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第2話 唐突な提案

 数時間前までは汚部屋だったリビングに、女性が三人居る。

 そのうちの二人は問題ないが、残る一人である幼馴染が悟の頭を悩ませていた。


「……」


 テーブルを挟んで座っている亜梨栖ありすは、先程会った時から表情を全く変えていない。

 先程水を用意した際に「ありがとうございます」と言ったきり黙ったままだ。

 身動き一つせず椅子に座っているせいで、ともすれば本物の人形にすら思えてしまう。

 ジッと悟を見つめる深紅の瞳には、何の感情も浮かんでいないように見えた。


「それで、電話で言えない用って何さ?」


 あえて亜梨栖の様子には触れず、悟の隣に座る彩へと問い掛けた。

 昔話に花を咲かせたり近況報告であれば、電話で十分なのだ。

 そうしないのは、「直接会って話した方が良い」と言う程に、大切な用事があるからだろう。

 しかも、ここには亜梨栖と奏も居る。

 この二人に関係する事だと当たりを付けてはいるが、内容が気になり過ぎた。

 急かすような悟の言葉に、彩が申し訳なさそうに苦笑する。


「ごめんね、悟。実は――」

「私が内容を言わないようにお願いしたんです。彩さんを責めないでください」

「アリスが?」


 どうやら彩は事情を言わなかったのではなく、言えなかったらしい。

 視線を向けても美しい無表情は少しも動いておらず、感情が読み取れない。

 突然居なくなった悟への意趣いしゅ返しなのかもしれないが、こんな形で仕返しする必要はないはずだ。

 気にはなったものの、責められる立場ではないので口をつぐむ。


「……分かった」

「ありがとう、悟。それで、こっちでの暮らしはどう?」

「五年も住んでるんだ。今更困る事なんてないし、不満もないよ」

「部屋は全部使ってる?」

「いや、一個空いてる。というか、そんな事知ってるだろ?」


 大学に入る際にこのマンションを選んだが、特に不都合はない。

 セキュリティもしっかりしており、部屋も十分にある。

 汚部屋であったリビングは別として、あまり物を買わない悟一人では余る程だ。

 彩は以前来た際に部屋の使用状況を見たはずなのに、わざわざ尋ねた意図が分からない。

 顔をしかめつつ首を傾げれば、彩が笑みを深めた。


「よしよし。なら、ここからはお任せしようかしら」

「ええ。じゃあ早速本題に入らせてもらうわね」


 どうやら、今回の件は奏が発端ほったんのようだ。

 姿勢をただし、神経を集中させる。

 亜梨栖に似た艶やかな唇が、ゆっくりと開く。


「アリスを悟くんの家に住まわせて欲しいの」

「…………は?」


 全く想像していなかった言葉に、呆けたような声が出てしまった。

 思考を停止させていると、悟が聞き逃したと思ったのか、再び奏が告げる。


「これからアリスを悟くんの家に住まわせて欲しい、というお願いをしにきたのよ」

「……いやいや。いやいやいや」


 悟の耳が壊れて聞き間違えたかと思ったのだが、どうやら正常のようだ。

 あまりにも有り得ない選択肢に、勢い良く首を振る。


「いきなりどうしたんですか? 奏さんが忙しいのは知ってますが、アリスは一人で留守番出来ないような歳でもないでしょう」


 幼稚園児や小学生低学年なら話は別だが、今の亜梨栖は高校生のはずだ。

 これほど成長したのだから、一人で留守番が出来ないのは有り得ない。

 というより、出来なければこの五年の間はどうしていたのか、という疑問が浮かんでしまう。

 そんな突っ込みは不要のようで、奏が小さく首肯しゅこうする。


「まあ、その通りではあるんだけどね」

「でしたら――」

「ねえ悟くん。星爛せいらん高校って知ってる?」

「……まあ、名前だけは。この周辺では一番学力が高い高校ですからね」


 悟の就職先には星爛せいらん出身の人も居るので、情報も多少なら入って来る。

 卒業すれば、一種のステータスとすら言える程に学力の高い高校だ。

 唐突な話題転換に眉をひそめつつ答えれば、奏が楽しそうな笑みを浮かべる。


「アリスは去年からそこに通ってるの」

「え!? 俺達の家から電車で一時間半掛かるじゃないですか!」


 実家を出る際に近くては意味がないと、悟は遠く離れた大学を受けた。

 そして、星爛高校も同じくらい実家から離れている。

 毎日長時間電車に揺られるのは、かなりの負担のはずだ。

 悟の言葉に、奏が大きく頷いた。


「そうなの。一年間家から通学させたけど、流石に辛そうでね。そこで、悟くんの出番ってわけ」

「理屈は分かりますが……」


 悟の家から通学するのであれば、時間は大幅に短くなる。

 それだけでなく、亜梨栖の幼馴染として信用されているのだろう。

 しかし、奏は悟が捨てようとした感情も知っているはずだ。


「本当に、良いんですか?」

「ええ。小学生と高校生が二人で住む訳でもないし、悟くんは成人してるから、立場上は保護者代わりね。それに親である私が許可したのだから、問題にはならないはずよ」


 とても高校生の娘を持っているとは思えない若々しい表情は、静かな微笑を作っている。

 親としての立場があるにも関わらず、許可を出した真意が読み取れない。


「それに、悟くんならアリスの体質を良く知ってるから安心だわ」

「まあ、普通の人よりかは知ってますが……」


 亜梨栖は生粋きっすいの日本人だが、髪は輝くような銀色で瞳はルビーのように真っ赤だ。

 その原因も、どうやって接すればいいかも、何が危険なのかも、悟はよく理解している。


「……母さん」

「私も賛成よ。というか、そうじゃなきゃここに来てないわ」


 彩と奏。五年前、悟が亜梨栖から離れる事を賛成した二人に、こうして逆の事をお願いされるとは思わなかった。

 問い詰めたいのだが、亜梨栖が居る前で当時の話を持ち出す事は出来ない。他ならぬ悟が彼女に話さないでくれとお願いしたのだから。


「それで、どうかしら?」

「……ちょっと、考えさせてください」


 部屋に空きはあるので、住まわせる事は出来る。

 金銭面については後でしっかり話し合えば良い。少なくとも、悟に丸投げはしないはずだ。

 世間体、という点に関しても既に根回しが済んでいるので、それを理由には断れない。


(でもなぁ……)


 状況だけで見れば、困った事にはならないだろう。

 そう判断しても乗り気になれないのは、亜梨栖の前から唐突に居なくなった後ろめたさからだ。

 それだけでなく、ここであっさりと頷けば、この五年間彼女と会わなかった意味が無くなる。


「すみません、やっぱり――」

「駄目、ですか?」


 断りを入れる言葉を、不安の混じった声がさえぎった。

 それは内容こそ違えど、本来であれば五年前に向けられるべき感情だったのだろう。

 だからこそ決心が揺らがないように、引き留められないように、悟は黙って亜梨栖の前から居なくなったのだから。


「……」


 声の主に視線を向けると、先程まで無表情だった顔が僅かに曇っている。

 ほんの少しの変化なのに、亜梨栖の姿と声に迷子の子供を幻視した。

 そんな彼女を再び突き放す覚悟など、悟にはない。決めたはずの意思があっさりと揺らいでしまう。


「……アリスは、それでいいのか?」


 悟の声に、紅玉のような瞳が明確に揺れた。

 その瞳に宿った感情は、あまりに複雑すぎて悟には理解出来ない。

 小さな唇が開き、けれど何も言葉をつむがずに空気を吐き出す。

 その何度目かを終えると「はい」という感情のこもっていない声が亜梨栖の口から発せられた。


「その為に、お母さんにお願いしましたから」

「そう、か……」


 どうやらこの件を持ち出したのは奏ではなく、亜梨栖だったらしい。

 嬉しさや気まずさで心が乱され、言葉が紡げなくなる。

 亜梨栖も再び口を閉ざしてしまった。


「さて悟くん。改めてアリスをここに住まわせて欲しいの。駄目かしら?」


 悟と亜梨栖の様子を見ていられなくなったのか、奏が少々強引に本題へと戻した。

 もう断るという意思も半ば折れているが、最後の抵抗を試みる。


「条件があります」

「何かしら?」

「一週間(ため)させてください。それだけ過ごせば、これから一緒に住めるか分かると思うので」


 五年も離れていた幼馴染達が急に一緒に暮らしても、上手く行くはずがない。

 ならば本当に一緒に暮らせるか、試す期間があるべきだ。

 明らかな妥協案であったが、亜梨栖の肩が僅かに跳ね、奏が嬉しそうに破顔する。


「……っ」

「なるほど。いいわよ。アリスもそれでいいわね?」

「………………はい」

「それじゃあ、詳しい話をしていこうかしら!」


 それから金銭に関する問題や、もし悟の手に負えない事が起きた場合はどうするか等の擦り合わせを行い、話が一段落する。

 お試し期間は一週間後から始まり、亜梨栖はちょうど春休みらしい。

 荷物に関してはその後の学校生活も考えて、取り敢えず引っ越し業者にお願いし、悟の家に持って来るとの事だ。


「こんなものかしらね。何か気になる事はある?」

「今の所は特に。何かあったら、その都度つど連絡しますね」

「ええ、アリスをお願いね」

「はい」

「さてと。悟の様子も見れたし、帰るわね」


 他に話す事もないのか、彩と奏が立ち上がる。

 ただ、銀色の少女は椅子に座ったままだ。


「住むのは一週間後からじゃなかったっけ?」

「積もる話もあるでしょうし、ゆっくり話しなさい。悟さえ良ければ、泊まらせてあげて?」


 彩がご機嫌な笑みで告げた言葉に、頬が引きる。

 奏を見れば、是非そうして欲しいとばかりに頷かれた。


「……マジ?」

「マジよマジ。さてと、お邪魔虫は退散するわ。折角だし、ショッピングにでも行ってから帰ろうかしら」

「いいわねぇ。折角の休日だし、羽目を外すとしましょうか! アリス、泊まるなら連絡をちょうだいね」

「うん。ありがとう、お母さん」

「え、あ、ちょっと!」


 あれよあれよという間に彩と奏が去っていった。

 残されたのは、立ち竦む悟と微動だにしない亜梨栖のみだ。


「「……」」


 亜梨栖が再び来るまでに話をする覚悟を決めようと思ったのだが、唐突な二人きりに思考がフリーズする。

 怒涛どとうのように押し寄せる展開に、頭痛を覚える悟だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] さてさて、いい感じの伏線で気になりますな [一言] 今回は好感度MAX状態っぽいけどなにやら深い事情がありそうでワクテカですな!
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