13:10(下)
「今日の一三時すぎなんだが……少し付きあってくれないか?」
「一三時すぎ……?」
俺は思わず繰り返した。
その時間はさっきローラが言っていたような――
ブレインが話を続ける。
「昨夜の件で気になることがあってね。アルベルト、君に立ち会ってもらえると心強い。場所は――」
ブレインが告げたのは使われていない教室のひとつだった。
頼られるのは悪いことではない――俺自身もブレインに対して嫌な気持ちはない。しかし、先約がある以上どうしようもない。
「すまない。断らせてくれ。その時間はローラとの約束がある」
「そうか。なら仕方がない」
「……時間をずらしてもらえれば大丈夫だが?」
「悪くはないが……もう会う約束はしているからな……」
ブレインはうんとうなずくと、
「気にするな、忘れてくれ」
そう言って俺の前から立ち去っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ルガルドとファルティマは王都の往来を歩いていた。
ふたりの前を、ひとりの男が歩いている。ローブをまとった三〇代くらいの男で、右手に手提げカバンを持っていた。
間もなく王国祭――
人の密度は否応なく高い。
それでもルガルドたちの視線はじっと、前を歩く男の背中にのみ向けられていた。
男が建物を出てきたところから、男の後をつけているのだ。
男はずっと街を歩いていき――
歩いていき――歩いていき――
歩いていき――歩いていき――
「……えっ、ここはどこだ……?」
男は信じられない様子で周囲を見渡している。
そこは誰もいない――少なくとも、男とルガルドたち三人以外は周囲にいない路地裏だった。
男は道に迷ったのだ。
ファルティマがそういう魔術を使ったからだ。男は無意識のまま、いつもと違う道へ違う道へと進んでいったのだ。
「お疲れ様」
ふふふ、と小さな声でファルティマが笑う。
ルガルドは足音を忍ばせて背後から男へと近付いた。そして、右往左往する男の首筋に手刀を叩き込む。
男はうめき声を上げて気を失った。
「すまないな」
ルガルドはそう言うと、男の身体を受け止める。
ファルティマが近付いてきた。
「首の骨でも折って殺してしまったほうが楽なんじゃないの?」
「……どうでもいい。目覚める頃にはもう俺たちはいないんだ」
「お優しいわね。ま、好きにすれば?」
ファルティマが男のカバンをあさり始める。
「あったあった」
ファルティマが取り出したのは一枚のカードだった。
それは男の組織が発行している身分証だった。カードには男の直筆で名前が書かれている。
ファルティマは魔術を行使した。カードにある男の名前を指先でなぞる。直後、書かれていた名前が書き換わった。
サルブス、と。
「どうかしら。サルブスさん?」
ファルティマが書き換えたカードをルガルドに渡す。
ルガルドは一瞥して応えた。
「完璧だな」
昨日の夜、ルガルドが決めた偽名と書いた筆跡がそのままカードに転写されていた。
何の違和感もない。
これならば学院の受付に見せてもバレる心配はないだろう。
この男は学院に出入りする業者のひとりだ。男の身分証明書を使って学院に潜入する――それがルガルドの作戦だ。
学院は塀を越えて侵入しようとした場合、アラームが鳴る仕組みになっている。静かに入り込むならばこの方法が一番だ。
すでに『生徒』からは『商品の売買に成功した』旨のメッセージを受け取っている。
つまり、闇の印は我らの手中に落ちた――
あとはルガルドが学院へと向かい、それを受け取るだけ。
ファルティマが口を開いた。
「わたしは隠れ家で転送陣を展開して待っておく。終わったら寄り道せずにさっさと帰ってきなさい」
「全速力で戻ろう」
「……油断はしないようにね」
「もちろんだ」
ルガルドが短く答える。
『生徒』は見事に闇の印を手に入れた。
想定どおりの展開だが――裏にちらつく宮廷魔術師の影は無視できない。
もうすでにカーライルの罠を打ち破ったのか。
はたまた、いまだカーライルの罠の中なのか。
だが、ルガルドは関係ないと考える。
ルガルドは前に進むだけ。状況を少しでも早く動かすだけ。カーライルの手の届かない場所まで。
ルガルドは男から剥ぎ取ったローブを身にまとった。このローブには男の組織のロゴが描かれているため着ないわけにはいかない。
「ファルティマ。また後で」
「ええ。ご武運を――なんて、言わないほうがいいかしらね?」
へらへらと笑うファルティマと別れ、ルガルドは学院へと向かう。
学院の正門には警備兵たちが立っていた。貴族の子弟たちが大量にいるのだから当然の配慮だろう。ルガルドなら容易に突破できるが、それだと変装の意味がない。
ルガルドは脇にある業者用の入り口へと向かった。そこにある小屋で入館手続きをおこなうことになっている。
ルガルドは男から奪ったカードをカウンターに置いた。
「リーリン魔術器具のサルブスです」
入館管理の男はカードを手に取って手元にある装置にかざした。
ぴっ。
短い音。
特に入館管理の男は何も言わない。何をチェックしたのかは不明だが、ベースは本物の証明書だ。引っかかるはずがない。
ルガルドは冷静な様子のまま、脇に置いてあった入館用の用紙に『サルブス』と書き込んだ。
入館管理の男は身分証の名前と用紙に書かれた紙を見比べた。
「はい、問題ないです。どうぞ、中へ」
そう言って男は身分証をルガルドに差し出した。
「ありがとう」
受け取ったルガルドが学院内部へと向かおうとすると――
「――ん?」
入館管理の男が誰何の声を上げた。
ルガルドは焦らない。動じない。何事もなかったかのように、静かな口調で男へと問いかけた。
「……まだ何か?」
「いや、いつもの人と違うね……?」
「ああ……今日は体調が悪いようで」
「そうかい。……じゃあ、あんたは貧乏くじかもな」
入館管理の男が同情するような笑みを浮かべる。
ルガルドは尋ねた。
「どういうことですか?」
「俺もあんまり詳しく知らないけど、昨日の夜、何か騒ぎがあったらしくてね……学校中がピリついているよ。なんか嫌なこと言われても、へーいって聞き流しな」
「ご忠告、感謝します」
短く言うと、ルガルドは学院へと入っていった。
懐かしい風景だった。
卒業した八年前から何も変わらない。
逆に言えば――
ルガルドに気づく人間がいるかもしれないと言うことだ。
ルガルドはローブについているフードを目深にかぶり直す。ファルティマに渡された変装用の指輪は今もつけているが、念には念を入れておく。
(……そう言えば、フーリンは学院の教師だったか……)
くりくりとした髪を持つ背の低い友人をルガルドは思い出した。
――やったよ! 学院に就職が決まったよ!
フーリンは嬉しそうな顔でそんなことを報告してくれた。
王国の騎士として活躍していたルガルドは心の底からフーリンの成功を祝福した。
――おめでとう、フーリン!
明るくて暖かで――
だけど、遠い過去だ。
(……意味のないことを思いだした……)
ルガルドは首を振って脳裏に蘇った過去を消した。
今は闇の首領ルガルド。それだけだ。それ以前の記憶や想い出に価値などない。
ルガルドは『生徒』から示された地図の通り学院を歩いていく。
『商品』の受け渡し場所へ――
そこは学院の片隅にある緑の生い茂っている場所だった。
ルガルドは生徒が指示してきた言葉をつぶやく。
直後、膝ほどの高さの茂みの裏に小さな魔術陣が現れた。隠蔽の魔術によって隠されていたのだ。
その中央にあるのが――
闇の印。
昨日の騒ぎに乗じて『生徒』が盗み出し、ここに隠した代物。
ルガルドは宝石を取り出した。
ファルティマから手渡されたものだ。彼女は渡すときにこんなことを言っていた。
「これを使えば探知系の魔力が働いていないか確認できるわ。アジトに持ち帰って、ここはアジトでーすってシグナル発信してたらバカみたいだものね」
ただ、こうも言っていたが。
「ま、闇の祭具に魔術を掛けるのは不可能だから。気にしないでもいいんだけどね。念のためかな」
ルガルドは宝石を闇の印に近づけた。
宝石には何の反応もない。
どうやら問題はないらしい。少なくとも闇の印そのものに魔術による罠は仕掛けられていない。
ルガルドは闇の印を手に取り、ローブのふところへと押し込んだ。
(……『生徒』はいないのか……)
確か引き渡し場所で待っていると書いていた気がしたが。今は授業時間中――さすがに抜け出すのはまずいと判断したか。
(……まあ、いい……)
今は闇の印の奪取が最優先。
ルガルドは正門へと歩いていった。




