第108話 対価を払う時
亜梨栖が風呂から上がり、悟も普段よりか早く入浴を終えて夜になった。
既に晩飯を終え、後は寝るだけとなっている。
「さてと、それでは兄さんに体育祭で出した条件を果たしてもらいましょうか」
「好きにさせるってやつだな。了解だ」
亜梨栖に寂しい思いをさせたくないからと、少々強引に行く許可をもらったのだ。
もう恋人になっているのだし、家の中でなら亜梨栖の願いを断る理由がない。
例外はあるにせよ、疲れた体ではしないだろうと判断しているのもある。
(……いや、何でする前提になってるんだよ)
変化してしまった自らの思考に、内心で突っ込みを入れた。
気持ちを切り替えて亜梨栖の方を向けば、深紅の瞳にどろりとした熱が灯っている気がする。
「ではでは、兄さんの部屋に行きましょうか」
「はいよ」
嬉しそうに破顔する亜梨栖に背中を押され、悟の部屋に入った。
ベッドの端に座るべきか、それとも寝る時のように横になるべきか。
どちらがいいのか分からず亜梨栖に聞こうとしたのだが、とんと背中を押されてベッドに倒れ込んだ。
「……っと。前も同じ事をされた気がするなぁ」
二回目だったはずなので、驚く事なく体勢を変えて仰向けになる。
すぐに亜梨栖が悟の腹へ乗り、頬を緩ませた。
その表情には隠しきれないわくわく感が滲み出ている。
「私に押し倒されるのはご褒美でしょう?」
「ホント、言い方に悪意があるんだよなぁ……。まあ、否定はしないけどさ」
性的な話をつい想像してしまいがちだが、亜梨栖が悟との触れ合いを求めているのは間違いない。
それは悟も同じで、相変わらず嫌な気持ちは微塵も湧かなかった。
ただ、触れ合いの対価として悟の理性はごりごりと削られる。
もう分かりきっていたので覚悟済みなのだが、女性らしい柔らかい臀部や滑らかな太腿の感触は、それでも悟の心臓を虐めていた。
「ふふ、ではジッとしていてくださいね」
どうやら悟への望みは大人しくしている事のようだ。
素直に従って体の力を抜けば、亜梨栖が顔を寄せてくる。
覗き込むような体勢になったせいで、シャツの襟ぐりから母性の塊が素晴らしい谷を作っているのが見えた。それと同時に、黒の布地も。
羞恥が頬を炙り、顔を逸らそうとしたのだが、頬を優しく抑え込まれる。
ゾッとするくらい美しい瞳が悟を映し、唇と唇が重なった。
「ん……」
激しくはなく、感触を楽しむような柔らかい口づけ。
それでもしっかりと押し付けられているので、軽い触れ合いとは言えない。
心臓の鼓動が早くなっているものの、これなら耐えられる。
そう思っていたが、亜梨栖が唇を離して悟の頬に吸い付いた。
「……兄さん。にい、さん」
甘さを帯びた掠れるような声が耳元で聞こえ、ぞくりと皮膚が粟立つ。
悟が反応したのがバレたようで、くすりと声を漏らした亜梨栖が耳に顔を寄せた。
彼女の吐息が耳に掛かり、くすぐったさを覚える。
思わず身じろぎしそうになった所で、耳に柔らかいものが触れた。
それは明らかにワザとだろう大きめのリップ音を鳴らし、悟から遠ざかる。
「アリス……」
「ふふっ。兄さんが可愛くて、つい」
一度だけ悟を見た深紅の瞳は、嗜虐の色に染まっていた。
再び亜梨栖は悟へと顔を寄せ、今度は耳元から首筋まで何度も口づけを落としていく。
食べられているような感覚を覚えるが、同時に間違いなく愛されているのが分かる。
(これ、キッツいなぁ……)
亜梨栖が悟に乗っているので、当然ながら唇だけでなく様々な場所が悟に触れている。
乗られた段階で触れていた太腿。胸に当たる母性の塊。そして感触を確かめるように悟の腕をなぞる、しなやかな手。
これまで何度も理性を縛ってきたが、今回は過去最高とも言える辛さだ。
「ち、因みに、どうしてこんな事をしてるんだ?」
されるがままだとあっさり理性が崩壊しそうで、気を紛らわせる為に理由を尋ねた。
特に隠す理由もなかったのか、亜梨栖が一度悟の唇を奪ってから僅かに顔を離す。
熱を帯びた吐息が悟に掛かるが、それすらも心地良い。
「兄さんが私のものだってマーキングするんです。お風呂前は出来ませんでしたからね」
亜梨栖の嫉妬は入浴前の会話だけでは晴れる事なく、ずっと心の中で燻っていたらしい。
また、汗を掻いていたので亜梨栖が迫って来なかった。
けれど今は体も綺麗にしているので、何も気にする必要はない。
「あぁ、そういう事か。でも、別にマーキングしなくても――」
「だめです。同級生にも、佳奈さんにも渡しません。誰にも、絶対に」
佳奈は異性の友人としか見ていないので、わざわざ名指ししなくとも良いのではないか。
しかし必死さの窺える声に、悟が出来たのは口を噤む事だけだった。
まだまだ満足していないらしく、亜梨栖は悟の首から上にキスの雨を降らせる。
そんな彼女がどうしようもなく愛おしくて、ゆっくりと頭を撫でた。
「大丈夫。大丈夫だからな」
「……ん」
嫉妬の感情は嬉しいが、ずっと不安に揺れる亜梨栖は見たくない。
慰めるように、悟の存在をしみ込ませるように撫でれば、彼女が悟の首元に顔を埋めた。
「すき、です」
「俺も好きだよ、アリス」
「だいすき、です」
溢れる感情を抑えきれないのか、亜梨栖が鎖骨へと唇を落とす。
これまでと変わらない口付けだろうと高を括っていると、僅かに刺すような痛みが走った。
ぴくりと体を跳ねさせれば、亜梨栖がゆっくりと顔を離す。
芸術品のような顔が歓喜に染まっていた。
「痕、つけちゃいました」
「それくらいなら何個でもいいけど」
「じゃあ、沢山つけますね」
肌に吸い付かれるのは初めての感覚だったが、亜梨栖の言う通りマーキングされているみたいで悪くない。
というより、実際にマーキングされているのだ。
コツを掴んだ亜梨栖が、悟の鎖骨に何度も吸い付く。流石に首は控えてくれるらしい。
折角なら亜梨栖にもつけたいのだが、彼女は満足したようで体の力を抜いて悟に身を預ける。
「ふふ、いっぱい」
「これで俺がアリスのものだって分かっただろ?」
「はい。だいまんぞく、です」
「……アリス?」
突然亜梨栖の反応が鈍くなり、不思議に思って問い掛けた。
しかし返事は返って来ず、代わりに規則正しい吐息が聞こえてくる。
「このタイミングで寝るかぁ? まあ、仕方ないけどさ」
脱力感に襲われて溜息をつくが、運動していないとはいえ一日中テントの中に居たのだ。
普通の授業よりも疲れたのだろう。
悟の上から亜梨栖をゆっくりと退かし、隣に寝かせる。
さらさらの銀糸に指を触れさせれば、気持ち良いのか美しい顔が綻んだ。
「…………やるだけやって寝られるのはむかつくな」
亜梨栖が幸せに寝てくれるならそれでいいはずだが、悟は必死に理性を縛ったのだ。
悟にも何かご褒美がなければやってられない。
胸のむかつきに従い、出来る事はないかと亜梨栖を見つめる。
そう悩む事なく、いい案を思いついた。
「やられたんだから、やっていいよな」
女性の寝込みを襲うのはどうなんだと良心が囁くが、そんなものは吹っ飛ばす。
シミ一つない白い鎖骨へと唇を近付け、強く吸い付いた。
起きるかと思ったが亜梨栖は「ん」と鼻に掛かったような声を漏らしただけで起きる気配がない。
唇を離せば、淡雪とも思える肌に赤い点が浮かんでいた。
「ま、これくらいでいいか」
亜梨栖が気付いた際にどんな反応をするか楽しみで、くすりと小さく笑みを零す。
恋人に痕を付けたという独占欲を満たし、悟も目を閉じるのだった。




