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第119話 懐かしの家へ

 ナイトプールは大成功し、亜梨栖も日頃のストレスを発散出来た。

 しかし暑さは全く衰えず、むしろここからが夏本番と言ってもいい。

 そんな七月の中旬である金曜日。悟は念の為に休暇を取り、亜梨栖ありすの帰りを待って懐かしい場所に来た。


「変わってないなぁ」


 見上げた家は時が止まったかのように、昔見た時から何も変わっていない。

 もうこの家に入る事はないと覚悟していたが、社会人になって機会が訪れるとは思わなかった。


「そりゃあそうですよ。全部あの頃のままです」

「……だな」


 自分の家と同じくらい勝手知ったる三城家の姿に、懐かしさが沸き上がる。

 ジンと胸が痺れて目の奥が痛くなるが、たったこれだけで感情を乱されるのは情けないと、ぐっと奥歯を噛んで堪えた。


「よし。それじゃあ約四ヶ月ぶりの顔合わせといきますかね」


 家の主は普段仕事に追われているのだが、今日は悟達が来るからと早く帰ってきているらしい。リビングには電気が点いていた。

 顔合わせの為に三城家へ来た訳ではないのだが、明日の用事に関しての相談をしなければ。

 よくよく考えれば亜梨栖と付き合って初めて顔を見るので、妙に緊張してしまう。

 僅かに身を固くする悟とは反対に、亜梨栖が全く緊張していない様子で玄関へ向かい、くるりと身をひるがえした。


「おかえり、お兄ちゃん」


 小さい頃の亜梨栖と同じ、満面の笑みと言葉。

 普段から何度も言われているのに、それでも歓喜が胸を満たす。


「…………ただいま、アリス」


 悟も玄関に向かい、待ってくれていた少女の頭をくしゃりと撫でた。

 亜梨栖が鍵を開けるのを待ち、久しぶりの三城家に足を踏み入れる。

 すると、奥から「お帰りなさーい」と女性二人の声が聞こえた。

 亜梨栖と一緒に声のした方に向かうと、久しぶりに見た母親の彩と亜梨栖の母親である奏が笑顔で手を振っていた。


「お帰りなさい、アリス、悟くん」

「ごめんねぇ。盛り上がっちゃって先に初めてるわぁ」


 悟達が帰ってくるまで我慢が出来なかったようで、母親二人が既に飲んでいる。

 勝手知ったる家だし、わざわざ玄関まで迎えに来て欲しいとは思っていない。

 それでも、盛り上がっている母親二人に苦笑を零した。


「別にいいけど、潰れないでくれよ?」

「分かってるわよぉ。折角早く帰れたし、四人で集まるんだから多少羽目を外してもいいでしょー?」

「それには同意するけどさ。奏さんも、程々にしてくださいね」

「はぁい」


 普段の凛とした姿など欠片もなく、奏がふにゃりと緩んだ笑みを見せる。

 そんな母親の姿に亜梨栖が溜息を零し、けれど仕方ないなぁという風に微笑んだ。


「二日酔いはやめてね。……もし明日の予定が無くなったら怒るから」

「だ、大丈夫大丈夫! お母さんを信用して!」

 

 深紅の瞳から光を無くし、低い声で亜梨栖が奏に告げた。

 悟としても明日の為にほぼ実家と言える場所に戻ってきたので、いくらなんでも予定が潰れるのは勘弁して欲しい。

 焦ったように頬を引き攣らせ、亜梨栖に懇願する奏には母親の貫禄などなかった。


「……分かった。ほら、兄さんも食べましょう。このままじゃ二人に食べ物を全部片付けられてしまいます」

「そうさせてもらうよ。それじゃあ奏さん、一本もらいますね」

「全然いいわよー。むしろ沢山飲んで!」


 念の為に確認を取り、冷蔵庫にあるビールを持ってくる。

 母親二人が買ってきた惣菜に冷えた酒。少しだらしなくはあるが、これぞ社会人の贅沢と言えるだろう。

 準備した後ではあるものの、亜梨栖に視線を向けると呆れ気味に苦笑された。

 しかしそれ以上は何も言われなかったので、ある程度は許してくれるらしい。

 プルタブを開けて、炭酸の抜ける音を響かせた缶を持ち上げる。


「遅くなりましたが、一週間お疲れ様でした」

「「お疲れ様でしたー!」」

「……ホント、お酒が飲める人が羨ましいです」


 声を弾ませて乗ってくれた奏に彩、そしてぼそりと呟いた亜梨栖と共に、久しぶりの四人を楽しむのだった。





「……本当にごめんなさい、悟くん」

「いきなりどうしたんですか?」


 腹も膨らみ、食事のペースが落ちた頃。唐突に奏が頭を下げた。

 酒を飲まない亜梨栖は既に満腹になっており、今は風呂に入っている。

 先程まで陽気に飲んでいたが、今の奏は痛みを押し殺したような苦笑だ。


「ずっと顔を見て謝りたかったの。あの頃の選択は間違っていたのよ。もう遅いのは分かっているけれど、謝ったところでどうにもならないけど、ごめんなさい」

「息子と家族同然に育った子を信じれなかった私達は母親失格よ。私も、改めてごめんなさい」

「……」


 随分前に彩からは謝罪されていたし、その際に奏も悟に謝りたかったと聞いていた。

 しかし、こうもかしこまって謝罪されると困ってしまう。ましてや母親失格と言われるとは思わなかった。

 いくら悟から提案したとはいえ、二人からすれば良かれと思って行動した結果が、悟と亜梨栖の両方を悲しませる結果になったのだ。

 おそらく「気にしないで欲しい」と言っても、二人は自分を許せないだろう。

 どんな言葉を返せばいいか迷ったが、少し考えるとあっさりと口を開く事が出来た。


「俺にとって、二人はかけがえのない母親ですよ。それに、始まりは俺からだったんです」


 最終的に家を出る形になったが、彩はかけがえのない家族だ。

 それは悟を息子のように扱ってくれた奏も同じで、少しも母親失格だとは思わない。むしろ、二人目の母親と言ってもいいだろう。

 だからこそ、悟と亜梨栖のすれ違いを二人だけのせいにしたくない。


「なので、この三人のせいという事にしませんか? 皆でアリスの気持ちをないがしろにしてしまった。あれは、そんな話だったんですよ」

 

 誰もが幼い亜梨栖の未来を――もちろん彩と奏からすれば悟もだろうが――心配したからこそ、一番大切な亜梨栖の気持ちを省いてしまっていた。

 それこそ当時の彼女が悲しみ、傷付くのを全員が分かっていても。

 悟の感情が発端なので、本当は悟一人が罪悪感に苦しむのが正しいのだろう。

 けれど、目の前の母親達は決してそれを良しとはしない。

 それが分かってしまうからこそ、いっそ三人でこの罪を抱えるべきだ。

 申し訳ないと思いつつも提案すれば、二人の顔がくしゃりと歪んだ。


「…………そうね。そうしてくれると嬉しいわ」

「…………ありがとう、悟」

「俺の方こそありがとうですよ。二人が俺の母親で良かった」


 成長すれば間違わない。大人は絶対に正しい。それは大きな間違いだ。

 大人であっても、親であっても、間違いを犯してしまう。悟や彩、奏のように。

 それによって付いた傷は決して消えないが、亜梨栖のお陰で悟達はやり直す事が出来た。

 そして、失敗を失敗と認められる二人を誇らしく思う。

 胸を張って宣言すれば、彩と奏の瞳が潤み、それを見られたくないからか顔を俯けられる。

 華奢な肩が震え、そして再び上げられた顔には晴れやかな笑みが浮かんでいた。


「やっぱり悟は自慢の息子ね」

「こんなに良い息子が出来て良かったわ」


 悟の方こそ二人を褒めたいのだが、このままでは堂々巡りになってしまう。

 だからなのか「さて!」と彩が明るい声を発した。

 その顔には先程までの憂いは浮かんでおらず、瞳が意地悪気に細められている。


「アリスちゃんとはどこまで行ったのかしら?」

「それ私も聞きたいわ。もうシたんでしょう? シたのよね?」

「…………さっきまでとの落差凄いなぁ」


 彩はまだ理解出来るとしても、奏は普通心配する側だと思う。いくら悟を息子同然に思ってくれていても、愛娘を優先するはずなのだから。

 それがなぜか興味津々とばかりに詰め寄ってきている。

 色恋沙汰に敏感な女子高生に負けない母親二人に、思わず悪態をついた。

 すると心外だとばかりに彩と奏が眉を寄せる。


「だって同棲よ同棲!? しかも女子高生と社会人なんて夢が広がるに決まってるでしょう!」

「そうそう! 漫画の世界の話じゃない! それで悟くん、どこまで行ったの!?」

「この二人、本当に俺とアリスの母親なのか……?」


 亜梨栖を悟の家に住まわせる提案をしたのは彩と奏のはずだが、どうしてこんなにも体を重ねる事を推奨しているのだろうか。

 以前も電話で許可されたが、絶対に止める側だ。

 とはいえ、既に亜梨栖に手を出している身では正直なところ有難い。

 母親相手に赤裸々に語る程恥ずかしいものはないので、断固拒否させてもらうが。


「言いませんよ。秘密です」

「そこを何とか! お願いよ悟!」

「私は提案した側なのよ!? 聞く権利があるわ!」

「めんどくせぇ……」

「…………何か、凄い事になってますね」


 厄介な絡み方に愚痴を零せば、ちょうど風呂から上がったらしい亜梨栖が呆れたと言わんばかりの声を零した。

 悟からは聞けないと判断したからか、彩と奏が瞳を輝かせて亜梨栖へと顔を向ける。


「アリスちゃん、一生のお願いよ! 悟とはどんな風にシたの!?」

「私達にだけ! 私達にだけでいいから!」

「はぁ……………………」


 酔っ払い二人の詰問に、亜梨栖が重い溜息を吐き出した。

 すぐに大きく息を吸い込み、母親二人へと鋭く細められた目を向ける。


「言う訳ないでしょ!? 頭を冷やしなさい!」

「「う……」」


 亜梨栖の鋭い声に、二人がばつの悪そうな顔になった。

 完全に娘と親の立場が逆転しているが、これで問い詰められなくなるのなら悟は喜んで二人を差し出す。


「大体、娘のそういうのを聞くなんて――」


 ガミガミと説教を始める亜梨栖に、しゅんと肩を落として大人しくしている母親達。

 おそらく、悟が居なかった間はこうやって亜梨栖が二人を止めていたのだろう。

 昔とは立場が変わっているものの、四人の壁の無い関係が懐かしくて、ひっそりと笑みを零す悟だった。 

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― 新着の感想 ―
[一言] やはり一番の強者はアリスだったか。さすがや。 恋人になったかどうかではなくやったかどうかが気になるということは恋人になることはわかりきっていたということですねぇ。 まぁ離れた理由が理由だから…
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