ローラの救難信号
ひたり、ひたり。
階下から聞こえた妙な音にローラは思わず足を止める。
(え……この音は……?)
ローラは身体をこわばらせて階段をじっと見た。
不愉快な腐臭が鼻につく。
踊り場に姿を見せたのは――
ぼろぼろの服を身にまとい、半ば腐りかけた人の死体だった。それも一体ではなく複数の。
「――!?」
唐突すぎてローラは頭が真っ白になった。
ここは学院なのに。
ここは王都なのに。
なぜこんなわけのわからないものが?
冷静に考えるよりも先に、驚きと生理的な嫌悪感がローラの身体を突き動かした。
ローラは必死に走り出す。
(……あれ、あれって……ゾンビ……? え、どうして?)
魔術――あるいは低位の憑依体によって突き動かされる死体の化け物だ。
いるはずのないものがここにいる。
後ろをちらりと見ると、さっきの階段を上りきったゾンビたちがローラを追いかけてきている。
アンデッドは生者を追いかける習性がある。ローラの生体エネルギーに反応しているのだろう。
(……大丈夫……ゾンビの動きは遅いから、うまく逃げ回っていれば……)
だが、それほど甘くはなかった。
前に視線を戻したローラは前に何かがいることに気がついた。それは歩く人骨――スケルトンの背中だった。
スケルトンがローラに気づき振り返る。
そのぽっかりと開いた眼窩がローラを見た。ぎこちない動きでローラに襲いかかろうとする。
だが、もうローラも驚きはしない。
「マジックアロー!」
腰の小杖を引き抜くと同時、ローラは白い矢を放つ。
それは見事にスケルトンの頭を直撃した。威力によろめいたスケルトンがけたたましい音を立てて廊下に転がる。
ローラはその脇を走ってすり抜けた。
(……大丈夫! これくらいなら、わたしだって!)
安心したローラはそのままの勢いで走っていく。
何とかなりそう――
そう思ったローラだが、状況は彼女が思っていたよりも複雑だ。
「……え?」
ローラは思わず声を漏らして立ち止まってしまった。
向こう側に見える階段――そこに意外な人物を見たからだ。
「……リズさん!?」
ローラもよく見知った女子生徒だった。
アルベルトと疎遠になってから話すことが増えた学院の生徒だ。彼女と話すことはローラの日課になりつつある。
そんな知り合いが。
こんな夜の学校に?
こんなアンデッドがひしめく学校に?
階段を上ってきたリズはローラに気づかず、そのまますたすたと上階へと行こうとする。
ローラは思わず叫んだ。
「リズさん!」
リズは足を止めた。
そして、ローラのほうに顔を向ける。
まだ距離があるのではっきりとはわからなかったが――
いつもはころころと変わる明るい表情はそこにはない。目にも口にも感情は浮かんでいなかった。
まるで何も見ていないかのような視線がローラに向けられている。
(……ど、どうしたの……?)
想像していなかったリズの様子にローラはうろたえる。
そんなローラに興味を失ったのか、リズは正面を向くと階段を上っていった。
様子がおかしい。
そうは思ったが――あるいは、そう思ったからこそローラは見捨てることができなかった。
「待って、リズさん!」
ローラはリズのいた階段へと走り出す。
だが、その後を追うのは容易ではなかった。まるでリズの後をついてきていたかのように、ずるりとゾンビの群れが現れた。
ゾンビの群れはローラへと向かってくる。
これを撃退しなければリズの後を追えない――
「邪魔をしないで! スプリットバレット!」
少し前にフィルブスから学んだ魔術をローラはもう習得していた。
ローラはスプリットバレットを連発した。バラけた魔術弾がゾンビを次々と撃つ。
(……このゾンビたちから、逃げていたのかな……?)
ローラはそう思った。
それにしては様子が変だった気もするが――
ゾンビたちをなぎ払い、ローラは急ぎ足でリズの消えた階段を上っていった。
上階に移動して、ローラはその階の廊下に顔を向ける。
(……リズさん、いるかな……)
そのときだった。
かしゃん、かしゃん。
そんな金属の音が耳に響いた。
リズの姿は廊下にはなかったが、代わりにローラは見た。頭のてっぺんから足まですっぽりと金属鎧で包んだ騎士を。
いや、それは正確ではない。
正しくはこうだ。
首の下から足まですっぽり。
その騎士には首から上がないのだから。
アンデッド――首のない騎士――
その瞬間、ローラは背中にひやりとしたものを感じた。
(デュラハン!)
それはゾンビやスケルトンなど比較にならない高位のアンデッド。
(……そんなものまでいるなんて……!)
デュラハンは鎧だけで武器を持っていないようだ。だが、その腕力は容易にローラの身体を引き裂くだろう。
ローラはデュラハンに小杖を向けた。
「マジックアロー!」
放たれた白い矢は、しかし、デュラハンの鎧に当たるやいなや、まるで火花が散ったように砕けただけだった。
(ダメだ! 歯が立たない!)
思った瞬間、ローラはデュラハンに背を向けて、さらに上階を目指して走り出した。
かしん、かしん、かしん!
デュラハンの足音も速度を速めてローラを追ってくる。その足はゾンビとは比較にならない。
着実にローラとの距離が縮まっていく。
あと少し――もう少しで追いつかれてしまう!
ローラは最上階まで走ると、そのままの勢いで手近にある教室へと飛び込んだ。
ドアを閉めると同時、ローラは魔術を発動する。
「ハードロック!」
それはドアを閉ざし、強固にする魔術。
がごん!
すぐそこまで来ていたデュラハンがドアをこじ開けようと体当たりする。
まだドアは耐えている。
だが、そう長くはもたないだろう。
ローラは慌てて廊下に面している窓と他のドアにハードロックをかけていった。
そして――
「ライティング!」
祈るような気持ちで外に面した窓の近くに光を灯す。
この状況下で、窓辺に灯されたライティングの輝き。ローラの救難信号に誰かが気づいてくれるかもしれない。
(お願い、誰か……!)
ローラは祈るような気持ちで震える手を押さえた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「マジックアロー」
俺の手から放たれた白い矢が次々とゾンビを吹き飛ばす。
だが、そんなものではまだまだ終わらない。
寮から外に出ると、学院の周囲を大量のゾンビやスケルトンたちが歩き回っていた。
「なかなか大変ですね……」
「ザコばっかりだけどなあ」
フィルブスがうんざりした声で応じつつ魔術でアンデッドたちを吹き飛ばしていく。
「……普通のアンデッドじゃないな、これは……」
「そうなんですか?」
「ああ、倒すなり、消えていくだろう?」
確かに言うとおり、魔術を喰らって動けなくなるとアンデッドたちは煙のように消えていた。
「あんまり俺も死霊系の魔術は詳しくないが、死体を使わずに魔力だけでアンデッドを構築する方法があるらしいぜ」
フィルブスは魔術でアンデッドを吹き飛ばす。
「まあ、死体の片付けをしないでいいのはありがたいことだ」
周りを見渡すと、あちこちで教師たちが魔術で戦っていた。
「こいつらはどこから出てきたんですか?」
「……どこかに生成用か召喚用の魔術陣があるはずだ。低位のアンデッドとはいえ、これだけの数を召喚するとはかなりの使い手だな。ああ、もう! メンドくさい!」
そう叫びつつフィルブスがスケルトンを打ち倒す。
そのとき、いきなり小柄な人物が俺たちの前に飛び込んできた。
「アルベルトくん! フィルブス先生!」
そう叫んだのはフーリンだった。
フーリンはぜいぜいと肩で息をしている。ずいぶんと慌てて走ってきたのだろう。
「さっきね、女子寮に行ってきたんだけど、ローラさんがいなかったのよ」
「……ローラが?」
俺の言葉にフーリンがうなずく。
「ええ。それでね……実はこうなる少し前に図書室で勉強しているローラさんを見かけたの」
フーリンが深刻な声でこう続ける。
「……ひょっとして騒ぎに巻き込まれたんじゃないかって……」
「そんな――」
俺は校舎のほうを眺めた。巻き込まれたとして――逃げ遅れて――上階へと逃げたとしたら――
俺の視線は自然と上に上がっていく。
そして、それに気がついた。
「フーリン、フィルブス先生。あそこ、明かりがついていますよ」
俺の声につられて二人が視線を向ける。
教室の窓辺に光源が輝いている。魔術ライティングの光だ。
三人で顔を合わせる。
あれは救難信号だろう。助けてくれ。そんなメッセージだ。
「少なくともあそこに誰かいるな。行くぞ」
フィルブスが歩き出す。
おまけにその誰かはローラである可能性が高い――。
早く行かないと!
俺は駆け出した。




