俺と契約して闇の戦士になってよ?
「……闇の……戦士……?」
サーレスがいきなり口にした意味不明の単語にブレインは眉をひそめた。
「……闇、だと……? なんだ、それは?」
「そういう悪いことを企んでいるグループがいるんだよ。俺はその一員ってわけ。で、その闇のグループはお前に興味があったわけよ」
じっとブレインの目を見下ろしてサーレスが続けた。
「俺がお前に近付いたのもそれが理由だ」
「――!」
「俺に与えられた任務はいくつかあるんだが――そのうちのひとつがブレイン、お前の勧誘だよ」
はあ、とサーレスがため息をついた。
「本当はもうちょっと平和的に進めたかったんだけどなあ……」
「……昨日の夜、俺を気絶させてから教室のドアをハードロックで閉ざして目印のようにライティングを置いたのもお前なのか?」
「ご明察」
サーレスがにっこりとほほ笑む。
「お前は大事な大事な将来有望株だからな。校舎に迷い込んだゾンビにかじられて死なれちゃ困る。そういう理由だ」
「……なぜ、俺を……?」
「そりゃ才能だよ。その年でハンドレッドは並じゃない。おまけに仲間に引き込めるチャンスもある――ちょっと特殊な事情を抱えているよな、お前?」
一拍の間を置いてサーレスが続ける。
「悲劇のミルヒス家――復讐だ」
「……」
「お前が力を欲しているのはわかっている。だから、交換条件が成り立つんだよ」
「交換、条件……?」
「この闇の契約ってのはな――」
サーレスがちらりと己の指先に灯る炎を見た。
「かわせば闇の加護を受けて、いろいろ力が増す。お前の魔力も強まるだろう。こいつのおかげで落ちこぼれの生徒が一発で試験合格したくらいだ。お墨付きだぜ?」
ははははは! とサーレスが笑う。
「どうだ、復讐しか頭にないお前には悪くない話だろ?」
「……闇とやらの一員になって……俺は何をするんだ?」
「闇の活動に参加してもらう――ま、この王国を崩壊させることなんだけどね」
「……」
「お前にゃ関係ない話だろ? 復讐を果たす、それだけがお前の価値観なんだから」
「……断れば……?」
「ここで死んでもらう」
きっぱりとサーレスは言った。そこに冗談の響きはない。ブレインが否と言えば本当に殺すだろう。
「もうちょっとゆっくり意志の確認ができたらよかったんだけどな。こうなっちまった以上はな。お前の鋭さを呪うんだな」
「俺の意思の確認などせず、その契約とやらを押しつければいいのでは?」
ブレインはサーレスの指先に灯る炎をにらみながら言った。
サーレスが楽しげな口調で応じた。
「名案だ!」
しかし、すぐにサーレスが首を振る。
「――そううまくはいかなくてね。この闇の契約ってのは双方の合意が必要なのさ。精神の奥深くにぐっとねじ込む感じでね。心の底から受け入れてもらわなきゃいけない」
じっとブレインの目を見てサーレスが続ける。
「というわけでだ! お願い! 親友のブレインくんを俺は殺したくないんだよ! ぜひ俺の仲間になってくれ!」
ブレインはサーレスを見つめ返して応えた。
「俺は復讐を成し遂げられる――俺はここで死なずにすむ――確かに悪くない話だな……」
「俺もそう思うぜ?」
そんなサーレスの笑顔に向けてブレインはきっぱりと言った。
「だが、断る」
「――!?」
「お前は勘違いしている。確かに俺にとって復讐は最重要ではあるが、別に他のすべてを捨てているわけではない。王国に背くなどありえるか!」
驚いたように目を見開き、サーレスは口笛を吹いた。
「へえ、今ここで死ぬかもしれないのに、そんなこと言えるの? お前の復讐はここで終わるぜ?」
「構わない……このブレイン・ミルヒスがそれだけの男だったというだけだ」
「はっ、さすがはブレイン先生だわ!」
サーレスの指先から黒い炎が消えた。その手が――魔術の射出口である手がブレインの顔に狙いをつける。
「せめて苦しまずに一撃で仕留めてやるよ、先生!」
もちろん、ブレインに死ぬつもりはない。
ブレインはサーレスの身体を押し返そうと力を込める。そして、サーレスの腕をとろうと手を伸ばす。
だが、サーレスも優秀な使い手だ。不利な体勢でブレインが押し切れる相手ではない。
たくみに体重をかけてブレインを固めると、サーレスは寂しげな笑みを浮かべてこう言った。
「じゃ、さよなら先生。お前はいい友人だったけど、お前の鋭さが悪いんだよ」
サーレスの右手がブレインの顔に向けられる。
一言、サーレスが魔術を口にすれば終わりだ。
(……くそ……!)
ブレインはを最後の瞬間を悟り歯を噛みしめた。
そのとき――
視界の端で動く何かにブレインは気がついた。屋上だ。屋上に誰かがいる。ここの校舎はL字型になっていて、角度によっては屋上の端が見えるのだ。
(……あれは、誰だ……?)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「インパクト」
リズが発した声と同時、ローラの身体が後方にはね飛んだ。
「うっ!」
ローラの身体は屋上の柵に激突、派手な音を立ててローラが屋上に腰を落とす。
「ローラ!」
俺はローラをかばうように位置をとった。背後にちらりと視線を送るとローラが胸を押さえてうめている。
「う、ううう……」
「大丈夫か、ローラ……?」
「は、はい――」
ローラは激しく咳き込んだが、少なくとも重症ではないらしい。俺はほっと息を吐いた。
油断していた。
まさか知り合いのローラにいきなり攻撃してくるなんて……。
俺はリズのほうに視線を向けた。
リズは普通ではなかった。目には尋常ではない光が灯り、表情もはっきりとしない。そして、その身体を包むように闇の鱗粉が吹き上がっていた。
……あれは何だろう……?
「動くな。動けば――撃つ」
俺はそう言うと右手をリズに向けた。ローラを傷つけたのだ。容赦するつもりはない。
「ま、待ってください、アルベルトさん!」
苦しそうな声が後ろから聞こえた。
胸を押さえながらローラがゆっくりと立ち上がる。
「リズさんは正気じゃありません! 彼女を傷つけるのは――!」
「いや、しかし……」
俺は戸惑った。確かにローラの言うとおり彼女は普通じゃない。だが、普通じゃないからこそ話が通じるとは思えない。
「――」
リズが何かをぶつぶつとつぶやきながら、右手を俺に向ける。
どうやらリズもやる気のようだが。
「リズさん! やめてください、こんなことは!」
ローラの呼びかけ、リズの顔に表情が浮かんだ。苦しそうな顔で、う、うう、とうめく。その手がかすかに震えた。
「リズさ――!」
「無駄だ」
リズの様子に希望を見いだしたローラの声に、冷や水のような言葉がかぶせられる。
フィルブスが俺たちに近付いてきた。
「リズは闇の力に支配されている。本人の意識が残っているから呼びかけにも反応するが、それだけだ」
「闇の、力?」
俺の言葉にフィルブスがうなずいた。
「わかりやすく説明すると――ビヒャルヌ湖の水質調査で狂乱の精霊が現れただろ? あいつと同じだよ」
「ああ」
確かにあの精霊も何か黒いものに汚染されていた。
……。
……え?
俺はそこであることに気がついた。
ちらりとリズを見る。リズはローラの呼びかけのせいで混乱しているのか頭を押さえていた。
……まだ時間はあるか。
「フィルブス先生」
「ん?」
「先生は軽妙な態度とは裏腹にとても生徒想いの教師だと感じています。俺はフィルブス先生のそんな姿勢を尊敬しています」
「お、おま……! 今言うこと!?」
驚きながらもフィルブスはまんざらでもなかった。
「ま、まあ、わかっているなら嬉しいけどさ!」
「と言うわけで、フィルブス先生に一肌脱いでもらいたいのです。リズを助けるため……どうしても試したいことがあります。先生、協力してもらえますか?」
「構わんぞ! 何でも試してみろ! 俺が許す!」
フィルブスが上機嫌に応じた。
快く応じてくれてよかった。さすがの俺もこれを許可なく試すのは気が引ける。
何しろ人体に向かって撃つのは初めてなのだから。
「マジックアロー」
俺は言い慣れた言葉を口にした。
ただし、右手はリズではなく――フィルブスに向けて。
「え?」
俺の突然の動きにフィルブスが声を漏らす。
フィルブスの胸に俺の白い矢が突き刺さった。
「う、うおおおおおおおおお!? ななな、何をするんだ、アルベルトおおおおお!」
フィルブスは騒ぎながら自分の胸をさする。
その動きがぴたりと止まった。
「……あれ、痛くない?」
「よかった」
想像通りだった。
「それは湖の汚染を浄化したマジックアローです」
だから人は傷つけない。対象はあくまでも『汚染』だけ。
フィルブスの献身のおかげで俺の『汚染除去』マジックアローは人体に影響がないことがわかった。
これならばリズを支配する闇の力だけを浄化できるはずだ。
リズは無傷で助かる。
何も問題はない。
俺はリズに右手を向けて魔術を放った。
「マジックアロー」




