表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/122

第11話 気にするお年頃

 散歩を終え、部屋に戻って一息つく。

 亜梨栖ありすとは特に会話はなく、今はソファの端と端でお互いにスマホを触っている。

 しばらくすると、風呂場から電子音が届いた。


「よし、沸いたな。アリス、入ってくれ」

「こういう時は家主からです。私は後でいいですよ」

「普通、こういう時は客からだと思うんだが」

「いいえ、兄さんが先に入ってください。絶対に譲りませんからね」


 どちらが先に風呂に入るかという些細ささいな事なのに、どちらも一歩も譲らない。

 深紅の瞳からは、絶対に折れないという強い意志が伝わってくる。

 高校生になって男の後に風呂に入るのを嫌がるかと思ったが、そうでもないようだ。

 これ以上口論をし続けるのも馬鹿馬鹿しいので、溜息をつきつつ立ち上がった。


「分かった。後で文句言うなよ?」

「言いませんから。気にせずゆっくりしてきてください」


 平坦ではあるが気遣いの込められた声を背に受け、寝室へ向かう。

 パジャマを掴んで脱衣室に行き、普段と同じように服を脱いだ。

 習慣のままに風呂場に入って体を洗い、湯船に浸かる。


「はぁ……」


 じんわりとお湯の温度が染み渡り、体が暖かくなった。

 一応、晩飯前に仮眠を取ってしまったが、まだ疲れが溜まっていたらしい。

 長風呂するような性格ではないので、すぐに浴槽よくそうを出て体を拭き、簡素なシャツとパンツに着替える。

 リビングに戻ると、亜梨栖は先程と変わらずソファの端に座っていた。


「次どうぞ」

「ありがとうございます。それと一つお願いがあるんですが、いいですか?」


 僅かに眉根を寄せつつ、背筋を伸ばして懇願こんがんしてきた亜梨栖に苦笑を零す。

 散歩に誘った際もそうだが、彼女はあまり悟に迷惑を掛けたくないらしい。


「内容が分からないから何とも言えないけど、そんなに畏まって言う程のものか?」


 内容次第だと答えれば、亜梨栖が不安に揺れる瞳で悟を見上げた。

 これぞ美少女という容姿である彼女の上目遣いは威力が凄まじく、悟の心臓が鼓動を早める。


「パジャマを貸していただけませんか? 持ってきてなくて、風呂上がりに着る物がないんです」

「それはいいけど、泊まる割には荷物を持ってきてないよな」


 亜梨栖は小さめのポーチを持ってきてはいるものの、それ以外に荷物などない。

 泊まり用の服など、間違いなく用意してないはずだ。

 それどころか、他に足りない物もあるだろう。

 疑問を口にすれば、亜梨栖が目を伏せて視線を右往左往させた。


「だって、泊まれるとは思わなかったので」

「いや、アリスが泊まりたいって言ったんだろ? 事前に準備くらいしてるかと思ったんだが」

「私、泊まりたいなんて言ってませんよ? まあ、ここまで来たら泊まるつもりでしたけど」

「…………ん?」


 認識のズレた会話に首を捻る。

 頭の中で亜梨栖と再会してからの出来事を再生すれば、確かに彼女は言っていなかった。

 勝手に亜梨栖が言っていたと勘違いしてしまった申し訳なさに、深く頭を下げる。


「……ごめん。母さん達が言ったきりだったな」

「い、いえ、そこまで謝る事でもないですよ。というか、否定しなかった時点で私が言ったようなものです。むしろ、兄さんのせいにするような事を言ってすみません」


 悟が気に病む必要はないのだと、顔に焦りを浮かべて亜梨栖が首を振った。

 もしかすると、あの時否定しなかったのは、悟への怒りで感情が振り切れていたからかもしれない。

 となれば、あれよあれよと泊まる事になった今の状況を、亜梨栖は望んでいないのではないか。


「でも、勝手に泊まるもんだと思ってたから、やっぱりごめん。嫌だったよな」

「嫌な訳がないじゃないですか。そうだったら住まわせてもらう事なんてしませんよ」

「そうだけど、準備してないんだし帰るか? というか明日は月曜日だし、学校があるだろ」


 悟は普段通り仕事があり、同じように亜梨栖も学校があるはずだ。

 先程まで充実していたせいで、すっかり忘れてしまっていた。

 これから亜梨栖を預かる身にも関わらず、あまりに何も考えていなさ過ぎる。

 自己嫌悪に胸を痛めつつ提案すれば、彼女が呆れた風に肩をすくめた。


「今から帰るなんて面倒くさいです。それに、お母さんからも許可が出ました」


 ほら、と言いつつ亜梨栖がスマホを画面を悟に見せる。

 メッセージアプリには『じゃあ学校には明日連絡しておくわ』と表示してあった。

 簡単に休みの許可を出したかなでに、呆れの溜息を零す。


「あっさりしてるなぁ……」

「元々、引っ越しの準備で休むつもりでしたからね。それに終業式まで後僅かですし、一日くらいどうって事ないです」

「そうなのか? ……というか、そこまで準備を進めてたのかよ」


 事前に引っ越しすると決めていた事から察するに、亜梨栖は最初から本気で引っ越すつもりだったのだろう。

 一応、お試し期間を一週間設けたが、対応を間違えていたらそんな期間すら無かったかもしれない。

 じとりとした視線を送るが、彼女は澄ました表情だ。


「当然です。突然来た事も含めて、連絡してくれなかった兄さんへの仕返しですから」

「それを言われたら弱いな」

「というか、事前に話してたら間違いなく逃げたでしょう?」

「……ああ」


 亜梨栖が引っ越したいと電話であやから伝えられていたら、適当な理由をでっち上げて会う事すら断っていたはずだ。

 そこまで把握された上での行動に、苦笑しか零せない。


「そういう事で、帰る必要はないんですよ。とはいえ、流れに任せてしまってすみません。改めて、泊めてもらえませんか?」

「もちろん。アリスさえ良ければ泊まっていってくれ」


 もはや亜梨栖を帰さなければならない理由はない。

 何も準備していないとはいえ、一日ならば大丈夫だ。


「ありがとうございます。それで、パジャマをですね……」

「ああそうか。ちょっと待ってろ」


 話があちこちに飛んでしまい、亜梨栖のお願いが流れてしまっていた。

 悟が着ているパジャマの色違いを寝室から持ってきて、彼女に渡す。


「ほら」

「ありがとうございます。それじゃあ、お風呂に入らせてもらいますね」

「おう。ゆっくり温まってくれ」


 亜梨栖が銀糸をなびかせて風呂場へ向かった。

 リビングのソファに腰を下ろし、体の力を抜く。

 そのまま何をするでもなくぼうっとしていると、シャワーの音が聞こえ始めた。

 家に女性――それもとびっきりの美人に成長した幼馴染――が泊まるという実感が今更ながらに湧いてきて、悟の心臓が慌てだす。


「……いやいや、何緊張してんだか。相手は七歳下の高校生だぞ」


 いくら亜梨栖が美しくても、そんな相手に変な事を考えては駄目だと、思考を必死に冷やす。

 しかし、風呂場からの水音が妙に大きく聞こえてしまい、どうにも落ち着かない。

 ソファに座っていられず、うろうろと意味もなくリビングをうろつく。

 いっその事ベランダで時間を潰すべきかと考えたところで、ふと疑問が浮かんだ。


「足りないのって、パジャマだけじゃないよな?」


 亜梨栖はそもそも泊まるとは思っていなかったようなので、他の用意もしていないはずだ。

 そして、残念ながら悟の家には予備の泊まり道具などない。

 ゆっくりしている場合ではないと、すぐに脱衣室へ向かう。

 シャワーの音が更に大きく聞こえ、曇り硝子がらすにうっすらと映るシルエットに悟の心臓が虐められた。

 しかしこれくらいで動揺してはならないと、理性を固く縛って口を開く。 


「なあアリス。他に足りないものって――」

「ひやぁぁぁ!?」

「うおぁ!」


 風呂場から響く甲高い悲鳴に、悟もつられて驚いてしまった。

 もしかすると、ちょうどトラブルが起きたのかもしれない。


「ど、どうした? 何かあったのか?」

「あったも何も、どうして脱衣室に入ってきてるんですか!?」

「え? いや、リビングからだと大声を出さないと会話出来ないだろ?」

「この状況で会話する必要があります!?」

「いや、アリスが泊まるんだし、足りないものがあるなら買ってこようかと思っただけなんだけど……。ごめん」


 少々デリカシーが無いとは思うが、亜梨栖の入浴をのぞくつもりはないし、悟が入れるのはここまでだと分かっている。

 それでも、声を掛けるのは止めておいた方が良かったかもしれない。

 沈んだ声で謝れば「う……」と唸るような声が聞こえた。


「確かに足りないものは色々ありますね」

「だろう? 何を買ってくればいい?」

「いえ、それなら後で私が買いに行きますよ」

「どうせ暇だし、俺に任せてくれよ」


 今は平静を取り繕っているものの、このまま家に居ると変な気分になってしまいそうだ。

 ベランダで時間を潰すくらいなら、その時間を有効活用した方が良い。

 単に家から逃げ出す口実でもあるので、この状況で提案するしかなかった。

 悟を買いに行かせるのが申し訳ないのか、亜梨栖が曇り硝子越しに悩みだす。


「でも……」

「頼むよ、な?」

「……分かりましたよ。それじゃあ、歯ブラシをお願いします」

「それだけでいいのか?」


 色々ある、と言った割には亜梨栖の要求は一つだけだった。

 本当にいいのかと確認を取れば、大きな溜息が聞こえてくる。


「いいですよ。準備無しで泊まるのは今日だけですし、最低限それがあれば何とかあります」

「分かった。それじゃあ行ってくる」


 釈然しゃくぜんとしないものがあるが、亜梨栖が構わないというなら気にしても無駄だ。

 きびすを返し、風呂場を出ようとする。

 すると、背中に「あの」とほんの僅かに羞恥を込めたような声が掛かった。


かごの中、見ないでくださいね?」

「籠の中? ……っ!」


 深く考えず視線を衣類置き用の籠へ向ければ、そこには亜梨栖が来ていたワンピースが畳んであった。

 それだけでなく、ワンピースの上には薄青色の布と紐の付いたものがある。

 それが何かを思考する前に、急いで視線を外した。

 女性をこれでもかと叩きつけてくる布が脳に焼き付いてしまい、心臓が早鐘のように鼓動する。


「見ないでって言ってるでしょう!? さっさと出て行ってください!」


 悲鳴を上げそうになって必死に我慢したものの、亜梨栖には悟が見てしまったのがバレたようだ。

 空気を引き裂くような声を受け、すぐに脱衣室を後にする。


「ホントごめん! 行ってきます!」


 女性が風呂に入る際は、脱衣室であっても男が入るのは許されない。

 小学生の頃の亜梨栖は気にしなかったが、もう気にするお年頃なのだ。

 迂闊うかつだったと後悔しつつ、逃げるように家を後にするのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] これは無意識に行動すると悟くんすぐアリスを子供扱いして反撃くらって女性として意識してしまうという好循環ですねっ!(違 [一言] アルビノの件はちゃんとそうなんだろうなとは読めてましたよー。…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ