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第29話 再びの手入れ

「上がったぞ」

「それじゃあこっちに来てください」


 風呂から上がると、昨日と同じように亜梨栖ありすがリビングのカーペットに座っていた。

 ドライヤーを手に持ち、柔らかな微笑で手招きしている。


「分かったよ」


 昨日もしてもらったのだから、今更断る理由もない。

 素直に亜梨栖の前に座ると、ドライヤーから温風が流れてきた。

 細い指先が、絶妙な力加減で髪に触れる。


「……やっぱり、誰かに髪を乾かしてもらうってのはいいなぁ」


 細い指先の心地良い感覚に浸っていると、ドライヤーの音に紛れて小さな笑い声が耳に届いた。


「今日も寝ますか?」

「正直寝てしまいそうだけど、我慢するよ」

「別に我慢しなくていいんですよ?」

「いいや、我慢する。何か、情けないし」


 今更年上ぶってもどうしようもないが、それでも見栄というものはある。

 理由が理由なので、亜梨栖の顔を見て言えはしなかっただろう。

 今でも十分に情けないなと落ち込んでいれば、くしゃくしゃと亜梨栖の手がなぐさめるように髪へ触れた。


「情けなくていいじゃないですか。そんな兄さんも魅力的ですよ」

「……普通はもっと年上らしくしろ、とか言うと思うんだけどな」


 魅力的、という言葉に呻きそうになりつつも、みっともない姿を許容する亜梨栖に嘆息たんそくする。

 普通、年上の異性というものには、しっかり者のイメージがあるはずだ。

 とはいえ、悟は既に部屋を掃除しなかったり、料理しなくなっていたりと、だらしない姿を見られている。

 亜梨栖の中で悟のイメージが下落しているのかもしれないが、これ以上下げたくはなかった。

 しかし、亜梨栖の手は悟のそんな決意を崩していく。


「年上だからしっかりしなければならない、という理由はありませんよ。少なくとも、私はそう思います」

「そうなのか?」

「ええ。むしろ、兄さんは外で頑張ってるんです。今は私が居ますし、家の中でくらいゆっくりしてください」

「そのせいで亜梨栖に負担を掛けてもか?」


 今の悟は全く家事をしておらず、ほぼ全てを亜梨栖に委ねている。

 確かに仕事の疲れはあるが、頼りきっては彼女が苦しいだけだ。

 心配になって尋ねると、後ろから「はい」と迷いのない声が聞こえた。


「というか、別に負担だと思ってませんよ。むしろ嬉しいんです」

「何で嬉しいんだよ」

「兄さんを支えられるからですよ。好きな人を支えたいというのは、当たり前でしょう?」

「そ、それはアリスが優しいからだと思うんだけどな……」


 悟がその好意に応えられないと分かっても、亜梨栖は真正面から想いをぶつけてくる。

 どう反応すればいいか分からず、渋面を作って呟いた。

 彼女としても、この場で応えてくれると思っていなかったらしい。

 軽やかな笑い声が、悟の心をくすぐる。


「そう言われるのは嬉しいですが、私が優しくなれたのは兄さんのお陰ですよ」

「いや、俺は自堕落に過ごして亜梨栖に怒られたんだが?」

「その前ですよ。兄さんは、私が小学生の頃にいっぱい優しくしてくれましたから」

「そんな事ないんだけどなぁ……」


 悟はやりたいと思った事をやっていただけで、優しくしなければという使命感は抱いていなかった。

 昔を思い出して苦笑すれば、髪が乾いたのかドライヤーの音が止まる。

 後ろを向けば、亜梨栖が懐かしさにか目を柔らかく細めていた。


「そんな事はあるんですよ。私が兄さんと一緒に帰りたいって駄々を捏ねて、兄さんが来るまで教室でずっと待っていたんですから」

「そういえばそうだったな」

「ええ。毎日私の食べたい物を作ってくれたり、私が寝るまで一緒に居てくれた時もありましたね」

「……昔は一人で寝られなかったもんな」


 小学生低学年の頃の亜梨栖は一人で寝るのを嫌がり、悟が傍に居なければ寝られない程だった。

 ある意味では、亜梨栖の我儘に振り回されていたのだろう。

 とはいえ、全く嫌だとは思わなかったのだが。


「寝られなかった、というよりは兄さんに傍に居て欲しかったんですがね」

「……堂々と言われるのも困るんだが」

「ふふ、すみません。それだけ兄さんの存在が大きくて、そのお返しをしてるって事ですよ。それじゃあ、お風呂に入らせてもらいますね」


 茶化すように悪戯っぽく笑み、亜梨栖が自室へと向かう。


「ああ、ゆっくり温まってくれ。髪を乾かしてくれて、ありがとな」


 いくら昔のお礼であっても、感謝の言葉を忘れてはならない。

 悟の言葉に、嬉しそうに銀髪が揺れるのだった。





 三回目ともなれば、亜梨栖が風呂に入っている音にもある程度慣れる。

 実際は髪を乾かしてくれた際の心地良さが残っており、うとうとしていただけなのだが。

 リビングへの扉が開いた音で意識が浮上し、ドライヤーを持ってクッションの前に座る。


「ほら、アリス」

「それじゃあ、お願いしますね」


 昨日と違い、亜梨栖が素直に悟の前に座った。

 背中の中程まである銀髪に温風を当て、ゆっくりと乾かしていく。


「今更ですが、仕事帰りで疲れてるんじゃないんですか?」

「それとこれとは話が別だ。昨日も言ったように、受け取るだけは嫌だからな」

「……そういう所が優しいんですよ」


 昨日と同じ問答はしない、と告げれば、亜梨栖か呆れた風な呟きを落とした。

 隠し事をしている時点で優しいも何もないと思うのだが、彼女はそう思っていないらしい。

 とはいえ反応は出来ず、微笑だけを返して銀糸から余計な水分を取っていく。


「この後の予定はありますか?」

「いや、特にないかな。酒も今日は飲まないし、後は寝るだけだ」


 酒は飲んでいるものの、毎日という程ではない。

 それに、亜梨栖とこうして一緒に居るだけで癒されるのだ。わざわざアルコールで気分を紛らわせる必要もないだろう。

 とはいえ彼女の存在に助かっている事を口には出せないし、酒も偶には飲みたくなるのだが。


「お酒を禁止している訳ではないですので、程々にしてくれれば文句は言いませんよ」

「助かるよ。気が向いたら飲もうかな。そういうアリスはこれからどうするんだ?」


 昨日は髪を乾かした事で誘惑が最後になったが、今日は違うはずだ。

 少しだけ身構えつつ尋ねれば、亜梨栖が肌のケアをしつつ考えだす。


「今の所は特に思いついてないですね。何かしたいな、とは思いますけど」

「考えてはいるんだな」

「そりゃあそうですよ。兄さんの世間体を壊す自信はありますが、一週間後に実家に帰らされる可能性だってあるんですから」

「……まあ、そうだな」


 昨日からの一週間は、元々は悟が条件で出したお試し期間だ。

 お互いに成長し、五年の間で変わった事もあるだろう。そのズレによって、生活が上手くいかない可能性がある、というのが悟の言い分だ。

 今のところ生活そのものに問題はないものの、ずっとこの関係を続けるのはあまりにも卑怯すぎる。

 なので、悟の考えが変わらなかったら亜梨栖を引っ越しさせるつもりだ。


「と言う訳で、私にはあまり時間がないんです。兄さんに無理はさせませんが、何もしない訳にはいきません」

「……お手柔らかに頼むよ」


 ありがとう、とは言えないし、ごめん、とも言えはしない。

 玉虫色の返答に内心で呆れつつ、髪の手入れを続けるのだった。 

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― 新着の感想 ―
[良い点] すでに二人でいるのが当たり前になってるから離れるのは無理でしょう! [一言] はてさて、今度の誘惑はどうなることやら… しかし嫌ってはいないのに離れた理由はいつ頃懺悔されるのか…本ストーリ…
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