表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/122

第14話 七歳上の社会人

「起きて下さい、兄さん」


 聞き心地の良い、涼やかな声が耳に届いた。

 それだけでなく、ゆっくりと体を揺さぶられる。

 重たいまぶたを開ければ、ゾッとする程に美しい微笑みが悟を見下ろしていた。


「おはようございます」

「……おはよう、アリス」


 もう太陽が昇っている時間だがリビングは薄暗く、カーテンが外の光をさえぎっている。

 そんな室内でも、悟を起こす為に近付いていたせいで、亜梨栖ありすの顔がハッキリと見えた。

 寝起きに美人の顔が見られるのは、ほとんどの人からすればご褒美なのだろう。

 しかし、美し過ぎる顔は時に毒となる。

 起きたばかりでも元気に活動する心臓の鼓動を静めつつ、挨拶を返した。


「昨日もそうでしたが、相変わらずすぐに起きますね」


 呆れや感心、そして僅かに安堵あんどを込めた微笑をしつつ、亜梨栖が明かりをつける。

 おそらくだが、深夜に悟の寝顔を見た事がバレていないかを気にしているのだろう。

 眩しさに一瞬だけ目を細め、亜梨栖の顔色をしっかりとうかがった。

 いつまで見ていたのか分からないが、かなり夜更かししたらしい。まぶたが重そうだ。

 しかし何も言う事は出来ず、気付かないフリをして肩をすくめた。


「こういうのはそうそう変わらないだろ。健康に良いかどうかは謎だけどな」

「すぐに起きられるのは、しっかり寝れていない証拠という話もありますからね」

「そんな事はないんだけどなぁ」


 悟は眠りが浅く、寝ぼける事なく起きられる。

 とはいえ体に疲れが残る訳でもないので、不便に思った事はないのだが。

 亜梨栖とてそれを分かっており、呆れを滲ませた苦笑を浮かべていた。


「まあ、昨日はソファで寝たので、一段と眠りが浅かったみたいですけど」

「今日はちゃんとベッドで寝るから、勘弁してくれ」

「そうしてください」


 少しだけ責めるような口調だったのは、昨日悟が強引に頼み込んだからだろう。

 もうソファで寝る理由はないので、今日からはしっかりと疲れが取れるはずだ。

 立ち上がって背伸びをすれば、小気味いい音が鳴った。

 心地良さに、喉から勝手に野太い声が出る。


「あ゛ぁ~」

「何だかおじいちゃんみたいですね」

「俺なんて、高校生から見ればおじいちゃん――とまではいかないけど、おっさんだっての」


 今年で二十四歳となる男性など、女子高生からすれば十分におっさんだ。

 世間からすればギリギリ青年で許されるのかもしれないが、流石に高校生と同じ目線にはなれない。

 自嘲気味に呟けば、亜梨栖がまなじりを吊り上げて悟を見つめた。


「おっさんじゃありません。兄さんは私のお兄さんです」

「そう言ってくれるのは嬉しいけど、十分おっさ――」

「違います! 兄さんはかっこいい年上の男性なんです!」

「……」


 表情は怒っているはずなのに、亜梨栖の口から出た言葉は悟を褒めるものだった。

 あまりに予想外過ぎて、開いた口が塞がらない。

 呆けたように見つめれば、何を口にしたか理解したらしく、彼女の頬が一瞬で真っ赤になった。


「あ、その、ちが――わないですけど、今のは無しです!」

「お、おう、そうか。ありがとう、でいいのか?」

「お礼なんていいです! 早く会社に行く準備をしてください!」


 褒められたので取り敢えずお礼を言ったのだが、逆効果だったらしい。

 耳どころか首すら真っ赤にして、亜梨栖が悲鳴のような声を上げた。

 更に刺激すればどうなるか分からないので、素直に従い洗面所へと向かう。


「はいはい、分かったよ」


 昨日も悟の外見を褒めてくれたが、久しぶりに会った際のお世辞だと思っていた。

 しかし先程の態度から察すると、本心から言ってくれていたようだ。

 ざわつく心と火照った頬を冷やす為、冷水を頭から被る。


「……朝から何やってんだか」


 朝から騒がしいのも嫌いではないが、亜梨栖との生活はもう少し静かになると思っていた。

 しかし予行練習に近いお泊りの朝ですら、こんなにも心を乱されている。

 髪を拭きつつ、溜息を零す悟だった。





「……ホントに朝飯を準備してくれたんだな」


 目の前には目玉焼きにウインナー、小さめのサラダに白米と、微妙に和洋折衷わようせっちゅうだが立派な朝食が並んでいる。

 久しぶりの贅沢な飯に感嘆の声を漏らした。

 作ってくれた本人はというと、じとりとした目を悟へ向けている。


「するに決まってるでしょう。平日すら食べなくなったんですね……」

「いや、まあ、すまん」

「私が作ると言っておいて正解でしたよ」


 社会人となった悟の朝食は、職場に着いて飲むコーヒーだ。

 なので準備を終えてすぐに出るつもりだったのだが、髪を拭き、歯を磨いたタイミングで、リビングから調理の音が聞こえてきたのだ。

 不思議に思って様子を窺えば「そういう約束だったでしょう?」との事で、問答無用で朝飯を摂る事になった。

 やれやれ、と分かりやすく辟易したように呟き、亜梨栖が椅子へ腰を下ろす。


「ほら、食べますよ」

「ああ。作ってくれてありがとな」

「……どうも」


 頬を緩めて礼を口にすれば、亜梨栖の頬がほんのりと朱に染まった。

 その姿に疑問を覚えたが、追及する理由もないので手を合わせ、朝食を味わって食べる。


「うん、うまい」

「特に手は込んでませんがね」

「それでもだよ。やっぱり、こういう朝食の方がいいな」

「でしたら、今度からきちんと食べてくださいね?」

「分かってるよ。というか、朝食があるから昨日俺が起きる時間を聞いたし、普段より早く起こしたのか」


 咎めるような視線に苦笑しつつ、亜梨栖に起こされた時間についての答え合わせを行う。

 昨日、寝る前に亜梨栖から悟の起床時間を尋ねられたのだが、てっきり今日は寝ていると思っていた。

 仮に朝食を作るとしても、今日はお泊まりなのだし、まだ作らないと判断していたのだ。

 亜梨栖が頷き、小さな溜息を落とす。


「そうですよ。兄さんがいつも起きる時間の十五分前にでも起こせば、ゆっくり食べられますからね」

「アラームで起きない朝なんて久しぶりだったよ」


 代わりに美少女の顔によって睡魔が吹き飛んだのだが、下手なアラームより良い目覚ましになる。

 ただ、やはり亜梨栖が早く起きる理由はなかったのではないか。


「でも、無理しないで良かったんだぞ? 今日は学校を休んでるんだし、寝てても良かったんだからな?」

「無理してません。兄さんが起きるなら、私も起きるに決まってるでしょう。私だけ寝ている訳にはいきません」

律儀りちぎだなぁ……」


 そこまで気を張らずとも良いのに、一人だけ寝ているのは許せないらしい。

 溜息をつきつつ、ふと頭に浮かんだ不安を口にする。


「もしかして、休みの日もきちんと朝に起きるのか?」

「そのつもりですよ。とはいえ、兄さんを叩き起こすつもりはありません。昨日はつい怒ってしまいましたが、休日くらいはゆっくりしてもいいでしょう」

「助かるよ」


 休日も朝に起きるのは紛れもない健康的な生活だし、本来そうすべきだというのも分かっている。

 しかし、会社に行かなくて良いなら出来るだけ寝ていたいというのが本音だ。

 怒られるかと思ったが、意外にも許可してくれた。

 むしろ、深紅の瞳には悟への心配が浮かんでいる。


「お母さん達もそうですが、社会人は大変なんですね……」

「あの二人は特別だ。俺はまあ、そこそこ大変なだけだな」


 自ら望んで就職したとはいえ、毎日の仕事が楽しさだけで完結している人はそういない。

 彩と奏に関しては非常に仕事が出来る人間で、責任のある立場なだけだ。詳しい事は教えてくれなかったが。


「だから、あの二人ほど帰りは遅くない。絶対に定時で帰れる日もあるんだぞ?」

「ていじ?」

「……残業なしって事だよ」


 社会人であればほぼ全ての人が聞くであろう言葉も、亜梨栖には馴染みがないらしい。

 きょとんと首を傾げる姿は愛らしいが、社会に染まったと自覚してしまい、少しだけ悲しくなった。

 ただ、悟の内心とは反対に亜梨栖が柔らかく破顔する。


「なら良かったです。無理は禁物ですよ?」

「分かってるよ。ごちそうさま」


 朝食を平らげ、時間を確認すると、もう家を出なければならない時間だった。

 急いで食器を片付けようとすれば、くすりと小さな笑みが耳に届く。


「後片付けは私がしますよ。慌てても良い事はありません」

「すまん、じゃあ頼む」


 非常に申し訳ないが亜梨栖に後を頼み、玄関に向かう。

 すると、彼女も後をついてきた。

 疑問を覚えつつも靴に履き替え、忘れ物が無いか確認する。

 すると、重大な事を忘れていたのに気が付いた。

 靴箱を開き、鈍色に光る金属を取り出す。


「ほら、アリス。無くさないでくれよ?」

「え、あ、ありがとう、ございます」


 亜梨栖はこれから後片付けを行い、実家に帰るのだ。

 鍵が無ければ、扉を閉められなくなる。

 顔に戸惑いの色を浮かべる亜梨栖へ、鍵のついでにエントランスのロックの解除方法を教えた。

 伝えるべき事は伝えたので、扉に手を掛ける。

 このまま開けても問題はないのだが、念には念を入れたい。


「そこに居たらまぶしいだろ。離れてくれ」

「これくらい大丈夫ですよ。いってらっしゃい」


 振り返って声を掛ければ、亜梨栖がふわりと柔らかく微笑んだ。

 悟を送り出す言葉と笑顔に、胸がどくりと跳ねる。


「……いってきます」


 何だか夫婦みたいだなと馬鹿な事を思いつつ、先週までとは全く違う足取りで会社へと向かうのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あきらかに夫婦のやりとりを意識させようとしているアリスかわゆす [一言] なんだ、ただの新婚さんか…もう完全に尻に敷かれてるで悟さぁぁん!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ