重ミスリルvsマジックアロー
「ああああああああああああああああああああああ!?」
リヒルトの悲鳴が響き渡った。
リヒルトは壁に埋まった重ミスリルに駆け寄ると顔を近づける。
さっきまでつるつるに磨かれていた美しい漆黒の表面がびきびきとひび割れていた。
「ちょ、ちょ、ちょ! マジっすか!? えええええ!」
リヒルトが露骨に落胆していた。
俺の胸にすごく申し訳ない気持ちがせり上がってきた。
「……その、悪いことをしたな、リヒルト……」
「え、いや! そんな!」
リヒルトが俺を振り向いて首を振る。
「そんなことないですよ! アルベルトさんは悪くないです! 撃っていいと言ったのは俺ですから!」
そう言いつつもリヒルトは名残惜しそうに重ミスリルをぺたぺた触って、
「でもなあ……あー……」
と肩を落とした。
気持ちはわかるぞ、リヒルト……。本当に申し訳ない……。
「えーい、リヒルト、気合いだ!」
とリヒルトは言うなり、いきなり両頬を自分で叩いた。
そして、にっこりと笑う。
「さっすが、アルベルトさんですよ! うちでも最高品質の重ミスリルを割ってしまうなんて!」
「なるほど、あれが最高品質か……」
じっと俺は重ミスリルを見つめた。
俺は俺でなかなか固いものなのだなと思っていた。少なくとも、俺のマジックアローで撃ち抜けなかったのは事実だから。
逆に言えばこうだ。
重ミスリルはひびが入るだけで俺のマジックアローを耐えたのだ。
何発か連発すれば粉砕できるだろうが、少なくとも一発だけでは無理のようだ。
リヒルトが声を上げた。
「まあ、あんまり気にしないでくださいよ、アルベルトさん! どうせ重ミスリルなんていっぱい採れるものですからね!」
そう言うとリヒルトは部屋を出ていこうとする。
ちょっと無理しているような声色だったが……。
「部屋に案内させますよ。積もる話は食事のときにでもゆっくりとしましょう!」
部屋を出るとき、ローラが俺にこう声をかけた。
「やっぱりすごいです! アルベルトさんのマジックアロー!」
「え?」
「わたしじゃ全然ダメでしたけど、一発で割っちゃうなんて!」
「はは、ありがとう」
ローラにそう言われて、俺は少し照れた気持ちになった。
その日はリヒルトの邸宅に泊まり、翌日、俺たちは隣の伯爵領へと向かった。
移動は高速馬車を利用する。
高速馬車とは、そのままずばり普通よりも速く移動できる馬車だ。
もちろん、速さには理由がある。
馬車そのものに強力な魔力が込められていて馬の疲労を大幅に軽減しているのだ。
おかげで馬はずっと全速力で馬車を引くことができる。
すごく便利なものだが、導入と維持のコストがとんでもなく高いため、簡単にお目にかかれるものではない。
「いやー、元王家の直轄領だったんで、転送陣と一緒にこれもついてきたんですよ!」
嬉しそうにリヒルトが言う。
もともと貴族以上の階級でなければ用がないものなので内装はかなりの豪華仕様となっている。
「はわ、はわわわわわー!」
ローラが興奮の声を上げた。
「広い! ふかふか!」
大型に造られた高速馬車は乗車部分が普通のものより広い。もちろん、座る部分も快適で心地よさそうなクッションだった。ローラは楽しそうにクッションをつんつんしている。
そして、はっと我に返り、
「すすす、すいません! つい取り乱してしまいました!」
「いやいや、いいよ、いいよ。気持ちはわかる。俺も元貧乏貴族だから。最初はむっちゃ叫んだもんね、うおおおおおおおお! って」
そう笑いつつ、リヒルトが座席に座る。
俺とローラはリヒルトの対面に座った。
「そういう反応を見せてくれるとこっちも嬉しいよ。少し前に乗ってもらった第三王女ナスタシアさまは普通だったからね」
その言葉に俺が反応する。
「第三王女ナスタシアさま?」
その名前は俺も知っていた。ナスタシア・バレンティアヌ第三王女。その呼称のとおり、王族に名を連ねる人物だ。
確か年齢は二〇と少しくらいだろうか。
リヒルトが応じる。
「ええ、ナスタシアさまです。今から向かう伯爵領にですね、少し前から滞在されているんですよ。伯爵領で何年かおきにおこなわれる祭事があるんですけど、王家の人間が参加するのがならわしだそうで。伯爵領には転送陣がないんで、うち経由で向かわれたんですよ」
「まだ滞在しているのなら、向こうでお会いするかもしれないな」
俺の言葉に隣のローラが反応する。
「お、王族の方と――?」
その両肩がぷるぷると震えていた。
「アア、アルベルトさん!? 王族の人って、どんな感じですか!? やっぱり金色に光っているんですか!?」
「金色には光ってないね」
「じゃあ、虹色!?」
「色はあまり問題じゃないよ」
「大丈夫ですかね……わ、わたしみたいな平民が視界に入ってもいいんでしょうか……?」
王族か。
なにぶん一〇年以上昔で貴族としての記憶が止まっている俺にはナスタシアの性格がわからない。当時のナスタシアは一〇歳くらいだろうし……。
幼少の頃から驚くほど美しいと言われていた気がするな――それくらいしか記憶がない。
「大丈夫だよ!」
代わりにリヒルトが答えてくれた。
「ナスタシアさまはね、むっちゃ気さくな人だから! あんまり平民とか気にしないと思うよ!」
「だったらいいんですけど……」
ローラが俺を見上げた。不安で視線が揺れている。
「も、もしも……王族の方と会うことになったら……あの、その! いろいろ教えてください!」
「任せてくれ」
俺はローラを安心させるため、ほほ笑みを浮かべてうなずいた。
リヒルトが元気な声で言う。
「じゃ、行きますよ!」
高速馬車が動き出し、俺たちは伯爵領へと旅だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
時間は少し巻き戻り、ちょうど秋真っ盛りの頃――
ナスタシア・バレンティアヌ第三王女は転送陣を使ってリヒルト子爵の領地を訪れた。
これから隣の伯爵領へと向かう中継地点としてだ。
出迎えに現れたリヒルトに向かってナスタシアは優雅にほほ笑む。
「はじめまして、リヒルト・シュトラム子爵」




