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第33話 アルコールの力

「ぷはー!」


 佳奈かなが勢い良くビールを飲む。

 一口目ではあるが、既に中ジョッキの三分の一が無くなっていた。


「いやぁ。松原さん、前坂さん。連れて来て下さってありがとうございます!」

「一年間――柊さんは半年だけど――お疲れ様って事で、畏まらなくていいからね」

「だな。会社を出てるんだ。固い事は無しにしようぜ」

「はい!」


 悟や信之のぶゆきは、会社を出てまで先輩後輩という壁を作りたくない。

 ただ、佳奈は昔働いていた場所の影響で、こういう場でも悟達を敬ってくれる。

 あまり気にする必要はないのだが、佳奈が望むならと好きにさせていた。

 とはいえ、今はビールの味に頬を緩めているのだが。


「仕事上がりのビールは最高ですねぇ……」

「ああ。生き返るようだ……」

「家で飲むのも悪くないけど、こうして集まるのもいいよね」


 信之は仕事以外だとへらりと気の抜けた笑みを浮かべてる事が多いが、今は一段と肩の力が抜けている。

 嫁との関係が良好とはいえ、何もかもを話せる訳がない。

 信之としても、良い気分転換になっているようだ。


「確かに。こういう飲みも良いもんだ」


 家で飲む時もあるが、あれは酔う為に飲んでいるだけでなく、一人なのであまり楽しみがない。

 気の許せる相手だけだが、こうして集まった方が酒が美味しくなる。

 それに、今は亜梨栖ありすの事を忘れられるのも有難い。


(アリスと居るのが嫌って訳じゃないんだけどなぁ……)


 お試し期間の終わりは日に日に近付いてきており、もうすぐ答えを出さなければいけない。

 それだけでなく、亜梨栖にお願いされても、胸の罪悪感が消えはしないのだ。

 ただ、この場で気落ちしても何も答えは出ない。

 今は全てを忘れようと、ビールを口に含む。


「はぁ……。うま」

「今日は飲むペースが速くない?」

「……そうか? まあ、そんな時もあるだろ」


 鋭い指摘に動揺してしまったが、必死に表情を抑え込んで薄い笑みを返した。

 信之は怪訝けげんな顔をしつつも、深く踏み込まずに佳奈へと視線を向ける。


「にしても、働きすぎは駄目だよ? 出来ない事は出来ないでいいんだからね?」

「あはは……。頭では分かってるんですが、癖が抜けなくて」


 仕事が出来る人間と、都合の良いように扱われる人間は違う。

 そして、佳奈は間違いなく後者の人間だ。

 乾いた笑いを零す佳奈に、呆れた目を向ける。


「そうやって、何でもかんでも引き受けるのが駄目だって言ってるだろ?」

「き、気を付けます」

「ホント、昔の職場が凄かったんだねぇ」


 基本的に、悟と信之は今の職場でのアドバイスのみに留め、二度と佳奈が暴走しないようにしていた。

 しかし、つい口にしてしまったらしい。

 地雷を踏み抜く発言に、佳奈が目を大きく見開いた。


「そうなんですよ! 分からないから聞いたのに『そんなのは自分で考えろ』って言うんですよ!? いや、無理ですって!」

「……信之」


 以前ボロボロだった佳奈を飲みに連れて行った際と全く同じ光景が、目の前に出来てしまう。

 その原因である同期を低い声で非難すれば、思いきり眉をしかめられた。


「………………ごめん」

「そのくせ自分で考えたら『何で聞かないんだ!』って怒るんですよ!? どっちなんですか!?」


 悟達の小さな声にすら反応せず、佳奈が盛り上がる。

 幸いな事に、悟の周囲にはそんな無理難題を言う人はいない。

 とはいえ順風満帆じゅんぷうまんぱんとはいかないし、悟が苦手としている人も居る。しかし、それは仕方ない事だ。

 全ての人と分かり合うのは難しいのだから。

 だからこそ人は本音を隠し、取り繕い、世間を渡っていく。

 大人というのは、それが子供よりも上手く出来る人を示すのだと悟は思う。

 だが、出来ない人は居るし、その本質も昔から変わらない。


(ホント、学生の人間関係と何が違うんだろうな)


 理不尽な言いがかりや、自分の考え通りに動かない人を非難し、酷い時は排斥はいせきすら行う。

 大人になればそんな事は無くなると思っていたが、それは間違いだった。

 胸の奥底によどむ暗い気持ちを、ビールを飲んで誤魔化す。

 アルコールの酩酊めいてい感が今は有難い。


「『こんな事も出来ないのか!』とか『これくらい出来るだろう!』とか、もう沢山ですよぉ……」

「で、でも今はそんな事ないんだよね?」

「まぁ、そうですねぇ。これでも、お二人のお陰で考え方がかなり変わりましたし、今の職場はそんな事を言われませんから」

「なら無理に仕事を引き受けないようにしないとな」

「は、はい……」


 信之と協力し、盛り上がり過ぎた佳奈の熱を冷ます。

 学生であろうと、社会人であろうと、気の合う友人と集まって愚痴を言うのは変わらないのだった。





「にしても、ホントに今日はよく飲むね。大丈夫?」


 佳奈は飲み過ぎたのか花を摘みに行っており、今は居ない。

 そんな状況で、信之が心配そうに尋ねてきた。


「大丈夫だ。帰れない程じゃない」


 大学の時には羽目を外し過ぎて酔い潰れたが、悟は酒に弱くない。

 とはいっても、強いと自信を持って言える程でもないが。

 そして今はまだ呂律ろれつが回っているし、意識もしっかりとある。

 しかし信之に気遣わせているので、これくらいにした方がいいだろう。


「でも、流石にこれ以上は飲めないな」

「その方が良いよ。……でも、何かあったら相談には乗るからね」


 今日の飲みっぷりから、悟に悩み事があるのがバレてしまったらしい。

 素面しらふであれば、信之であっても絶対に言わなかった。

 そんな理性の縛りを、アルコールが緩ませる、


「……なあ信之。好きな人に依存して欲しいって思うのは、間違いなのか?」


 信之を除けば、たった二人しか知らない悟の本心。醜く、おぞましく、薄汚れた願い。

 決して望んではならないはずの想いは、きょとんとした表情に受け止められた。

 高校生にも間違われる若々しい顔が、すぐに大人びた笑みへと変わる。


「間違いな訳ないでしょ。まあ、どこまで依存して欲しいかは個人の判断だし、やり過ぎは良くないけど、それは好きな人に自分を見ていて欲しいって感情だからね」

「……」


 信之の普段の軽い雰囲気は鳴りを潜め、瞳は恐ろしい程に澄んでいた。

 否定されなかったという嬉しさに、目の奥が痛みだす。

 ぐっと奥歯を噛んで込み上げる感情を抑えていると、からりと爽やかな笑みが向けられた。


「悟に依存するなら、その子はきっと大丈夫だね」

「……依存って悪い事だと思うけどな」

「でも悟はその子が本当に悪い事をしたなら叱るだろうし、身の破滅を招く事はさせないでしょ?」

「そりゃあそうだ。笑ってくれるのが一番なんだからな」


 既に怪しい橋を渡っているので、手遅れなのかもしれない。それでも、悟が願うのはあの子の幸せだ。

 悟の為に自分を犠牲にする事などあってはならないし、させはしない。

 きっぱりと答えれば、信之の目が柔らかく細まる。


「なら大丈夫だよ。悟はその子を幸せに出来る。絶対に」

「……そうだと、いいな」


 何の根拠もなく、悟の事情を全く知らないにも関わらず、信之は断言した。

 本来ならば信じる事など出来ないはずの言葉だが、だからこそ悟の心に響いたのだろう。

 未だにもやは残っているものの、少しは前を向ける気がした。


「ありがとう。信之」

「こんなの気にする必要ないよ。普段のお礼さ」

「まあ、散々惚気(のろけ)を聞いてるからな」

「そういう事、これからも頼むよ」

「マジかよ。覚悟しとく」


 重苦しい雰囲気を変え、信之と笑い合う。

 決して踏み込まれたくない所には触れないという、つかず離れずの距離が心地良い。

 こういう相手だからこそ、話せる事だってあるのだから。


「す、すみません、お待たせしましたー!」


 話が一段落すると、妙に焦った顔で佳奈が返ってきた。

 もういい時間なので、残り物を片付けに入る。

 その間、悟は佳奈にちらちらと視線を送られていたのだった。 

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― 新着の感想 ―
[一言] 悟、少し前向きに同棲を検討し始めた。よきよき おや、後輩の様子が?
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