第120話 夏祭り
金曜日は飲み潰れた彩と奏をリビングで寝かせ、実家に帰ってもあまり意味がないので、悟と亜梨栖は来客用の布団で一夜を明かした。
そして土曜日となったが、日中は母親二人も含めて近くのショッピングモールへお出掛けした。
とはいえ悟は荷物持ちに徹し、三人に入店を拒否された場所もあったのだが。
その理由も亜梨栖からしっかり伝えられていたので特に不満に思う事なく買い物を済ませ、いよいよ実家に帰ってきた本来の目的を果たす時間になる。
夏場ではあるが空は薄闇に包まれつつあり、太陽はもう見えない。
むわりとした暑さが頬を撫でる中、亜梨栖の準備が終わったという知らせを受けて三城家へ向かった。
「遅くなってごめんなさい、兄さん」
愛しい恋人は玄関前で悟の到着を待っており、花が咲くような鮮やかな笑みを浮かべる。
その笑顔も美しいが、今の亜梨栖の姿も負けないくらい鮮やかで、写真に残したいくらい美しい。
「気にすんな。浴衣、似合ってるぞ。凄く綺麗だ」
「え、えへへ……。なら良かったです」
ふにゃりと蜜を帯びた笑みを見せ、頬を朱に染める亜梨栖は藤色の浴衣を着ている。
ピンクや赤の花で彩られた浴衣は彼女の落ち着いた雰囲気にとても合っており、銀色の髪は簪で纏められていた。
この姿を今見せる為に浴衣を買いに行く際は店の前で待たされたものの、むしろ待っていて良かったと思う。
鮮やかな浴衣を着た恋人の姿を目に焼き付けていると、亜梨栖が悟を眺めて頬を緩めた。
「兄さんも浴衣似合ってますよ。かっこいいです」
「でも、大学時代の友達のついでに買ったものだからなぁ……」
適当に買ったものなので、褒められても素直に喜べない。
使えるからと持ってきたが、亜梨栖の隣に立つに相応しいかと言えば微妙な気がする。
苦笑を零して肩を竦めれば、亜梨栖のがむっと唇を寄せて悟を見上げた。
「それでも、かっこいいものはかっこいいんです。自覚を持ってください」
「……分かったよ。ありがとな」
これ以上自分を貶めても亜梨栖を困らせるだけだ。
気持ちを切り替えて手を差し出す。
「それじゃあ行くか」
「はい。夏祭りは初めてですから楽しみです」
彩と奏は仕事が忙しくて、昔はこういうお出掛けの許可が出なかった。
とはいえ、悟が高校生の頃には流石に信頼されており、一応許可が出ていた。しかし、亜梨栖があまり興味を示さなかったのだ。
人が多い場所を嫌ったからだが、今の亜梨栖はその程度の事は気にも留めない。
むしろ滅多に出来ないデートの一環として、今日を楽しみにしていた程だ。
悟の家の近場の夏祭りでは同じ高校の生徒と鉢合わせする危険があるので実家に帰ってきており、周囲を気にする必要がないというのもあるだろう。
悟としても、太陽や周りの視線をを気にせず亜梨栖と一緒に居られるので、非常に楽しみにしていた。
細く白い手が悟の手を掴み、しっかりと指を絡ませ合う。
早速会場へ向かおうとしたのだが、三城家の玄関から女性二人が顔を出した。
「悟、ちゃんとエスコートしなさいよー」
「分かってるっての」
「あんまり悟くんに迷惑を掛けないようにね、アリス」
「はいはい。行ってきます」
母親達の揶揄いの視線や言葉を流し、三城家を後にする。
からころと鳴る亜梨栖の下駄の音を楽しみつつ歩く事約二十分。夏祭り会場に着いた。
既に日は落ちているが、人工的な光で照らされた会場。それが人で溢れ返っている光景に亜梨栖が感嘆の声を漏らす。
「凄い人ですねぇ……」
「だな。迷子になったら大変だ」
「それはありえませんね。だって、こうして手を繋いでいるんですから」
「違いない」
決して離すつもりはないという風に繋いだ手を揺らされて、頬が緩んだ。
そもそも、少しでも離れたら亜梨栖は間違いなくナンパされるだろう。
珍しい銀色の髪をした美少女の姿に、悟達の周囲の人の視線が集中しているのだから。
誰にも渡すつもりはないと見せつけるように、亜梨栖を引き寄せた。
「でも万が一にでもアリスがナンパされたらむかくつから、ちゃんと傍に居るんだぞ?」
「……はい」
悟が外で独占欲を見せた事が嬉しいのか、亜梨栖がとろりと顔を蕩けさせる。
夏祭りそのものはこの浴衣を買った際に行ったが、それなりに楽しかった程度だ。
しかし亜梨栖と一緒の夏祭りは、こうして会場を見るだけでも心が弾む。
いい思い出になるだろうし、させてみせるという決意を胸に、会場へ足を踏み入れるのだった。
「さてと、何食べましょうかねぇ」
「こういうのは定番のものが一番良いんじゃないか?」
晩飯はここで摂る事にしているので、帰っても何もない。なので、会場に入ってまずやることは腹ごしらえだ。
亜梨栖は何を食べるか目移りしており、目を輝かせてきょろきょろと周囲を見渡している。
まずはお決まりのものだろうと焼きそばの屋台を指差せば、彼女が大きく頷いた。
「ですね。それじゃあ定番のものを食べ尽くしましょうか」
「……食べ尽くすのか?」
「はい。こういう機会はなかなか無いですからね。もしかしてお腹がそこまで空いてませんか?」
祭りに来たことでテンションが上がっているのだろうが、悟の呟きに亜梨栖が顔を僅かに曇らせる。
定番の食べ物はそう多くないものの、二人で食べるには少々辛いかもしれない。
とはいえここが彼氏の甲斐性の見せどころだと、首を振って笑顔を浮かべた。
「いや、腹は減ってるから大丈夫だ。目についたものから食べていくか」
「ありがとうございます。言い出した私が言うのも何ですが、無理しないでくださいね」
「本当に無理だったらギブアップさせてもらうよ」
「……もう」
今の所その予定はないが、頭の片隅には置いておく。
肩を竦めて誤魔化すと亜梨栖に苦笑されたが、提案した側なので悟が多少無理するのが分かっても止められないのだろう。
そんな亜梨栖と屋台に並び、焼きそばを手に入れる。
まずは亜梨栖に食べて欲しいと容器を差し出せば、彼女はなぜか焼きそばを箸に巻き付けて悟へと差し出した。
「……えっと?」
「私達ってこういう事をした事なかったので、してみたいなって。駄目、ですか……?」
深紅の瞳を潤ませながらの上目遣いは、反則的に可愛らしい。
焼きそばは食べさせるのに適さない気がしたが、だからといって断れはしない。
それに亜梨栖の言う通りした事はないので、周囲に知り合いの居ない今がチャンスだ。
恋人らしい事を出来る嬉しさに胸を弾ませ、亜梨栖へと微笑みを向ける。
「もちろんいいぞ。それじゃあ、あーん」
「はい、あーん」
「……ん、美味い」
食べさせる為なので量はそれほどでもないが、いかにもな屋台の焼きそばは間違いなく美味しい。
おそらく、夏祭りの空気が美味しくさせているのだろう。
この味を亜梨栖にも知って欲しくて、容器を奪い取って彼女の口へと焼きそばを運ぶ。
「ほら、アリスも」
「いいんですか!? あーん!」
亜梨栖が弾んだ笑顔を浮かべ、勢いよく焼きそばにかぶりついた。
そのまま咀嚼し、頬を蕩けさせる。
「んー。美味しいですねぇ。家で作るものより美味しい気がします」
「こういう場所だからな。祭りの醍醐味ってやつだ」
「ですねぇ。これなら小さい頃も行けば良かったです」
「過ぎた事を言っても仕方ないさ。ほら、次に行こうか」
悔やんだ所で昔には戻れないし、悔やみ続けるような大切な出来事でもない。
確かに昔の亜梨栖と夏祭りに出掛けなかった事は少し残念だが、今から思い出を作っていけばいいのだ。
焼きそばを彼女に食べさせつつ、次に食べる物を物色する。
「はい!」
夏祭りの明かりに照らされた亜梨栖の顔は、誰よりも輝いて見えた。




