激怒せし神竜王の滅罰
ルガルドが転送陣に飛び込んだ刹那、ファルティマが叫んだ。
「テレポーテーション!」
世界が一瞬でブラックアウトする。
切り替わった先は王都にほど近い雑木林だった。残念ながら普通の転送陣とは異なり人力ではこの程度が限界だ。
それでもファルティマはほとんどの魔力を失い急激な虚脱感に襲われた。
だが――
まだ倒れるわけにはいかない。
(ルガルドは――?)
杖に体重を預けたまま、ファルティマは目を左右へと向ける。
武張った長躯の男の姿はどこにもなかった。
「ルガルドッ!」
ファルティマは叫ぶ。
その声はむなしく響くだけだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なんだ、ここは……?」
ルガルドは目の前に広がる空間を理解できなかった。
黒。
周囲を漆黒が包んでいる。地面はない。闇の中にルガルドは浮かんでいた。支点がないから自由に動くこともできない。
ある意味では――拘束。
そのとき。
『人か。臭くてかなわんな』
一対の目が浮かび上がった。
『お前が贄か』
一対の目が浮かび上がった。
『どうせすぐに消える。しばしの辛抱か』
一対の目が浮かび上がった。
瞬間。
まばゆいばかりの光が眼前に産まれた。
「うおっ!?」
ルガルドは思わず声を漏らし、顔に手をかざす。
眼前に光り輝く白い竜が現れた。
竜の胴体からは三本の首が伸びていた。竜の顔の違いなどルガルドにはわからなかったが、少なくとも色が違う。
青色、銀色、金色。
三つの色の顔がルガルドを見下ろしている。
(――こ、これは――!?)
ぞっとした。
背筋が凍り付く――どころか。心臓を死者の手で握られているかのような気分だ。
ルガルドは直感した。
己の死を。
根源的な恐怖が揺り動かされる。心が悲鳴を上げる。
助かるはずがない!
『ああ、お前は闇の者か』
青色の頭がそう言って口を閉ざす。
閉じた口元から青色の光が漏れ出した。その輝きは秒単位で大きさと強さを増していく。
『我らの光で闇を浄化してやるか』
銀色の頭がそう言って口を閉ざす。
閉じた口元から銀色の光が漏れ出した。その輝きは秒単位で大きさと強さを増していく。
『何度でも何度でも教えてやろう。闇は光に勝てないと』
金色の頭がそう言って口を閉ざす。
閉じた口元から金色の光が漏れ出した。その輝きは秒単位で大きさと強さを増していく。
ルガルドは身体を動かそうとしたが――
動かなかった。
彼が浮かんでいるのは『無』の空間。足がかりにする地面も、手がかくべき水もない。
何もない場所で――
動く術など存在しない。
(……どうすれば――!?)
ルガルドは焦った。何とか活路を見いだそうとした。だが、何も見つからない。
もはや万策は尽き果てている。
学院で消耗する前のルガルドであっても、目の前にいる竜に抗うことはできなかっただろう。
竜の口から漏れる光が最大限の輝きを放つ。
『さようなら』
青色の竜の口ががぱりと開く。喉の奥にはまるで溜まりに溜まったマグマのように、青色の光が吹き出すのを待っていた。
『さようなら』
銀色の竜の口ががぱりと開く。喉の奥にはまるで溜まりに溜まったマグマのように、銀色の光が吹き出すのを待っていた。
『さようなら』
金色の竜の口ががぱりと開く。喉の奥にはまるで溜まりに溜まったマグマのように、金色の光が吹き出すのを待っていた。
静寂。
沈黙。
一瞬の間を切り裂くかのように――
轟!
三つの口から三本の光が吐き出された。放射された光は狙い違わずルガルドを呑み込んだ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
灼熱の輝きに灼かれてルガルドは絶叫した。
ルガルドの身体が分子レベルへと分解――
ルガルドは目を覚ました。
薄暗い場所だったが、普通の場所だった。背中にひやりとした石の感触があり、視界には天井が映っている。
知らな――くはない天井だった。
「ここは――?」
知っているが、理解ができないので思わず疑問形を口にしてしまう。
闇の拠点である神殿だ。
反射的に身を起こす――間違いなく見慣れた建物の風景だった。
ルガルドは自分の手を見た。存在する。その手で自分の顔と身体に触れた。存在する。
生きている。
生きて闇の神殿に戻ってきている。
三本首の竜にブレスに呑み込まれて死んだと思ったのだが。
(……これは一体……?)
かつん、と杖をつく音がした。
「ひょひょひょひょひょ、まさに間一髪でしたなあ」
声がした方角に目を向けるとフードをすっぽりとかぶった小柄な老人――ハーミットが立っていた。
「……何が起こったんだ?」
「そうですなあ……魔力の残滓から察するに、御子さまは神竜王のねぐらに飛ばされたかと。おそらくはカーライルめが放った神域魔術でしょうな」
「……やはりカーライルか……」
「そこで御子さまは手痛いダメージを受けたわけですが、死ぬ前に闇の仮面の力が発動しました」
「仮面の力?」
ルガルドは顔の上半分を覆う仮面に手を当てた。
「ひょひょひょひょひょ、ただの無意味で悪趣味な仮面だと思っていましたかな? つけていて良かったですな」
「この仮面の力はなんだ?」
「装着者に命の危険が迫ると、闇の神殿まで転送するのです」
「ほぅ」
そんな効果があったとは。ただの無意味で悪趣味な仮面だと思っていた。
「便利な能力だな。死なずにすむのか?」
「はい。ですが、もう効果は失われましたが」
「……失われた?」
「転送には膨大な闇の力が必要なのです。闇の仮面は長い年月をかけてそれを蓄積しておりましたが、今回の件で吐き出しました。次はないものとお考えください」
なるほど――と、ルガルドは理解した。
今は本当にただの無意味で悪趣味な仮面のようだ。
「ここで切札を使ってしまったか。もったいないことをしたな」
「ひょひょひょひょひょ、いえいえ。御子さまの命を守るためのもの。御身が無事であれば本懐でありましょう」
そこでハーミットが話題を変えた。
「――それで、どうでしたかな。久方ぶりの学院は?」
「そうだな……」
思い返せば惨憺たる結果だ。闇の仮面の力は使い果たし、ダーインスレイブはへし折られ――
それだけの犠牲を払っても闇の印は手に入らなかった。
手に入ったのは情報だけだ。
紋章師を打ち倒した白い矢の魔術師。
アルベルト・リュミナス。
ルガルドの学生時代の友人がルガルドの脳裏に蘇った。
そのときだった。
「ぐ、あああ、――!?」
ルガルドの口からうめき声が漏れる。全身に痛みが走ったのだ。武人として我慢強いルガルドでも耐えられない激痛だった。
思わずルガルドは寝台に手をつける。
「こ、これは……?」
「おそらくは神竜王のブレスの影響でしょうな」
「……神竜王の? 闇の仮面で……回避、したのでは?」
「あれのブレスは魂すらも灼ききる恐ろしいもの。魂のダメージまでは完璧に回避できなかったのでしょうな」
ルガルドの意識が明滅する。
ルガルドの息は荒い。
訓練に訓練を重ねて細胞のすべてが疲れ果てたときのような、井戸の底へと落ちるかのような暗闇がルガルドの意識を覆う。
「長い眠りが必要ですな……魂の回復には時間がかかります」
ハーミットの声がぼやけて聞こえた。
「……しかし、時が満ちるにはまだ少し時間があります。しばしお休みくだされ、御子さま。よい夢を――」
それが最後だった。
ルガルドの意識は暗闇へと滑り、力を失った肉体は崩れ落ちた。




