第114話 遮るものを無くして
「緊張するな……」
悟の声が風呂場に反響する。
この後の事も覚悟の上で亜梨栖と風呂に入る事にしたが、彼女はまだ来ていない。
流石に脱衣所で一緒に服を脱ぐ度胸はなく、悟が先に脱いで風呂で待機している
亜梨栖に揶揄われたりしっかりと見られるかと思ったが、意外にも彼女は悟に背を向けてくれた。
なので恥ずかしくはあったものの、何とか耐える事が出来た。
ただ、衣擦れの音が微かに聞こえてくるせいで、悟の心臓は心臓が壊れそうなほどに脈打っているのだが。
「は、入りますね」
からりと扉が開き、亜梨栖が入ってくる。
普段ならば鈴を転がすような柔らかい声が、今は緊張で固くなっていた。
土壇場で気が変わったという事もないだろうし、そもそも水着を用意する暇もなかったので、宣言通り本当に何も着ていないのだろう。
「……そっち、見てもいいか?」
いきなり亜梨栖の姿を見る度胸はなく、悟は扉に背を向けている。
しかし、このまま背を向けていても風呂に入る事は出来ない。
覚悟を決めて尋ねると「う……」と詰まったような声が耳に届いた。
「……あんまり、見ないでくださいね」
「おう。それは後にとっておくよ」
亜梨栖の体を堪能するのは、準備を全て終えてからだ。
なので、今は一緒に風呂に入れるだけの耐性を付けられればいい。
亜梨栖の要望通りのはずなのに、熱っぽい溜息が聞こえてきた。
「宣言されるのは恥ずかしいんですが……」
「事実だからな。それに、こうしてると本当に風邪引くぞ?」
「そう、ですね。分かりました、どうぞ」
夏場だし風呂場なので寒くはないのだが、絶対に風邪を引かないという保障はないのだ。
恥ずかしくて立っていたら風邪を引いたなど、笑い話にもならない。
しっかりと言質を取って緊張で固まった首を動かせば、悟の視界に肌色が現れた。
「――」
亜梨栖の肢体を最後に見たのはいつだったか。少なくとも、小学校低学年だった気がする。
そんな風に現実逃避するくらい、悟の前に存在するものは刺激が強過ぎた。
「はぅ……」
頬を薔薇色に染めて肩を抱き、身を捩らせる姿は、いっそ暴力的と言って良い程に可愛らしい。
しかし、そのせいで母性の塊が苦しげに歪んでいた。
それだけでも頭が沸騰しそうなのに、亜梨栖の下半身がしっかりと見えてしまっている。
水着で理解していたスタイルの良さと合わせて、究極の美が顕現していた。
同時に悟の理性をガリガリと凄まじい勢いで削ってきているのだが、あまりに綺麗過ぎて、魅力的過ぎて。呆然と見つめる事しか出来ない。
「あの、それくらいにしてください……」
「…………あ、ああ、ごめん」
首すらも真っ赤に染めた亜梨栖の懇願で、ようやく魂が戻ってきた。
何とか視線を逸らし、体の中の熱を溜息と共に吐き出す。
「取り敢えず、体洗うか」
「ですね。もう恋人ですし、兄さんの体をちゃんと洗ってもいいですか?」
「構わないしむしろ嬉しいけど、大事な所には触れるなよ?」
「はい。それは『後にとって』おきます」
「……そうしてくれ」
体を眺め続けた仕返しにか、綺麗に悟の言葉を返された。
調子が戻ってきた事を嬉しく思いつつも苦笑を零し、亜梨栖に背を向ける。
「それじゃあ頼む」
「任せてください。全力を出します」
もう三回目だからか、亜梨栖の手は淀みなく動き、悟の髪を洗っていく。
他人に髪を洗ってもらう心地良さに浸ったままでいたいが、亜梨栖に顔を洗わせるのは大変なので流石に自分で洗う。
髪と顔を洗うと次は背中だが、こちらも特に指示せずに終わった。
そして、いよいよ今まで拒否し続けていた前側になる。
「ほら兄さん、こっち向いてください」
「……おう」
亜梨栖は水着を着ないとの事だったので、悟も隠す物は何も持ってこなかった。
つまり、ここで振り向くと亜梨栖に全てを見られてしまう。
今すぐ拒否して逃げ出したいが、悟だけ見せないのも不公平だろう。
深く息を吸い込み、途中で止まらないようにと勢いを付けて亜梨栖へ振り向いた。
「あ、あの、兄さん?」
「…………言うな。言わないでくれ」
とっくの昔に熱を持っていた下半身が情けなくて、手で顔を覆う。
言い訳をするのなら、恋人と風呂に入るという状況だけでなく、目の前で亜梨栖が全てを曝け出しているのだ。
これで反応しなければ男失格だろう。
ただ、亜梨栖の強く熱い視線がそこに向けられているせいで、あまりにも居心地が悪い。
「早くしてもらえると助かるんだが……」
「は、はい! 任せてください!」
亜梨栖が気を取り直して悟の下半身を洗っていく。
とはいえちらちらと視線は向けられており、気になってしまうらしい。
指摘しても意味はないのでぐっと我慢し、視線を風呂場の隅に向ける。
こうしなければ亜梨栖の体が視界に入り、今すぐに暴走してしまいそうだ。
「どうですか? 気持ち良いですか?」
「最高だけど、我慢するのがキツい」
「ふふ、頑張ってくださいね。耐える兄さんも好きですよ」
「悪魔だ……」
こんな所で求める訳にはいかないと、お互いに最高の思い出にしたいからと我慢しているのだが、それは亜梨栖に筒抜けだった。
そして、分かった上で亜梨栖は悟を煽ってきている。
悪態をつくが、甘い蜜のような笑い声が耳朶を打った。
「そんな悪魔に好かれたんです。諦めてください」
瞳の奥にどろりとした熱を秘め、蠱惑的な笑みを浮かべる亜梨栖。
掌の上で転がされているという自覚がありつつも、決して嫌な気分にはならない悟だった。
「はぁ……」
「はふー」
お互いに体を洗い終え、湯船に浸かる。
悟の体を綺麗にした後は亜梨栖の番だったのだが、体を洗えば絶対に襲う自信があったので辞退させてもらった。
せめてものお詫びとして髪は洗ったものの「じゃあまた今度ですね」と言われたので、次回があるらしい。
「俺に背中をくっつけて良いのか?」
「良くなかったらしてませんよ。因みに、きちんと分かってますからね?」
「……さいですか」
亜梨栖に悟のものが触れているが、それを分かった上で彼女は悟に凭れていた。
くすくすと軽やかな笑い声に羞恥が一段と高まり、せめてもの仕返しに顎を亜梨栖の頭へ乗せる。
嫌がるかと思ったが、亜梨栖は楽し気に笑うだけなのですぐに離した。
「恥ずかしいですけど、やっぱりこうしてお風呂に入るのは気持ち良いですねぇ」
「それは分かる。にしても今回は今までより恥ずかしがってたな」
アクシデント等を除いて、亜梨栖は悟を誘惑する際に取り乱したり緊張する事はない。
それにしては一緒に風呂に入る際に緊張していたなと指摘すれば、じろりと鋭い目つきで睨まれた。
羞恥に身を染めているのが分かるので、少しも怖くないが。
「いくら私でも、全部見せるとなると恥ずかしいです」
「まあ、恥じらいがないのはそれはそれで問題だから、むしろ良かったけどな」
お互いの体を知り尽くした結果、動じなくなるならまだ理解出来る。
しかし亜梨栖が最初から羞恥心の欠片もない行動を取っていた場合、悟は頭を悩ませていただろう。
代わりに理性が虐められるくらい、平気ではないが耐えてみせる。
安堵の溜息を零せば、亜梨栖が顎に手を当てて考えだした。
「ふむ、恥じらいがある方がいいんですね?」
「だからってワザとしたら怒るからな? ありのままでいてくれ」
亜梨栖ならばやりそうだと釘を刺す。
すると、やれやれと言わんばかりに亜梨栖が肩を竦めた。
「りょーかいです。今、すっごくどきどきしてますし、多分この先も同じなんでしょうね」
「俺もだよ」
幼い頃とは変わり過ぎた、幼馴染であり恋人の肢体。
何度見ても悟は胸を高鳴らせると確信し、あまり下を見ないようにして細い腰に腕を回す。
ぐっと引き寄せる際に母性の塊に触れてしまい、どくりと心臓が強く鼓動した。
「ふふ、兄さんは熱いですねぇ」
「アリスは柔らかいなぁ」
亜梨栖を襲いたいという欲望はあるが、今は触れ合っているこの感覚を楽しみたい。
彼女も同じ気持ちのようで、触れ合う肌から激しい鼓動が伝わってきているが、それでも悟に体を委ねているのだった。




