アレンジア・リュミナスの最期
紋章師の首を刎ねるはずだったアレンジアの一閃。
だが、宙に舞ったのは紋章師の首ではなくアレンジアの剣の切っ先だった。
アレンジアの理解を超えた結末だった。
「……こ、これは、どういう――」
「それが絶対防御のタトゥーの効果だ!」
その瞬間、紋章師が腰を下ろしたままシミターを振るった。
いつもならば容易にかわせる一撃だったろうが――
動揺でアレンジアの反応が遅れる。
今回アレンジアと精鋭兵たちは機動力を重視するため、軽装な鎧で身を固めていた。
シミターの鋭い刃が鎧に覆われていない右太ももをざくりと薙ぐ。
「ぐっ!?」
足に激痛を覚えて、アレンジアが後方へとよろめいた。
「アレンジアさまッ!」
精鋭兵たちから悲鳴のような声が漏れる。
アレンジアは紋章師から視線を切らず、にらみつけたまま呪いを吐くような声で問う。
「……絶対防御のタトゥー――? どういうことだ……?」
「そのままだよ。絶対防御。物理攻撃も魔術攻撃も、その威力の99%を俺はカットできる」
言いながら、ゆっくりと紋章師が立ち上がった。
「不思議だと思わないか? 俺の身体にはこれだけのタトゥーが彫り込まれているのに身体能力は常人とほぼ変わらない」
くっくっくっくと紋章師が笑う。
「その答えが絶対防御だ。俺は絶対防御のためだけに、これだけのタトゥーを彫り込んだのさ。大変だったぜ、ここまで刻み込むのは。でも価値はあった。なんせ99%カットだもんなあ? 無敵ってやつだよ。あははははははははははは!」
紋章師の高笑いが響き渡る。
それは己の勝利を確信したものだけができる笑いだった。その笑いに打ちのめされながら、アレンジアは奥歯を噛んだ。
(おのれ……! それを知った上での決闘か!)
何のため?
アレンジアをもてあそぶため。一瞬だけでも勝利の幻想を見せるため。そして――こうやってあざ笑うため。
あまりの屈辱にアレンジアの頭は怒りで沸騰しそうだった。
「貴様! 貴様貴様貴様貴様ァッ!」
「お、いいねえ! そうだよ、そういう反応が見たかったんだよ!」
おどけた様子の紋章師にアレンジアは斬りかかった。
斬られた右脚から血が噴き出し、激痛がアレンジアの身体を突き抜けた。それでもアレンジアは止まらない。
(こいつは! こいつだけは! こいつだけは殺す!)
アレンジアが鬼の形相で紋章師へと斬りつける。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
何度も何度も折れた刃を振り下ろす。
紋章師の顔へ。紋章師の肩へ。紋章師の胸へ。紋章師の腕へ。紋章師の腰へ。紋章師の脚へ。
どの一撃も当たれば絶命は間違いない雷光のような斬撃だった。
だが、何発くらっても紋章師の顔に貼り付いた笑みは消えない。
「ほらほら、頑張れよ。99%カットとか適当に言っているだけで、本当はもう我慢の限界かもしれないぞ?」
言葉とは裏腹に紋章師の服が引き裂けていくだけで――その下にあるタトゥーまみれの身体には傷ひとつつかない。
「……くそ、くそ……くそくそくそくそくそ!」
失敗は明白だった。アレンジアの明敏な頭脳は告げている。もうここからの逆転はないと。
どこで間違えた?
こんなはずではなかった。
トカゲどもを掃滅し、紋章師の首を刎ね、さすがはアレンジアさま! と讃えられながら凱旋するはずだったのに。
どこで間違えた?
リュミナス家の後継者になる未来も。
王の寵愛のもと内政を取り仕切る未来も。
すべてが霞のように消えた。自分が確かにあると思っていたものが。自分の命すらも。
こんなはずではなかった。
どこで間違えた?
どこで間違えた?
どこで間違えた?
どこで間違えた?
どこで間違えた?
怒りに染まっていたアレンジアの心がだんだんと薄暗くなっていく。暗い感情が、虚無そのものが心に翼を広げる。
アレンジアはその存在を生まれて初めて知った。
その名は絶望。
それを見た人物の未来に終止符を突きつける断罪者。
もう無理だ。
意味がない。
そう思ったアレンジアの腕は――いつの間にか剣を振るうのをやめていた。
「はあ……はあ……はあ……はあ……はあ……」
荒い息をつくアレンジアの手から剣が滑り落ちる。
「終わりかな、お坊ちゃん?」
紋章師がアレンジアの右太ももを蹴りつけた。疲労困憊のアレンジアは耐えきれず地面に転ぶ。
もう見ていられない――
そう判断したアレンジアの精鋭兵たちが動き出した。
「アレンジアさまをお助けするのだ!」
猛然と紋章師へと襲いかかる。
「はっ!」
紋章師が笑い、両肩をすくめた。
「決闘の中止は認めないと言ったのはお前らのほうなのになあ! そうさ! いつだって嘘をつくのはお前たちだ!」
言うなり、紋章師が口笛を吹いた。
静観していたリザードマンたちが動き出した。彼らは彼らの主である紋章師を守ろうと精鋭兵たちに躍りかかる。
乱戦になった。
あっという間にアレンジアの精鋭兵たちは殺されていった。リザードマンの剣が、爪が、次々と赤く染まっていく。
無理もなかった。
アレンジアの精鋭は確かに強かったが、それは心を冷静にして戦えばこそ。瀕死の主を守ろうと焦り――瀕死の主の姿に動揺した状態で本来の力が発揮できるはずもなかった。
死んでいくアレンジアの部下たち。
その命がひとつ消えるたびに希望の灯火がひとつ消える。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ……!」
その光景はアレンジアにとって絶望だった。
敗北が――
死が――
少しずつアレンジアへと近づいてくる。部下たちの命を刈り尽くした後、それは間違いなくアレンジアを呑み込むだろう。
背中が凍り付いたように冷たかった。両肩がわけもなく震えた。心臓が杭でも打ち込まれたかのように痛む。
(……逃げろ! 逃げるんだ!)
アレンジアはよろよろと立ち上がると、死にゆく部下たちに背を向けて走り出そうとした。
だが、右脚が思うように動かない。
「うあっ!?」
アレンジアは悲鳴を上げて、ぶざまに転んだ。
アレンジアの動きに気がついた紋章師がせせら笑う。
「おや? お前のために戦おうしている部下を見捨てて逃走かな? いいね! それこそが人間の本質だよ! あがけあがけ、お坊ちゃん! 奇跡が起きるかもしれないぞ?」
紋章師の煽りなどアレンジアには聞こえていなかった。
(……死にたくない……! 死にたくない! 俺は大貴族アレンジア・リュミナス! こんなところで死ぬ人間じゃあない!)
再びアレンジアはよろよろと立ち上がる。
そんなアレンジアの背中に紋章師が冷酷な視線を向けた。
「逃さんけどな」
その瞬間、アレンジアの前方に立つリザードマンが槍を投げた。その槍はアレンジアの腹を打ち抜き、勢いに押された倒れたアレンジアをそのまま地面に縫い付けた。
「あっ、あっ、あっ、あっ、あっ!」
アレンジアは激痛に我を失ってのたうった。何が起こったのか理解できなかった。いつの間にか自分は空を見上げて血を吐いている。逃げようとしても身体は動かず、むしろ身体を動かすと痛みが広がる。
動けないアレンジアにリザードマンたちが近づいていく。その手に剣、斧、槍――さまざまな武器を持って。
紋章師が笑った。
「甘い夢と楽な仕事に囲まれて育った苦労知らずの大貴族さまだ。苦しまずに殺して差し上げろ」
表情の読み取れないリザードマンたちの顔がぬっとアレンジアをのぞき込む。
逃れられない死への恐怖がアレンジアの体内で爆発的に膨らんだ。
「やめろ、近づくなッ! 下賤なトカゲどもが! この俺はアレンジア・リュミナス! 王国の次代を支えるもの! こんなところで――貴様らごときの手にかかるような――!」
リザードマンたちが武器を振り下ろした。
アレンジアの全身を激痛という激痛が走った。肉が裂け、内臓が断ち切られ、血液が身体から一気に流れ出る。
「ぐ……あ……」
アレンジアの意識は急速に薄れていった。
もはや未来を失ったアレンジアは過去を――栄光に満ちあふれた過去を口から絞り出した。
「俺はアレンジア……お前らとは、生きる世界が――!」
ごば、とアレンジアの口から血があふれる。
そのアレンジアの視界をリザードマンの大きな足が塞いだ。
「オマエ……ウル、サイ」
リザードマンがそう言った。少しだけ話せる人語でそう言った。
リザードマンの足がギロチンのように振り下ろされ、アレンジアの頭を卵のように踏みつぶす。
それが大貴族アレンジア・リュミナスの最期だった。
さようなら、アレンジア!
前話で意外とポイントをいただいたので、勝負をかけてみようと思います。
面白いよ!
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ここから本章クライマックス。アルベルトの活躍にご期待ください!




