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第22話 二人きりの公園で

 晩飯を終える頃には、亜梨栖ありすの感情も落ち着いたらしい。

 先程、「片付けは私がします」と有無を言わせない真剣な表情で言われたので、後片付けは任せた。

 そしてキッチンから帰ってきた彼女が、ほんのりと唇を尖らせながら呟く。


「さっきのは忘れてください。代わりに、お酒を飲み過ぎたお仕置きは無しにしますので」


 寝ぼけた際に行った事、晩飯で泣いた事、どちらも蒸し返されたくはないはずだ。

 悟としてもお仕置きが無くなるのは有り難いので、提案に乗っておく。


「分かったよ」

「ありがとうございます。はぁ……」


 自己嫌悪にさいなまれているのか、亜梨栖が安堵と後悔の混じった溜息を零した。

 こういう場合は気分転換が一番なのだが、悟の場合は風呂に入るか酒を飲むかだ。

 酒は論外だし、まだ風呂は沸かしていないので入れない。

 何かないかと首を捻っていると、良い案を思いついた。


「折角だし、散歩にでも行くか?」

「え?」


 悟から提案されるとは思っていなかったらしく、ルビーのような瞳が大きく見開かれる。


「散歩だよ、散歩。気が向いた時にでも行きたいって言ってただろ?」

「で、でも、明日は仕事でしょう? 荷解きもしてもらいましたし、疲れてるんじゃないですか?」

「荷解きで疲れたから散歩も行かないって、どれだけ貧弱なんだよ……」


 悟を心配してくれているのだろうが、荷解きでダウンするほど体は弱くない。

 それに、前回も日曜日に散歩へ出掛けたのだ。

 多少の疲れはあるが、むしろその方がぐっすり寝られるだろう。

 呆れつつも立ち上がり、微笑を向ける。


「それで、どうする?」

「……行きます」

「よしきた」


 あれこれ言いつつも、気分転換はしたかったらしい。嬉しさや申し訳なさを混ぜ込んだ苦笑を亜梨栖が浮かべた。

 前回と同じように家を出て、当てもなくのんびりと歩く。

 一週間前よりも春に近付いたからか、夜であってもほんのりと温かい風が頬を撫でた。


「ありがとうございます、兄さん」

「いきなり何だよ」

「私を気遣って散歩に連れていってくれたんですよね?」

「……さあ? 単に腹ごなしをしたかっただけだよ」


 バレているとは思っていたが、言葉にされる程恥ずかしいものはない。

 思わずとぼければ、隣からくすりと小さな笑い声が耳に届いた。


「そこは素直に受け取ってくださいよ」

「こういう時は何も言わないのが受け取る側の善意だぞ」

「それは無理ですねぇ。だって、兄さんが気遣ってくれたんですから」

「訳が分からん」


 からかいたいのか、それともちゃんとお礼を言いたいのかは分からない。

 何にせよ、亜梨栖が上機嫌なのは穏やかな声色から伝わってくる。

 肩をすくめつつ歩いていると、先日入った公園に辿り着いた。


「すみません、今日も入っていいですか?」

「もちろん」


 白のワンピースをひるがし、亜梨栖が先に公園の中へ入る。

 周囲がそれなりに明るくとも、清楚さと可愛さを混ぜん込んだ亜梨栖の姿は輝いて見えた。

 焦る必要はないとゆっくり歩いていたせいで、亜梨栖には追い付けていない。

 そしてちょうど公園の中心くらいで、彼女がくるりと振り返った。


「この一週間。ずっと考えていたんです」

「……何を?」


 少し離れてはいるが、亜梨栖の表情が分からない距離ではない。

 それでも、美しい微笑からは内心が読み取れなかった。


「どうして兄さんは私に黙って居なくなったのか、どうしてその理由を言ってくれなかったのかを、です」

「それは……」


 再会の際はどうなる事かと思ったが、今は正直なところ亜梨栖との同居は上手く行くだろうと思っている。

 それでも、彼女の問いには答えられない。

 言葉をにごす悟に、くすりと亜梨栖が笑みを落とす。


「別に、今すぐ言って欲しい訳じゃありませんよ。ただ私なりに予想した、というだけです」


 透明な笑顔に、何故だか背筋が寒くなった。

 亜梨栖をこのまま喋らせてはいけない。

 そう思っても、なぜか悟の口は動いてくれなかった。


「その予想を確かめる為に、おそらく兄さんが一番言われて困る事を言いますね」


 亜梨栖が体の後ろに手を回し、しとやかさとあどけなさを含んだ甘い笑みを見せる。

 幼い亜梨栖と成長した亜梨栖が混ざったような笑みに、悟の心臓が早鐘を打ち始めた。


「ま、待っ――」

「好きです、松原悟さん。幼馴染としてではなく異性として、大好きですよ」


 言わないで欲しかったという感情と、言われて嬉しいという感情が、悟の胸で渦を巻く。

 それでも、驚きという感情は沸き上がらなかった。なにせ、その言葉は悟が仕事中に予想したものだったのだから。

 そもそも好意を抱いてなければ、再会してからの態度が腑に落ちない。

 散々目を逸らし続けていた想いをぶつけられ、胸に沸き上がる感情をどう整理すればいいか分からなくて、思考が真っ白になる。


「ですから、付き合って欲しいんです。恋人として、悟さん(・・・)の傍に居たいんですよ」

 

 こんなにも真っ直ぐに想いを口にされれば、適当な誤魔化しは出来ない。

 そして、感情を整理し終えた悟の胸に残ったのは、紛れもない歓喜だった。

 だからこそ深く、深く頭を下げる。


「ごめん。それは、受け入れられない」


 呆れられるのか、泣かれるのか。それとも怒られるかもしれない。

 下手をすると、お試し期間の一日目で同居がなくなってしまう。

 それでも、亜梨栖の好意を受け取る事は出来なかった。

 どんな罵倒ばとうも受ける覚悟をしつつ、ゆっくりと顔を上げる。

 悟に好意を伝えてくれた少女は、悲しげに微笑んでいるだけだった。


「でしょうね。まあ、そうなるだろうとは思ってました」

「じゃあ、何で?」

「私の覚悟を伝える為にです。生憎と、一度振られた程度で折れる程、軽い恋ではないので」

「…………どうして俺なんだ? アリスを五年も放っておいたんだぞ?」


 そんな相手など普通は嫌うだろう。しかし亜梨栖は悟を嫌わないどころか、振られたにも関わらず諦めていない。

 疑問をぶつければ、亜梨栖が余裕すら見える態度で笑みを濃くする。


「前にも言いましたが、兄さんは昔と同じでした。優しくて、私を気遣ってくれる、大好きな兄さんのままだったんですよ」

「そんなの――」

「当たり前だ、と言うんでしょう? なら、そんな私を大切にしてくれる兄さんが私の前から居なくなったのには余程大切な、そうしなければならない理由があったはずです」

「……」


 ここまで来ても話そうとせず黙り込む悟に、亜梨栖が悲しみを混ぜた苦笑を浮かべた。

 それも一瞬で、すぐに瞳を可愛らしく細める。


「その理由があったからこそ、私の告白を断った。違いますか?」

「……それも、ある」

「でしたら、取り敢えずそちらは置いておきましょう。それで、どうして兄さんが好きなのか、でしたっけ? ――そんなの、当たり前じゃないですか」


 亜梨栖にとって、悟の疑問は考えるまでもない事だったらしい。

 くすくすと軽やかな笑い声が、二人きりの公園に響き渡る。


「お母さん以外の人は、全員私の髪と目を怖がった。同じ年の人達だけでなく、幼稚園の先生ですら」


 それは、悟もよく知っている事だ。

 日本人の顔立ちでありながら銀の髪と紅の目を持つ亜梨栖は、同年代には恐怖の対象だった。

 それだけでも幼い少女には辛いのに、幼稚園の先生ですら様々な事に制約が掛かる亜梨栖をうとんだ。

 結果として亜梨栖は独りぼっちとなり、それを心配した奏が悟と引き合わせたのだ。


「でも、兄さんは違いました。家族を除いて、初めて私を怖がらずに居てくれたんです」


 先日、夢として振り返ったせいでもあるのだが、初めて会った時の事ははっきりと思い出せる。

 とはいえ、今となってはあまり思い出したくはない。

 まさしく人形のように可愛らしい亜梨栖と会えた事に、自分がどんな存在なのかも忘れてはしゃいだのだから。

 悟を好きになった理由を述べるからか「彩さんもですが、今回は省きますね」と茶目っ気たっぷりに亜梨栖が笑む。


「それだけじゃありません。毎日幼稚園に迎えに来てくれて、小学生になってもしばらくは一緒に帰ってくれて、いつも我儘を聞いてくれる頼りがいのある年上のお兄さん」


 一度言葉を切り、大きく息を吸い込む亜梨栖。

 そして、花が咲くような鮮やかな笑みが向けられた。


「そんな人、好きになるに決まってます。五年離れてたのなんて、障害にすらなりません。むしろ離れたからこそ、兄さんをもっと好きになりました」


 離れた事で嫌われたと思ったが、むしろ亜梨栖は悟への恋心を大きくしていたらしい。

 心に秘めていた想いが、確かな熱を持って悟の胸を打った。

 あまりも強い衝撃に固まっているうちに、彼女が大きく息を吸う。


「改めて言いますね。……大好きです、悟さん。私を恋人にしてください」


 何度断られようと絶対に折れないという意思が、闇夜に輝く深紅の瞳から伝わってきたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] アリスここで攻勢にでたぁぁぁ!! [一言] さぁここまで本気の想いを聞いて、どうでる悟! 多少は情報開示しそうな予感でワクテカですなっ
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