続・それを神の領域と人は呼び
ちょうどアルベルトとルガルドが対峙した頃――
カーライルは王城の一室で遠見の水晶に映る光景で二人の様子を眺めていた。
「いよいよ来たか……」
カーライルがふふっと笑う。
「すべては順調だね」
夏の終わり頃、カーライルがフィルブスに話した罠――それは最終局面を迎えていた。
カーライルの計算どおりに。
フィルブスに『出張する』と言っていたカーライルだが、そもそも嘘だった。初日だけは自分で向かったが、代理の人間に後を任せてすぐに戻ってきたのだ。
そして王城の一室に立て籠もり、この瞬間を待ち続けた。
「まさか、本当に僕が王都を離れるなんて――そんな甘い見積もりで動いたりしていないよね?」
カーライルの瞳に光が灯る。
「いなくなると思われていたら心外だなあ……僕は意外と自分の仕事に対して責任感があるんだよ?」
くっくっくっくとカーライルが笑う。
学院に『闇』のメンバーが入り込んでいることは前から気がついていた。闇の魔力の残滓を検知していたからだ。カーライルでなければ見逃していただろうが。
ならば、闇の印を奪うのは学院に潜む彼の仕事のはず。
奪取後、その彼は学院から逃げるだろうか?
否だ。
魔術学院という王都の喉元とも言える場所に送り込んだスパイなのだ。そう簡単に捨てられるカードではない。
ならば?
他の受け取り要員が回収に向かうのが道理だろう。
回収要員は学院に出入りする業者を装うはず。なので彼らの都合にあいそうな業者を用意して丁寧に情報を流しておいた。
これで回収要員が訪れる日時は特定できる。
あとは学院に闇の印の移動を検知する結界を張り、そのときが来るのを待つばかり。
かくして――
カーライルの予想どおり闇の印は動き出した。
それを察知したカーライルはこうやってその光景を眺めている。
「さて、一枚目のジョーカーだ。どうかな、御子よ?」
水晶球の映像では、アルベルトが撃ち続けるマジックアローを闇の御子が大剣で迎撃している。
「魔剣ダーインスレイブか……」
ひと目でそれが何なのかカーライルは看破した。
確かにそれならばアルベルトのマジックアローも断ち切れるだろう。これは分が悪いとカーライルは判断した。
「手助けといこうか」
カーライルは幻影の魔術を行使した。
そして、にこやかな声でこう語りかける。
「はじめまして、闇の御子。あと学院の生徒諸君、元気かな?」
そして、学院の生徒たちを煽った。
「ためらわずに。さんはい、マジックアロー♪」
「マジックアロー♪」
「マジックアロー♪」
「マジックアロー♪」
何度も語りかけると生徒たちも乗ってきたのだろうか。ついには豪雨のようなマジックアローが闇の御子に襲いかかる。
「あっはっはっはっは! なかなか壮観じゃないかね、これは!」
ひとしきり笑うと結果を見ることなくカーライルは立ち上がった。
これで御子が死ねばそれでよし。
死なないのなら――
「もう一枚のジョーカーを出すしかないね」
もう一枚のジョーカー。
カーライル・ヒースコートを――
カーライルは壁に立てかけている、己の背丈ほどもある長大な杖を手にとって部屋を出た。
その杖は金属的で無機質だった。
杖の名前は『ニーベルング』――ただの杖ではない。杖そのものに強大な魔術補助の効果が付与されている伝説級の代物だ。
かつかつと靴を鳴らして足早に歩き、カーライルは王都が一望できるバルコニーへと移動した。
「さあ、始めようか」
カーライルは杖を振って魔術を行使する。
中空にマジックアローをさばき続ける御子の姿が映し出された。
「開け」
カーライルは言葉と同時、かっと杖の先端で床をつく。まるで波紋のようにカーライルの魔力が王都全域へと伝播した。
それは合図だった。
同時、王都のあちこちに隠された魔術陣が青く輝く。
無数の魔術陣、ニーベルング――
それらはこれからカーライルが発動する魔術にとって何ひとつ欠かせないパーツだった。第七位の魔術師であるカーライルの力を持ってしても単独では力不足は否めない。
それほどに遠く重いのだ。
神の領域――神域魔術の発動は。
「この世ならざる領域に住まいし偉大なる神竜王よ! 我が切なる希求の声を聞き届けよ!」
カーライルの声が王都の空に朗々と響き渡る。
「今ここで我は汝に願う! 今このときに我は汝に祈る! 己の卑小さをわきまえぬ愚かなるものに『滅』の一文字を与えんことを!」
そして、カーライルは杖の先端を差し向けた。
はるか先――今まさに学院でアルベルトと戦っている闇の御子に向かって。
「滅すべきものは、彼のものなり!」
その声とともに、カーライルは手首に反動を感じた。ニーベルングの先端から見えない魔力がほとばしる。
結果は中空に浮かぶ映像に現れた。
闇の御子の足下に青白い魔術陣が浮かび上がったのだ。
御子はそれに気づくなり、アルベルトを無視して一目散に学院から逃げ出した。
(……いい判断だ……悪くはない……ただ――)
内心でくすくすと笑ってカーライルはこう続けた。
(どうやっても逃げ切ることはできないんだけどね)
カーライルの口は詠唱を紡ぐ。
「悠久の時代を生きし三つ首の竜よ! 青藍! 白銀! 黄金! 汝らの穢れなき世界に放逐者を放つ無礼を許し給え――!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ルガルドは走った。走り続けた。
街をゆく人々が何事かとルガルドを見るほどには。足下の魔術陣を置き去りにするかのような速度で走った。
だが魔術陣はルガルドの足下を離れない。
ぴたりと吸い付いたかのように離れない。
(……嫌な予感がする……)
足下の魔術陣から強烈な気配を感じるのだ。普通の魔術とは明らかに違う息づかいを。
(まさか、神域魔術……?)
元魔術学院の生徒としてルガルドはその名前を知っていた。
神の領域とも讃えられる最高位魔術。
そんなものがここで?
ありえない話ではない。
裏で糸を引いているのはあの天才――宮廷魔術師カーライルだ。
彼が神域魔術を扱えても不思議はない。
いや、扱えないはずがない。
扱えるほうがしっくりくる。
(……ならば、逆に逃げる時間はある……!)
ルガルドは考えを変える。
神域魔術の発動には膨大な詠唱が必要になる。いかにカーライルが天才といえど、その時間をゼロにはできない。
つまり幾ばくかの時間がルガルドには残されている。
――わたしは隠れ家で転送陣を展開して待っておく。終わったら寄り道せずにさっさと帰ってきなさい。
ファルティマはそう言っていた。
隠れ家に逃げ帰り転送陣で飛べばいい。王都の外まで飛び出せばカーライルの神域魔術といえど――
ルガルドの口元にほろ苦い自嘲が浮かぶ。
「……絶対にそうとも言えないか……」
なにせ相手はあの宮廷魔術師なのだから。
だが、ルガルドにはそれしかなかった。その奇跡を信じるしかなかった。
まるで疾風のような速さでルガルドは王都を走った。
走る――走る、走る、走る走る走る走る。
闇の加護で増幅された脚力を駆使して王都中央にある魔術学院から中流層の住まうエリアへと一気に駆け抜けた。
裏路地へと入り、目的のドアを体当たりする勢いで押し開ける。
「――ルガルド?」
ファルティマが飛び込んできたルガルドのただならぬ様子に眉を跳ね上げた。
彼女の右手には細長いバトンのような銀色の杖が握られている。足下の床にはファルティマが即興で書き上げた赤い文字の転送陣が広がっていた。すでにファルティマの練り上げた魔力が込められているのだろう、転送陣の文字は煌々と輝いている。
ファルティマが顔を引きつらせた。
ルガルドの足下に光る魔術陣を見て。
「……そ、それは――!?」
「おそらくはカーライルだ! 急げ、時間がない!」
叫び、ルガルドは転送陣へと飛び込む。
ファルティマは杖で床を叩き、叫んだ。
「テレポーテーション!」
瞬間、ルガルドたちの姿は隠れ家から消えた。
同時――
「神竜王よ、我が願いのままに愚かなる俗物をその怒りの吐息にて撃滅せよ!」
杖を持ったまま両手を天に掲げてカーライルは詠唱を終える。
そして引き金となる言葉を叫んだ。
「激怒せし神竜王の滅罰!」
神域の魔術は成った。
カーライルはくるりと背を向けてつぶやく。
「さようなら、闇の御子」




