第159話:深淵の試練
雲海の深淵に潜り込んでから1時間。深度1800メートル。マグナ・ストライダーのコックピットは薄暗く、魔脈投影結晶が映し出す視界は白と灰色の霧に閉ざされている。肩の風切りブレードが雲海を切り裂くたび、鋭いシュイーンという音が響き、脚部の推力ブースターがゴウゴウと唸る。装甲にまとわりつく冷たい霧が結露し、外壁に水滴が伝うのが結晶越しに見える。コックピット内は油と金属の匂いが立ち込め、タクミの鼻を刺激する。彼はジョイスティックを握り直し、シートに背を押し付けた。額に浮かんだ汗が仮組み版の魔脈ビジョン—まだARパネルはない簡易グラス—の縁に流れ込む。
「みんな、大丈夫か?乱流が強くなってるぞ。」
タクミの声がコックピットから外に響き、雲海の霧を抜ける。リアの声がトーラスの雷鳴を背に跳ねるように返ってきた。
「平気だよ、タクミ!トーラスが光ってて、ちょっとワクワクするね!雲海ってふわふわだけど、なんか重い感じ!」
ジンの竪琴の音色が霧を切り裂き、アクエリアの柔らかな声が続いた。
「水流が乱流に押されてるけど、まだ耐えられるよ。魔脈の脈動が近づいてるのが分かる。」
バルドの声が低く、風をまとった鋭さで届く。
「視界が悪いな。先導するお前のマグナが頼りだ、タクミ。」
雲海の奥が微かに揺らめく。霧の向こうに奇妙な影が浮かび上がる。巨大な魚のような形をした雲海の住人—光の守護者が言及した無害な魔物だ。体長10メートルを超えるその生き物は、半透明の体に青白い魔脈が血管のように浮かび、ゆったりと泳いでいる。陽光が届かない深淵で、魔物の体が淡く発光し、雲海にぼんやりした光の筋を残す。背に小さな結晶の欠片が輝いているのが見えた。リアが興奮して叫んだ。
「タクミ、あれ見て!結晶がついてるよ!」
タクミが目を凝らすが、すぐに首を振った。
「無害な魔物だ。結晶は本物の鉱脈で取る。放っておこう。」
ガイストが青い光をチカチカさせ、冷静に言った。
「賢明な判断だ。深度2000メートルに近づく。魔脈の脈動が強まっている。」
一行がさらに潜ると、雲海の霧が濃さを増す。深度2200メートル。突然、タクミの耳にキーンという鋭い痛みが走った。気圧が急激に変化し、コックピット内の空気が圧縮される感覚が全身を締め付ける。額の汗が冷たくなり、耳鳴りが止まらない。
「っ…何だこれ!?」
ガイストが警告を発した。
「気圧変動だ。雲海の深部で魔脈乱流が空気を歪ませている。装甲は耐えられるが、人体に影響が出る。すぐに調整しろ!」
タクミは歯を食いしばり、コックピットの制御盤を叩いた。水晶深核が冷却を始め、空気が緩やかに循環するが、耳鳴りは収まらない。外では、リアが慌てて叫んだ。
「タクミ、耳がキーンってするよ!なんか頭が重い!」
カザンが熔雷槌を手に持ったまま、声を張り上げた。
「おい、タクミ!俺も耳が変だぞ!これが深淵の試練か!?」
その瞬間、雲海の霧が裂け、巨大な渦が一行を襲う。魔脈乱流が渦巻き、マグナ・ストライダーが横に大きく傾いた。風切りブレードがシュイーンと鋭く鳴り、装甲が霧を切り裂く。機体が揺れ、コックピットが軋む音が響く。タクミの体がシートベルトに食い込み、息が詰まる。
「くそっ、乱流が強すぎる!マグナ、安定しろ!」
推力ブースターが青い炎を噴き、機体がなんとか態勢を保つ。だが、渦の中心から黒い影が迫る—直径10メートルの岩塊が魔脈の流れに押されて高速で突進してきた。タクミの目が見開き、叫んだ。
「ドリルアームで迎え撃て!」
ドリルアームが唸りを上げ、毎秒220回転で回転し始める。鋭い先端が岩塊に突き刺さり、ガリガリと削る音が雲海に響き渡った。岩の表面が砕け、細かな破片が霧に散るが、勢いは止まらない。マグナが後ろに押し戻され、装甲が軋む。
外では、バルドが双剣を構え、風をまとって跳び上がる。
「タクミ、下がれ!俺が逸らす!」
双剣が岩の側面を切り裂き、風圧が岩塊をわずかにずらす。セリカが風影の爪で素早く動いた。
「隙ができた。タクミ、ブースターで押し返せ!」
タクミはジョイスティックを握り直し、推力ブースターを全開にした。青い炎が岩塊を焦がし、マグナがガクンと前に進む。ドリルアームが岩の中心に深く食い込み、ついに岩塊が二つに割れた。破片が雲海に散り、鈍い音を残す。
一行は息を整える。深度2500メートル。雲海はさらに暗くなり、視界は濃い灰色に染まる。気圧の変化が収まり、タクミの耳鳴りがようやく静まる。額の汗を拭い、仲間たちに呼びかけた。
「みんな、無事か?気圧と乱流、予想外だったな。」
リアが光球を手に持って、少し震えた声で言った。
「びっくりしたよ…。耳がキーンってして怖かったけど、タクミがいてよかった!」
カザンが熔雷槌を肩に担ぎ、豪快に笑った。
「ハッ!深淵の意地悪だな!俺の槌でぶち破ってやるぜ、次は!」
ジンが竪琴を奏で、アクエリアが穏やかに答えた。
「魔脈の流れが不安定だよ。乱流が岩を運んできたんだ。まだ気を抜けない。」
タクミはコックピットで息を吐き、マグナの状態を確認する。装甲に細かな傷が残り、ドリルアームの先端が熱で赤くなっている。ガイストが冷静に報告した。
「装甲応力限界65%。推力ブースターが過熱気味だ。あと30分で深度3000メートルに到達する。」
タクミは笑みを浮かべ、ジョイスティックを握り直した。
「マグナらしい試練だな。結晶はすぐそこだ。みんな、もう少しだぞ!」
雲海の深部を進むにつれ、霧が濃さを増す。時折、雲海の住人たちが一行の周りを泳ぎ、半透明の体が淡く光る。その光が霧に反射し、まるで星空のような幻想的な景色が広がる。だが、魔脈の脈動が強まり、全員の胸を締め付ける。バルドが双剣を握り直し、静かに呟いた。
「お前のマグナ、頑丈だな。剣術より頼りになるかもしれん。」
セリカが風影の爪を手に持って、鋭く言った。
「油断しないで。乱流がまた来る気配がある。」
タクミは頷き、マグナの単眼センサーを深度3000メートルに向けた。
「そうだな…。次は何が来ても、マグナで乗り越える。結晶まで止まらないぞ!」
一行は雲海の深淵の闇へと突き進む。霧が装甲を濡らし、風切りブレードの鋭い音が響き、魔脈の脈動が全員の鼓動と共鳴した。




