貴族の世界
今日は2回更新します。
次回は午後8時です。
――少し話がしたいんだ。
そう話しかけてきた少年はキルリア・グランドールと名乗った。長く伸ばした緑色の髪を縛って肩の前に垂らしている。
グランドール公爵家。
俺も貴族のはしくれ、王国の支柱たる公爵家は知っている。
学生服姿は俺たちと変わらないが、まとっている雰囲気が別格だ。それはキルリアの顔に浮かぶ気品と誇りが感じさせるのだろう。だが、そこに嫌みな様子はない。
ごく自然に。
ごく普通に。
『人の上に立つもの』として彼が身につけたものなのだろう。
……いよいよ来たか……。
やや暗い気持ちで俺はこの事態を受け止めた。
俺はこの学院に『平民』として入学した。だが、俺がリュミナス家の息子という事実は夏休みの直前にバレてしまった。
いきなり現れた侯爵家の跡取り。
先の戦いでの殊勲者。
貴族の社交界で俺の噂は広まっていることだろう。もし子供がこの学院に通っているのなら彼らはこう命じるはずだ。
アルベルトと関係を持て、と。
その第一陣がついに来たのだ。
最初がキルリア・グランドールなのも納得だ。彼はこのクラス――というか一年生貴族のまとめ役のようなポジションにいる。
おそらくは裏で様々な話し合いがされた後に彼が栄えある一番手に決まったのだろう。
正直なところ気は進まない。
だが、俺には父との約束がある。
リュミナス侯爵家の当主となる――その約束が。
ならば貴族としての振るまいが必要な場所では貴族として立ち回るのが役割だろう。
最高格である公爵家からの誘い。
断れるはずもない。
「……なんだろうか?」
俺は身体をキルリアに向けてそう問うた。
「あ、あ、あの! アルベルトさん!」
慌てた声を出すのはローラだ。
「わわ、わたし、席を外しますから!」
ばたばたという感じでローラが出ていった。
……気を遣わせたか……悪いことをしたな。ここはローラが座っていた席なんだけど。
だが、これが普通の平民の反応なのだ。
そもそも貴族の俺と平民のローラが普通に話していること自体が異質なのだから。
一方、キルリアはまったく悪いと思っていない様子で口を開いた。
「アルベルトがそう言ってくれて嬉しいよ」
まるでローラの存在など最初から気にかけていないように。
だが、これが普通の貴族の反応なのだ。
貴族は平民など気にしない。もちろん個人差はあるが。どうやらキルリアは典型的な貴族のようだ。
……少しばかり俺は貴族社会から離れすぎた……。平民を軽んじる考えはどうにも慣れない……。
そんな俺の心境など構わずキルリアが話を続ける。
「彼も紹介させてくれ」
そう言ってキルリアは後ろに立つ生徒に手を向けた。
キルリアよりも背の高い、細身だが筋肉質な少年が立っている。メガネをかけた真面目そうな生徒だ。
「彼は俺の実家とつきあいのある子爵家の息子でね――俺とは幼馴染みなんだ。名前はフェイ・ロックウェルだ」
「フェイだ。よろしく」
フェイは静かにそう言うと俺に手を差し出した。
「こちらこそ」
俺も手を握り返す。
……ちなみに、侯爵の俺より子爵のフェイは格下なのだが、タメ口でも問題ない。それは俺が公爵のキルリアにタメ口で喋っているのと同じ理由だ。
学生の場合、貴族同士ならばタメ口が許される。
だが、実家に主従関係がある場合はその限りではない。おそらくキルリアに対してフェイは敬語で話すのだろう。
もちろん、主従関係がなくても敬語を使う人間もいるし、主従関係で知った仲だからこそタメ口の場合もあるが。その辺は人間次第だ。
キルリアがにこにことした笑みを浮かべた。
「……学生生活はどうだい、アルベルト?」
……実に貴族らしい話題のチョイスだ。
リザードマンとの会戦や実家に復縁後の夏休み――聞きたいことをすっぱりと無視して当たり障りのない部分から踏み込む。
この辺の距離感はさすがに間違えてこない。
「そうだな――」
俺も距離感を考えながら言葉を返す。
ローラとは思ったことを口にする関係だった。ずっと率直な会話をしていた。
ぽんぽんと言葉だけが飛び交う楽しい会話。
それを思えば実に気が滅入る会話だ。お互いに盾と槍で武装してちくりちくりと突き合う会話。
昔はアレンジアほど器用ではなくともそれなりにはできていたのだが――どうにも思うように言葉が出てこない。
だが、俺は慣れなければならない。
それが貴族の当主となることなのだから。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
それから二週間が過ぎた。
いつものようにキルリアが気安く話しかけてくる。
「やあ、アルベルト。お昼を一緒に食べないかい?」
「……わかった……」
俺は席を立ち、キルリアたちについていった。
あれから日を追うにつれてキルリアは俺への接触の頻度と時間を増やしていった。
もう今では連日のように昼食を一緒にとっている。
食堂にたどり着くと他の貴族の子女たちが待ち構えていた。
「遅いよー、キルリア!」
「主役がいないと締まんないだろー!」
「アルベルトもこっちこっちー!」
やんややんやと騒ぎ立てる。
俺は定位置であるキルリアの隣に座った。
貴族グループのみんなががやがやと会話を始める。ややノリが若すぎるきらいはあるが、そこはさすがに貴族の家柄。みんながみんな社交的で会話がうまい。
だが、俺にはどうしてもなじめなかった。
思い出してしまうのだ。
一〇年前の学院生活を。
俺は侯爵家の嫡男として学院に入学した。その家柄は俺の交友関係を豊かにしてくれた。
だが、すり寄ってきた貴族たちとの関係はすぐに破綻した。
俺が魔術師として劣等だと知ると。
俺よりも優秀な弟が跡継ぎとして有力だと知ると。
俺の元に残ってくれた友人はたった二人――ルガルドとフーリンだけだった。
俺は貴族の冷たさを知っている。
彼らは俺と家柄に価値があるから笑顔を向けてくれる。薄っぺらい関係を維持しようとしてくれる。
一〇年前に俺の前から消えていった貴族たちと同じにおいを俺は彼らに感じてしまうのだ。
あともうひとつ、俺の心を波立たせていることがある。
ローラだ。
キルリアが俺に絡むようになってからローラと一緒にいる時間がなくなってしまった。キルリアは平民であるローラを相手にしないし、ローラも気を遣って避けているからだ。
ローラと俺はずっと一緒にいた。
その俺がローラと会えなくなれば――
ローラはひとりぼっちになってしまう。
少し前まで食堂でひとりで食べているローラを見て俺は心が痛んだ。いつもなら俺と楽しく会話しながら食べていたのに。
その姿もここ数日は見なくなった。食堂に来なくなったようだ。
学院が始まる前、俺はローラにこう言った。
――ローラには同い年の友達がたくさんできるだろう。そのときは俺に遠慮せずそっちの輪に飛び込め。
と。
……まさか逆の立場になってしまうとは……。
俺はローラとの関係を終わらせたいとは思っていない。
だが、どうすればいいのかわからなかった。
ローラをこのグループに入れるように相談する――というのは論外だろう。貴族たちがそれを良しとしないのはわかっているし、そもそも平民のローラがここにいて楽しいはずもない。
――俺はどこまでも、いつまでもお前の友達だ。誓うよ。これだけは何があっても貫くと。
俺はローラとの約束を守れていない。
この約束だけは絶対に守らないといけないのに。
だが、俺には貴族の次期当主としての立場がある。それを放り出すこともできない。
貴族との関係。
ローラとの関係。
どうバランスをとるのがいいのだろうか……。
キルリアが笑いながら俺に話を向けてくれる。
「さっきの話、傑作だと思わないか、アルベルト?」
「……そうだな。本当に」
俺は静かに笑い、当たり障りのない返事を返す。
まるで乾いた砂漠を歩いている気分だ。
はたして俺は俺が進むべき正しい道を歩めているのだろうか――




