第110話 甘えたい気分
体育祭が終わり、六月も数週間が過ぎた。
日本の暦では初夏だが、そんな事など知るかとばかりに外は暑い。
そして暑さ――というよりは夏の外が嫌いな亜梨栖はというと、ベッドに寝そべっている悟の横で溶けていた。
「あ゛ぁ〜」
気の抜ける声を漏らし、冷房の効いた部屋でぐったりとする亜梨栖。
シャツは捲れており、雪の様に白いお腹と折れそうなくらいに細い腰を見せていた。
はしたない姿ではあるが、亜梨栖の気持ちは理解出来るので注意はしない。
平日は頑張って学校に行っているのだ。休日くらいだらけさせるべきだろう。
「ホント、夏なんて無くなればいいのに」
「今日は一段と荒れてるな」
日頃のストレスを解消するかのように、ぐりぐりと悟の膝へ頭を擦り付けられた。
敬語を外しているので、甘えたい気分らしい。
とはいえ、折角涼んでいるのにくっつくのは暑いのではないか。そう思って離れるべきかと伝えたが「それとこれとは別問題なの」との事だ。
日本の四季に喧嘩を売る亜梨栖に苦笑を落とせば、もっと撫でろと言わんばかりにぺちりと腕を叩かれる。
「いっそ太陽すら無くなってしまえばいいんだよ。そしたら私は何も気にせず外に出られるからね」
「そうなると地球が冷えて人類が滅亡するらしいから、申し訳ないけど却下だなぁ」
聞き齧りの知識を披露し、ぽんぽんと亜梨栖の頭を軽く撫でた。
悟が味方をしなかった事が不服なのか、彼女の頬がぷくっと膨らむ。
「お兄ちゃんのいじわる」
「俺はいつだってアリスの味方だぞ。今日もそうだろ?」
「……まあ、うん。ありがとう」
平日はアリスが辛いので家事等をしなくてもいいと言ったのだが、彼女は納得しなかった。
なので体調を気遣いつつも亜梨栖に任せ、休日は悟が家事等をする約束をしている。
先程も熱い料理は嫌だろうと、簡単ではあるが素麺を作ったのだ。
決して蔑ろにはしていないはずだと尋ねれば、亜梨栖の顔がばつが悪そうに曇った。
「とりあえず、今日はゆっくりしてくれ。でも、腹を冷やして風邪引くなよ」
「そうする。……見たかったら見ていいからね」
「見ていいっていうか、勝手に視界に入るんだけどな」
悪戯っぽく笑む亜梨栖に肩を竦めて答えたのだが、悟の反応はお気に召さなかったらしい。
悟が照れるか、遠慮なく見るのを期待していたようだ。
すっと深紅の瞳を細めた亜梨栖が、悟の頬を抓る。
「痛い、痛いから」
「彼女の肌だよ? もっと興味を持っていいと思うんだけど」
「興味は持ってるっての。分かった、堪能させてもらいますって」
「適当な気がするー」
普通はいくら恋人とはいえ見ると怒るところだろうに、亜梨栖はむしろ見なければ不機嫌になる。
今は悟が照れ隠しで適当な返事をしたせいで、機嫌が斜めを向いているのだが。
何にせよ、普段見えない肌を見るチャンスだ。
くしゃりと銀糸を撫でて誤魔化しつつ、体を起こして亜梨栖のお腹を眺める。
(ホント、細いし白いよなぁ。このスタイルで胸はきちんと出てるとか反則だろ)
一応、亜梨栖が水着を着た際に体のラインは把握していたが、改めて見ると整い過ぎているのが分かる。
日に焼けないのが当然ではあるものの、シミ一つない白い肌に、女性らしさをこれでもかと叩きつけてくる細い腰周り。
これで母性の塊はしっかりと主張しているのだから、人間の体は不思議なものだ。
至高の芸術品のような体は、ずっと見ていても飽きる事がない。
「……なあ、アリス。ちょっと腹を触ってもいいか?」
「はぇ? 触る? 別にいいけど」
つい魔が差して口にしてしまったが、亜梨栖はきょとんとした顔で受け入れてくれた。
彼氏である悟だからこそあっさりと許可してくれたのが分かり、歓喜に頬が緩む。
亜梨栖が少し体を曲げて悟が触れやすいようにしてくれたので、何だかいけない事をしている気になりつつも手を伸ばす。
「ひゃっ」
「ごめん、擽ったいなら止めるけど」
「ううん、大丈夫。びっくりしただけ」
ぴくりと体を跳ねさせたので心配になったが、どうやら平気らしい。
亜梨栖の反応に気を付けつつ、彼女の腹をゆっくりとなぞる。
「ん……。ふ、ぅ……」
何だかんだで恥ずかしいのか、それとも擽ったいのか分からないが、亜梨栖が艶めかしい声を上げた。
頬は赤く染まっており、目が合うとすぐに視線を逸らし、ベッドに顔を埋めてしまった。
取り敢えず嫌がられてはいないようなので、指に吸い付くような柔らかい肌の感触を楽しむ事にする。
(別に危険な場所じゃないんだけど、病みつきになりそうだなぁ)
当然ながら、母性の塊や下半身には触れていない。腰や腹を異性に触らせるか、と言われれば微妙な所だが。
何にせよ、悟が触れている場所は特段変な所ではないのだが、あまりにも肌触りが良過ぎる。
滑らかでありつつも柔らかい感触は、ずっと触っていたくなる程に魅力的だ。
「あ、の……。そんなに、いいの……?」
「おう。何か、触ってるだけで気持ち良いな。アリスは大丈夫か?」
「うぅ……。だいじょぶ、だけど、だいじょぶじゃ、ない」
「……どっちだよ」
おそらく触られるのは嫌ではないが、いい加減羞恥が限界なのだろう。
銀糸から覗く耳が真っ赤に染まっているのが見える。
出来る事ならもっと堪能したいが、流石にこれ以上無理はさせられない。
亜梨栖のお腹から手を放し、頭を軽く叩く。
「ありがとう、アリス。満足したよ」
「なら、いい、けど……」
一度落ち着きたいのか、亜梨栖が流石に僅かに距離を取った。
もう見せるつもりはないようで、しっかりと身だしなみを整えて息を落ち着かせている。
亜梨栖が許可したとはいえ、謝るべきかと悩んでいると、振り向いた亜梨栖が「えい」と妙に軽い声を出してぶつかってきた。
受け止める用意など出来ておらず、亜梨栖と共にベッドへ倒れ込む。
「あ、アリス? どうした?」
「え? そりゃあ兄さんがしたんですし、私もしていいですよね?」
どうやら甘える時間は終わりらしい。
好奇心に目を輝かせた亜梨栖が悟のシャツに触れた。
散々楽しんだ悟には断るという選択肢などなく、諦めの境地で体の力を抜く。
「分かったよ。お手柔らかに頼む」
「それは私の気分次第という事で。痕もあの日以降付けてくれませんし、その鬱憤を晴らさせてもらいますよ」
「……気分次第どころか明らかに根に持ってるじゃねえか」
体育祭の日に悪戯心から亜梨栖の鎖骨に痕を付けたが、起きた亜梨栖は滅茶苦茶悲しんだ。
曰く「起きてる時にして欲しかったです」との事だ。
もちろんそんな事をしてしまえば悟の理性が耐えられないので断ったのだが、その事を未だに覚えているらしい。
明らかに弄ぶつもりの亜梨栖に溜息つけば、深紅の瞳が楽し気に細まり、端正な顔が悪い笑みへと変わった。
「ぜーんぜんそんな事ないですよぉ」
「うわぁ露骨」
「という訳で失礼しますねー」
何の躊躇いもなく亜梨栖が悟のシャツを捲り、腹を露わにする。
これからガリガリを理性を削られる覚悟をしつつ、外の熱さも忘れて天井のシミを数えるのだった。




