続・父と子(上)
実家のリュミナス城にたどり着いた日――
結局、父とは顔を合わせなかった。
「侯爵からのご伝言です。今日は旅の疲れを癒やすようにと。明日の午後に時間を取りたいと仰せつかっております」
それがセバスチャンからの説明だった。
俺に否はない。
「わかった」
というわけで、俺は気兼ねなく羽を伸ばすことにした。
初日にどんなことがあったかというと、ローラがこんな感じで実況してくれている。
「アアアアルベルトさん! みみみ道に……ていうか、家? 城? 迷子になってしまいましたあああああ!」
「なんか食べたことない甘いお菓子! おいしいです!」
「こ、こんな豪華なお食事をいただいていいんですか!? あ、フォークとスプーンがたくさん!? これどう使い分けるんですか!?」
「お風呂が広いですね! びっくりしたんですけど、使用人の方が一緒に入ってきてよくわからない液体で身体を洗われました……は、恥ずかしい……でも、髪がさらさらでお肌もすべすべしています!」
ローラがいちいち驚き、いちいち感動を報告してくれた。
どうやら侯爵家の暮らしが想像の斜め上すぎて緊張はぶっ飛んでしまったらしい。
そんなローラが申し訳なさそうに口を開く。
「すいません……アルベルトさんのお力になるために来ているのに、何だか騒いでいるだけのような――足手まといですよね……」
「そんなことはないよ」
俺は首を振った。
明るいローラの振る舞いは俺の心を軽くしてくれた。俺ひとりだったら部屋に閉じこもって静かに過ごし――明日のことを考えて暗く沈んでいたことだろう。
ローラを連れてきたのは正解だった。
「ローラがいると心強い。いつもどおりでいてくれ」
「そう言ってもらえると……嬉しいです」
ローラが照れたように笑みを浮かべた。
そんな心穏やかなやりとりをかわしている間にも時間は流れ、やがて日付は変わる。
翌日。
食堂でローラとの昼食が終わったときのことだ。
「アルベルトさま」
俺が呼ばない限り決して自分から近づこうとしなかったセバスチャンが俺のすぐ横に立った。
「お父上――リュミナス侯爵がお呼びです。今から話がしたいと。ご都合はいかがですか?」
「……構わない」
俺はゆっくりと立ち上がった。
対面のローラが気遣わしげな目を向けてくる。俺は心配させないように笑みを向けた。
「大丈夫。ただ話をするだけだから」
俺はそう言うとセバスチャンとともに食堂を出た。
それからしばらく歩き――
セバスチャンがたどり着いた部屋のドアをノックする。
「セバスチャンです。アルベルトさまをお連れしました」
『入れ』
ドアの向こう側から父の声が聞こえた。
セバスチャンがドアを開け、俺を部屋の中へとうながす。
そこは父親の執務室だった。
大きな執務机の向こう側に父親が座っている。
一〇年前から何も変わっていない。家具の配置も空気の香りも。老いた父の姿以外は。
「それでは私は失礼します」
そう言ってセバスチャンは一礼するとドアを閉じた。
俺と父。
二人だけが閉じた部屋に取り残された。
沈黙は長く続かなかった。
「よく来てくれた、アルベルト」
父の声は平静だった。王の前で再会したときのような驚愕はどこにもない。
「よろしくお願いします、父上」
俺はそう言って頭を下げた。
それは俺も同じだ。お互いに今日という日に備えて心を武装してきたのだから。
父は来客用のソファに手を伸ばした。
「そこに座りなさい」
俺は言われたとおり座った。父は執務机に座ったままだ。
俺が座ったソファは執務机の斜め前にある。父の視界の端に俺は映り、俺の視界の端に父が映る。
そうしようと意識しない限り、真正面から目があうことはない。
それがすなわち――
父が俺に設定した距離感なのだろう。
その距離感は俺にとっても居心地がよかった。父と同じく俺もまた互いの距離を測りかねているのだから。
父が口を開いた。
「アルベルト、王の前で再会したときは驚いたぞ」
「私もです」
「あの家にずっと住んでいるものとばかり思っていた。いつ家を出たのだ?」
「いえ、そんなには――今年から魔術学院に再入学しまして。それからですね」
父はうんとうなずいた後、こう言った。
「……そうか。すまないが、この一〇年間のお前について話を聞かせてくれないか」
俺は順を追って説明した。
と言っても、大半を占めるローラと出会う前の時期は『部屋にこもってマジックアローの魔術書をずっと読んでいた』しかないのだが。
それに比べるとローラと出会ってからの数ヶ月間は実に濃厚だ。
ローラの村でゴブリンたちを退治し、水質調査隊で水の精霊を倒し、カーライルの求めに応じてグリージア湖沼の会戦に参加し――
それまで黙って聞いていた父が慌てたように口を挟んだ。
「……カーライル? あの宮廷魔術師カーライルどのか?」
「はい。その人です」
父の目に、なにやら尊敬のまなざしのような光が灯った。
……あの宮廷魔術師、本当にすごいやつなんだな……。
「どうしてカーライルどのはお前に興味を?」
「……あまり私もよくわかっていませんが、私の魔術マジックアローを受けてもらった縁がありまして。それで目をかけてくれているのかもしれません」
「……そうか。魔術のことはよくわからんが、お前の力が国の役に立っているのなら王国貴族として――父として嬉しいことだ」
それから、ぽつりとこうつぶやいた。
「あれから一〇年、か――アルベルト……お前も国を支える一員になったのだな……」
それは俺に聞かせるように言った感じではなく――
思わず口からこぼれたような言葉だった。
父が咳払いをした。
「話を続けてくれ」
「……いえ、話は終わりです。その会戦に参加して――私は今ここに来ています」
「そうか……そうだったな……」
父は微笑を浮かべた。
しばらくの沈黙。
それから、父がまた話を切り出した。
「アルベルト。では、リュミナス家の一〇年を聞いてもらえるか?」
「お伺いします」
「……と言っても、もう話す意味もないがな。この一〇年間はすべてアレンジアを中心に侯爵家は回っていた。アレンジア、アレンジア、アレンジア。それだけだ」
少し寂しげな顔をしてから父はこう続けた。
「その一〇年間はアレンジアの死とともに失われた。それが、こちらの一〇年だ」
俺は何も答えられなかった。
父の苦悩を思うと口にできる言葉のすべてが軽く感じられた。
ふう、と父が息を吐く。
「……アレンジアは死んだ。それはお前も知っての通りだ」
「はい」
「お前がいなくなった後、家はアレンジアが継ぐ予定だった。だが、その未来はなくなった」
来たか――
俺は思った。
父が本題に触れようとしている。今日ここに俺を呼んだ理由を口にしようとしている。
俺は静かに父の言葉を待った。
「アルベルトよ。この家を継げるのはお前だけだ。出ていけと言ったのは私で――こんなことを言う資格がないことは重々承知しているが……頼む、この家の跡取りとして戻ってきて欲しい」
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