇ」


 明らかに侮蔑ぶべつの感情が乗った言葉に、周囲がざわめく。

 小学生の女子を迎えに行く男子中学生となれば、良い話題のネタだ。

 しかし周囲の喧騒けんそうよりも、悟の意識は目の前の男子生徒に向けられている。


「同年代の告白を全部断って、その子に熱中してるんだろ? いい気なもんだな。さてはお前、その子を――」

「やめろ!」


 その先の言葉を聞きたくなくて、耳を塞いで顔をうつむけた。

 なのに、嘲笑ちょうしょう混じりの声は止まらない。


「お前、気持ち悪いよ」


 彼の言葉が、鋭い刃となって悟の心を抉る。

 一刻も早くこの場を去りたくて、逃げ出したくて。押しのけるように彼に触れた。

 すると、彼の口が裂けたような笑みを形作る。


「ほら見ろ、何が良い子だ馬鹿馬鹿しい。お前は子供を信用させて、都合の良いように操る最低最悪の男なんだよ」


 悟の胸の一番奥に沈めたみにくい自分を指摘されて、視界が真っ赤に染まった。


「うるさい!」


 声を張り上げ、激情のままに彼へ拳を叩きつけようとする。

 その目前で景色が歪み、悟の自室が視界に映った。


「……最悪だ」


 どうやら、彼を殴ろうとした所で跳ね起きたらしい。

 夢の中とはいえあっさりと手を出そうとしたみっともなさに、顔を掌でおおって重い溜息を吐き出す。

 昔の嫌な出来事を凝縮ぎょうしゅくした夢を見たせいで、気持ちの悪い汗がシャツにべったりと張り付いていた。


「今何時だよ。というか、昨日はどうなったんだっけ……」


 時間を確認すれば、普段悟が起きるよりも一時間以上前だった。

 ようやく冷えて来た頭で昨日を思い返し、飲み過ぎたものの、何とか家まで帰って来たのは記憶にある。

 そして風呂を遠慮し、シャツに着替えて寝たまでは覚えているが、細部が記憶から抜け落ちていた。


「アリスに何かした気がするんだけどなぁ」


 おそらく、家に辿り着けた事で気が緩んだのだろう。

 頑張って考えたものの、亜梨栖ありすに何かした、という所までしか思い出せなかった。


「仕方ない、後で聞こう」


 嫌な事をされていたら怒るはずだし、今日の態度に出るはずだ。

 焦る必要はないと気持ちを切り替えたものの、あまりにも酷い夢を見たので二度寝する気分ではない。

 寝汗が酷いというのもあるが、昨日は風呂に入っていないせいで体がベタベタだ。

 ちょうどいいので、風呂場へと向かう。

 浴槽よくそうに湯は張っていないので、シャワーで体を洗っていく。


「はぁ……」


 もうあれは過去の事だし、忘れるのが一番だ。

 そう理解していても、悟の転機となる出来事だったがゆえに、簡単に頭から離れてくれない。

 溜息をつきつつお湯が肌を撫でる感覚に任せて、胸に渦巻く苦い感情を少しでも洗い流す。

 ようやく心の整理が終わった頃には、既に体を洗い終えていた。


「ふー。さっぱりした」


 朝風呂に入るという習慣はないが、こういうのも悪くない。

 体に着いた水滴を出来るだけ落とし、脱衣所への扉を開ける。

 すると、ちょうどリビングへの扉が開き、銀色の髪をぼさぼさにした少女が入ってきた。


「あ」

「……」


 おそらく亜梨栖は悟の朝食を作る為に、毎日この時間に起きているのだろう。

 何とか脱衣所まで来たのはいいが、目に光が無いし、最近では少し柔らかくなった表情も能面のように固まっている。

 そのまま何事もなく洗面台まで行ければ良かったのだが、悟の裸を見た事でスイッチが入ったらしい。

 日に焼けていない頬が、一瞬で真っ赤に染まった。


「なななななんで!?」

「あー、その、おはよう」


 悟とて内心では焦っているものの、人間は自分よりも焦っている人を見ると冷静になるらしい。

 もしも逆の立場だったら、悟はもっと焦っていたはずだ。

 とはいえ、どうしても隠さなければならない場所はある。

 下半身をタオルでおおい、苦笑で挨拶をした。

 亜梨栖は「み、見ちゃった……」と呟いたが、悟が反応せずにいると、咳払いで平静を取り戻そうとする。


「お、おはよう、ございます。……じゃなくて、何でここに居るんですか!?」

「いや、ちょっと早く目が覚めてな。昨日風呂に入らなかったし、ちょうどいいかなって」

「……なるほど」


 顔は未だに火傷しそうな程に赤いが、頭は冷えたようだ。

 それでも亜梨栖の瞳は悟の体へと向けられ、すぐに逸らすという事を繰り返しているが。

 何にせよ、会話が出来る程に落ち着いてもらえたのは有難い。


「ごめんな、アリス。まさか入ってくるとは思わなかった」


 悟的には下半身が見られたダメージはかなり大きい。それでも平静を取り繕えるのは、何の感想も返って来なかったからだ。

 これがマイナス方向の感想だったなら、この場で崩れ落ちていただろう。

 なので悟の事は置いておいて、慌てさせてしまった事に謝罪した。


「い、いえ、私も警戒せずに扉を開けてしまいましたから。お互い様です」

「ならお相子って事でいいか?」

「はい。……私的には、ご褒美だったけど」

「アリス?」


 下手をすると悟が怒られる可能性もあったが、そうならなかった事に胸を撫で下ろす。

 ただ、亜梨栖の呟きがあまりに小さくて、上手く聞き取れなかった。

 首を傾げれば、彼女が耳まで真っ赤にして勢いよく首を振る。


「な、何でもありません。拭き終わったら教えてください」

「お、おう。分かった」


 悟が答える前に、亜梨栖がリビングへと向かった。

 小さな背中に声を掛け、いそいそと体を拭いていく。

 きちんと部屋着に着替えてリビングに向かうと、亜梨栖はソファに体を預けていた。


「もういいぞ」

「ありがとうございます」


 声を掛ければ、亜梨栖が視線を合わせずに脱衣所へ向かう。

 そのまま送ってもいいのだが、聞くべき事があるのを思い出した。


「そうだ。昨日、俺が変な事をしなかったか?」


 先程までの会話で、昨日は亜梨栖の嫌がる事をしていないと分かった。

 しかし万が一があっては、これから一緒に暮らしていく上で溝が出来てしまう。

 悟の言葉に、亜梨栖が肩をぴくりと揺らして振り向く。

 僅かに赤らんだ頬とはにかむような笑みには、羞恥以外の感情が込められている気がした。


「変な事なんてしてませんよ。私の喜ぶ事をしてくれました」

「……内容は?」


 何かはしたようだが、その内容が分からない。

 嫌な事ではないなら教えてくれるかと思ったが、亜梨栖が瑞々《みずみず》しい唇に人差し指を当てて茶目っ気たっぷりに笑んだ。


「言いませんよ。今度は兄さんがしっかりと覚えている時にやってもらいますね」


 華やいだ声が悟の胸をくすぐる。

 亜梨栖の言葉を問いただす前に、バタリと脱衣所への扉が閉まってしまった。

 おそらく、あの様子だと彼女は口を割らないだろう。


「俺、何やったんだ……?」


 心臓の鼓動を落ち着かせる為にソファへどっかりと腰を落とし、昨日の出来事を振り返る。

 しかし何も思い出せず、悟は頭を抱えるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ついに過去の断片があきらかに! [一言] なるほど、成長期あるある的なことかな? 今後が楽しみですっ …ところでラッキー○ケベって実はアリスが悟にしてることのほうが多い気がしますね??
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ