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第26話 お返し

 ベランダに居続けると湯冷めしてしまうので、程々にしてリビングに戻ってきた。

 偶に聞こえるシャワーの音に心臓の鼓動を乱されつつも、スマホを眺めて気を紛らわせる。

 風呂場から聞こえる音を耳に入れないように意識していると、脱衣所への扉が開いた。

 肩にタオルを掛けながら、亜梨栖がゆっくりと歩いてくる。


「上がりました」


 昔の亜梨栖は可愛いパジャマを着ていたはずだが、今の彼女は動きやすさを重視しているようだ。

 簡素なシャツとショートパンツを着ており、全く日に焼けていない白い太股が眩しい。

 思わず目を逸らせば、小さな笑い声が耳に届いた。


「ただのパジャマじゃないですか。照れてどうするんです?」

「そりゃあ照れるだろ。無防備過ぎだ」

「家は無防備になるものでしょう? それに、私はこういう風に肌を出せる時が多くないんです。知ってますよね?」

「まあ、そうだけど」


 基本的に、亜梨栖が外出する際は紫外線対策の為に長袖を着ている。

 なので、家の中くらい肌を出したいのだろう。

 気持ちは分かるものの、先日と同じく肌の露出が多すぎて、心臓の鼓動が早まってしまう。

 せめてもの救いはしっかりとショートパンツを履いている事と、おそらくだが下着を着けている事だ。

 これ以上文句を言えずに口ごもっていると、亜梨栖が悪戯っぽく目を細める。


「ならいいですよね? それとも、興奮するから駄目ですか?」

「……誰が興奮するかっての」


 先日泊まった時は例外として、亜梨栖は外出する際に綺麗系のワンピースを着ていた。

 そのせいで、ラフで気を抜いた姿はギャップが凄い。

 しかしだらしがないとは思わず、むしろ無防備な姿も似合っている。

 そして、こんな姿を見る事が出来るのは、おそらく悟だけだ。

 沸き上がる醜い独占欲を抑え込み、渋面を作って言葉を返した。 

 すると、亜梨栖が目をぱちぱちと瞬かせる。


「あら残念。でしたら、今度から兄さんのシャツを借りましょうかね」

「もう貸さないからな」


 全く残念と思っていないような、弾んだ声に頬が引きった。

 今ですら悟の心を乱されているのだ。あんな恰好を毎日されては心臓がもたない。

 素っ気なく告げれば、形の良い眉が僅かに下がる。


「着心地良かったので、割と真面目に貸して欲しかったりするんですが」

「駄目だって言ってるだろ」

「けち」

「拗ねても無駄だからな」


 子供っぽい口調と唇を尖らせた露骨な「拗ねてますよ」というアピールは、悟の意思をぐらつかせる程に可愛らしい。

 とはいえ、ここで負けてしまえば後に待つのは悟の理性を削る姿だ。

 呻きそうになりつつもばっさりと切り捨て、クッションの前に座る。


「ほら、今度は俺が乾かす番だ。座ってくれ」

「……分かりましたよぅ」


 渋々、といった態度で亜梨栖が悟の前に座った。

 風呂上がりのボディソープと亜梨栖の匂いが合わさった、男心をくすぐる匂いがふわりと香る。

 これくらいで動揺しては駄目だと自分に言い聞かせ、温風を銀色の髪に当てていく。


「んー! やっぱり兄さんの手は気持ち良いですねぇ」

「それは嬉しいけど、相変わらず言い方が悪いんだよなぁ……」


 ご満悦なのは嬉しいが、亜梨栖の発言は非常に心臓に悪い。

 溜息と共に呟き、掃くように髪を乾かす。

 五年ぶりであっても、髪の乾かし方は体が覚えていた。

 ある程度温風を当てた所で、髪の渇き具合を指で確かめる。


「む……。まだ足りないな」


 動きを体が覚えていても、昔のように手際良くはいかない。

 それに亜梨栖の髪が昔よりも伸びているので、まだまだ湿っている。

 再びドライヤーのスイッチを入れ、今度はしっかりと時間を掛けて乾かした。

 もう一度乾き具合を確かめる為に、彼女の頭から下へと髪に触れていく。


「ん……」

 

 湯上りで僅かに色付いた首に指がかすめると、むずかるように彼女が身じろぎした。

 相変わらず首が弱いようで、懐かしさにくすりと笑みを落とす。


「悪い。くすぐったいよな」

「まあ、少し。でも平気ですよ」

「成長したなぁ。昔はくすぐったがって髪を乾かせなかったよな」


 昔の亜梨栖は首に少し触れただけでじたばたと暴れてしまい、ドライヤーどころではなくなっていた。

 触れてしまうのは悟が悪いとはいえ、思わず揶揄からかえば羞恥に染まった声が耳に届く。


「……それは忘れてください」


 髪の隙間から見える小さな耳は、風呂上がりだからと言えない程に赤くなっていた。

 そこまで恥ずかしがる必要などないと思うのだが、亜梨栖を怒らせたくはないので、話を切り替える。


「分かったよ。にしても、髪が伸びたな」


 最後に見た時は、肩に掛かるくらいの長さだったはずだ。

 しかし、今は背中の中ほどまで伸びている。

 感嘆を込めた呟きに、亜梨栖がおずおずと振り返った。


「……手間ですよね。嫌じゃないですか?」

「まさか。むしろ楽しいんだが」


 昔と違って乾かすのに時間は掛かるが、全く苦ではない。

 初めて会った時から、亜梨栖の銀髪には見惚れているのだ。

 むしろ乾かせるのはご褒美ですらある。

 即座に否定すれば、女性らしい丸みのある肩がぴくりと跳ねた。


「…………ならいいです」


 ドライヤーの音に消されそうな程の小さな呟きだったが、悟の耳には確かに届いていた。

 どこかむず痒い空気の中で手を動かし続け、髪をしっかり乾かし終える。


「よし、こんなもんかな。アリス、手入れはどうする?」


 小学生の頃は気にしなかったが、もう高校生なのだ。

 艶のある綺麗な銀糸には、相当気を遣っているだろう。

 恋人が居ない悟だが、その程度の事は知っている。

 気になって尋ねれば、不満の色を浮かべた瞳が悟を見つめた。


「出来ればお願いしたいですが、どうしてそんな事を知ってるんですか?」

「社会人を舐めないでくれよ? 独身の男でもそれくらい知ってるっての」


 下手な事を言うと亜梨栖の機嫌が斜めを向きそうだったので、自虐気味に答えた。

 暗に「恋人が居ないのは本当だ」と伝えると、亜梨栖はしっかりと汲み取ってくれたらしい。

 くすりと笑みを零し、立ち上がった。


「ではそんな寂しい兄さんに、女子高生の髪を手入れするという大役を与えましょう」

「全力で挑ませてもらうよ」


 悟の言葉に満足そうに頷き、亜梨栖が自室へ向かう。

 すぐに帰ってきた彼女の手には、いくつかのボトルがあった。


「流石に使う順番とかは分からないから、教えてくれると助かる」

「はい。でも、肌のケアをしながらでいいですか?」

「もちろんだ」


 元々紫外線に弱いという事もあり、亜梨栖は昔から肌のケアをしている。

 おそらく、今では女性としてのケアも混ざっているのだろう。

 亜梨栖の説明を聞きつつ、お互いに手を動かす。


「ホント、女性ってのは大変だな」


 昔とは違った手間に苦笑気味に零せば、亜梨栖も同じ気持ちのようで、はあと大きな溜息が聞こえた。


「ですね。私はすぐ髪が駄目になるので尚更です」

「綺麗な銀色だけど、色素が抜けてるだけだもんな」


 亜梨栖の傍に居る以上、ある程度そういう人の知識は身に着く。

 数本だけだと透けるほどに透明な髪には、しっかりと艶がある。

 手入れをしつつ感触を確かめていると、亜梨栖が僅かに振り向いた。

 片方だけのルビーの瞳の奥には、僅かに期待が揺らめいている気がする。


「私の髪、綺麗ですか?」

「ああ。本当に綺麗で、最高の髪だ」

「…………やったぁ」


 羞恥と歓喜を混ぜて震わせたような、か細い声が悟の耳をくすぐる。

 その言葉から察すると、悟の為に頑張ってくれたのかもしれない。自惚れでなければ、だが。

 あえて小さな呟きには反応せず、髪の手入れに集中する。

 亜梨栖はというと、肌のケアを終えたのかジッとしたままだ。


「よし、こんなもんじゃないかな。どうだ、アリス?」

「……」

「アリス?」


 亜梨栖に言われた通り手入れを終えたので、出来を尋ねたのだが反応がない。

 不思議に思って顔を覗き込めば、澄んだ深紅の瞳が今はまぶたに覆われていた。


「……それだけ気持ち良かったんだな」


 悟とて寝てしまったのだ。亜梨栖を責める事は出来ない。

 起こすべきか迷ったものの、少し考えて亜梨栖の自室への扉を開いた。

 引っ越してたった数時間しか経っていないにも関わらず、ほんのりとシトラスの匂いが香る。


「ごめん、アリス」


 本当なら、いくら幼馴染とはいえ無断で自室に入っては駄目だ。

 それを理解してはいるが、亜梨栖を起こさないとなると、こうするしかない。

 後で怒られる覚悟を決めつつ、ふらふらと体を揺らしている亜梨栖の元へ戻った。


「よいしょ、っと」


 一度寝ると中々起きないタイプなので、多少体を動かした程度では目を開けない。

 膝裏と背中に腕をまわし、所謂いわゆるお姫様抱っこの形を取った。

 いくら女性とはいえ、高校生の体はそれなりに重い。

 こういう所でも成長を感じるが、もっと別の事が悟の頭を悩ませる。


(滅茶苦茶良い匂いだし、体柔らかいし、成長し過ぎだっての)


 このまま抱いていると悟の理性が持ちそうにないので、慎重に、かつ急いで亜梨栖のベッドへと向かう。

 ゆっくりと彼女を下ろし、布団を掛けた。

 多少動いたにも関わらず、眠り姫が目覚める気配はない。

 

「ぉ……ちゃ……」


 夢に悟が出てきているのか、昔の呼び方が小さな唇から漏れた。

 こういう時ですら悟を思う亜梨栖に笑みを零し、銀糸を一撫でする。


「おやすみ、アリス」


 髪を乾かされて、乾かして。たったそれだけの事なのに、悟の胸は温かなもので満たされた。

 亜梨栖の部屋を後にし、寝る準備を終えて自室へと戻る。

 慌ただしい一日だったからか、あっさりと意識が落ちるのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やりとりがすでに夫婦な件について [一言] 誘惑されてるという意識がなくなると悟くん無意識誘惑が逆に発動しててアリスにクリティカルしてる感じがいいですねぇ
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