第100話 久しぶりの散歩
亜梨栖と恋人になって約一週間が経ち、土曜日である今日は、特に何をするでもなくのんびりとしている。
恋人とはいえお互いに自室に籠ったり、時折悟のベッドに亜梨栖が乗り込んできたりと、日中の疲れを癒していた。
そしてあっという間に日が暮れ、晩飯を摂って一息ついている。
「そうだ。折角だし散歩でもしないか?」
「別に構いませんけど、唐突にどうしたんですか?」
これまで散歩に行く際は気分転換が殆どだったからか、亜梨栖がきょとんと首を傾げた。
無垢な顔は可愛らしいが、散歩に行く理由など無くてもいいはずだと苦笑する。
「まあ、何となくだよ。最近行ってなかったし、別にいいだろ?」
「それはそうですが、じゃあ理由は無いんですね?」
「……おう」
「何ですか、今の間は」
「いや、その……」
実際の所、理由と呼べるような理由は無いのだ。
しかし本当に何も無いかと問われれば、悟の胸に潜む罪悪感が違うと訴えてしまう。
つい言い淀んだせいで亜梨栖にじっとりとした目を向けられ、羞恥が沸き上がってきた。
頬を掻いて熱を誤魔化しつつ、視線を逸らしながら口を開く。
「平日は何も出来てないし、かといって休日の度にデートするのもお互いに大変だろ? だから、その代わりになればいいなって思ったんだ」
悟も亜梨栖も、外でデートするのは気に入っている。
しかし元々インドア派であり、人が多い場所はお互いに疲れてしまう。
それを二人共が理解しているからこそ、週末の度に出掛けるのは望んでいないのだ。
更に、一般的にデートと呼ばれる事をしてしまうと、悟達は付き合ってもくっつく事が出来なくなる。
亜梨栖もそれを分かって付き合ったが、では納得出来るかと言われれば別の話だろう。
少なくとも、悟は恋人である亜梨栖に何かしたいと思っている。
理由にもならない理由を述べれば、亜梨栖の顔が柔らかく綻んだ。
「そこまで気にしなくてもいいのに。兄さんは優しいですねぇ」
「こんなの、優しいうちに入らないだろ」
「入りますよ。そういう事ならデートに行きましょうか」
悟が納得しないのを亜梨栖はよく分かっており、話を切ってソファから立ち上がる。
おそらく着替える為に自室へ向かうが、その途中で悟の方を振り向いた。
「ほら、兄さんも準備してください」
「……アリスには適わないな」
気付けば悟を引っ張る恋人に苦笑を落とし、悟も自室へ向かうのだった。
いくらデートとはいえ散歩するだけなので、悟の準備はすぐに終わった。
亜梨栖も同じ気持ちのようで、すぐに自室から出て来る。
こういう時しか着れないからか、彼女の服は以前買ったワンピースだ。
「その服、やっぱり可愛いな」
亜梨栖が着るのなら、どんな服でも可愛くなるのだろう。
それでも、悟が選んだ服を着てもらえているというだけで、可愛さが増す気がする。
沸き上がる嬉しさのままに褒めると、白磁の頬が次第に血色良くなっていく。
「これ、かなり気に入ってるんですよ。私の勝負服ってやつです」
「その言い方は語弊があると思うぞ……」
とっておきなのだと言いたいのだろうが、あまりにも紛らわし過ぎる。
頬を引き攣らせて注意するが、亜梨栖は妖艶に笑むだけだ。
「デートに来ていく服なんですから、勝負服でしょう?」
「……はいはい。それじゃあ行くぞ」
気にしたら負けだと思考を切り替え、玄関に向かう。
戸締りをしてエントランスに降り、マンションの外に出る直前で亜梨栖が立ち止まった。
「どうした?」
「……今回の散歩って、普通のデートとは違って人目がないですよね」
「そりゃあ夜だし、周辺を散歩するだけだからな」
「なら、こういう事も出来ますよね」
亜梨栖が頬を染め、はにかみながら悟へ手を差し出す。
くっつくいても大丈夫だと思ってはいたが、すぐに実行されるとは思わなかった。
彼氏としてリード出来なかった情けなさに眉を下げつつ、亜梨栖の手を握る。
「もちろんだ。それに付き合ったんだし、握り方も変えられるぞ」
再会してからあまり手を繋いだ事はないが、それでも繋ぐ際は普通の繋ぎ方だった。
しかし折角手を繋ぐのだから、亜梨栖と指を絡ませたい。
しっかりと握り込んで亜梨栖に笑みを向ければ、端正な顔が照れと嬉しさで満たされた。
「ふふ、そうですね。……夢みたいです」
「こうやって繋ぐ機会なんて殆どないからな。だから、散歩の時くらい楽しもうぜ」
「……はい」
とろりと幸せが滲み出て生まれたようなはにかみに、悟の心臓が鼓動を早める。
こんな笑みを見られるのなら、何の目的もない散歩も悪くない。
もう春の陽気が殆ど過ぎ去った空気の中、亜梨栖と手を繋いでゆっくりと歩く。
「正直、こうして手を繋いでのデートは諦めてたんですよ。出来ても卒業後だろうなと」
「まあ、そうだろうな。……ごめん」
「兄さんのせいではありませんよ。それに、私は分かった上で付き合ったんです。後悔はありません。そのはず、でした」
周囲の目を気にするのはおかしな事ではないと、気に病まないで欲しいという想いが亜梨栖の言葉から伝わってきた。
そして、ほんの僅かな悔いも。
「本当は違ったんだな」
「そう、ですね。やっぱり、こうして手を繋いで一緒に歩けるのは凄く嬉しいです」
「こういう時くらいしか出来なくてごめんな」
「見せびらかしたい訳ではないですし、謝らないでください。私はこれだけで満足ですから」
亜梨栖が繋いだ手を軽く振り、淡く微笑んだ。
嘘ではないだろうが、かといって全てが本心かというと怪しい気がする。
少なくとも誰にも後ろ指を刺される事無く、大手を振ってデートをしたいという気持ちはあるはずだ。
しかし亜梨栖がそう言ってくれるのなら、指摘するのは野暮だろう。
「分かったよ。高校を卒業したらきちんとデートしような」
「……もう。全然分かってないじゃないですか」
悟が言葉に隠した意味をしっかりと見抜き、亜梨栖が呆れと歓喜を混ぜた微笑を浮かべる。
あえて彼女の言葉に反応せず歩いていると、隣から「ありがとうございます」という微かな声が聞こえたのだった。




