アレンジアの大勝負
第三戦が終わった夜――
俺はひとりベッドでうつらうつらとしていた。
惨敗だったらしい。
第二戦でも充分に暗かった本陣の空気は完全にお通夜だった。
「こ、これは……俺たちは乾杯! お疲れさま! ってやりたいですけど、そういう空気じゃないですね……」
リヒルトは顔を引きつらせて戦勝会の開催を見送った。
戦勝会。
周囲は大変だったようだが、俺たちは何の苦労もなかった。
別働隊である俺たちを追ってきたリザードマンを淡々と倒していただけだった。
「あっちからリザードマンが!」
「マジックアロー」
「あっちにもリザードマンが!」
「マジックアロー」
「ああ、あんなところにもリザードマンが!」
「マジックアロー」
「マジックアロー」
「マジックアロー」
「マジックアロー」
「マジックアロー」
そんな感じの一日だった。出てくるリザードマンを俺がマジックアローで延々と打ち抜いていた。
「あー……やっぱアルベルトと一緒にいて正解だったわ……」
とフィルブスが言い、
「すげー! アルベルトさんのおかげで余裕っす!」
とリヒルトが喜んだ。
そんなに感動することなのだろうか。確かに俺のマジックアローは少しばかり他の術者よりも強いようだが、しょせん相手はリザードマン。それなりの術者なら同じことができる気もするのだが。
そう言えば――
「今回、かなりやばいやつが混じっていたな。超強個体とでも言うか……タトゥーまみれのやつ。強すぎだよ。あんなのどうすりゃいいんだよ……」
本陣に戻ってきたとき、兵士たちのそんなつぶやきを聞いた。
そいつが兵士たちの言っている強いやつなのかよくわからないが、確かに俺たちの前にもタトゥーまみれのやつが現れた。
そいつは俺のマジックアローを見て逃げ出そうとしたリザードマンをいきなりぶん殴ったのだ。
逃げようとしたリザードマンは派手にぶっ飛び、変な角度に首を曲げて泡をふく。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
タトゥーまみれのリザードマンは己の胸を叩き、俺たちを威嚇するかのように叫んだ。
戦意に燃えるリザードマンがこちらへと走り出す。
「あいつ、何かヤバい気がします……!」
隣のリヒルトがたじろき、後ろによろめく。
俺は右手を差し出していつもどおり淡々と言葉を発した。
「マジックアロー」
俺の放った白い矢がリザードマンを直撃した。リザードマンは悲鳴を上げると、後方へと派手に吹っ飛んで動かなくなった。
「あ、あれ……また一発なんだ……」
リヒルトが間の抜けた声を出す。
……という感じでタトゥーまみれのやつも一撃で死んでしまった。なので強いのかどうかよくわからない。
そんな感じで俺たちは危なげなく本陣へと戻ってきて――
本隊の惨状を知った。
俺が考えているのはアレンジアのことだった。
この作戦の総指揮官はアレンジア。作戦の成功も失敗も、すべてはアレンジアに帰する。
今の状況はどう考えてもよくない。
俺はアレンジアを深く知っている。
アレンジアは子供の頃から優秀だった。何をやらせてもそつなくこなし、みんなが無理だと思うこともあっさりやってのけた。
それだけの才能を持っていた。
だからこそ、昔から『多少の無茶』をやりきって、当たり前のように成功させていた。
俺は思う。
もう退くべきなのだ。兵士たちの士気は低い。
その事実を誇り高いアレンジアは認めないだろう。そして、子供の頃から当たり前のように成し遂げてきた『乾坤一擲』に挑んだりしないだろうか。
可能性はある。
俺にはそんな気がした。
だが、もう子供の頃とは違う。ここは戦場で、すでにアレンジアの想定を上回って悪化している。
今は冒険をするときではない。
学院から逃げ帰り、絶望の淵にいた俺に冷たい目を向けた弟。
久しぶりの再会に「はじめまして」と言った弟。
アレンジアへの感情は今もまだ俺のなかで消化できていない。
それでも俺は口にせずにはいられなかった。
「アレンジア、今は退くんだ……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第四戦が始まった。
「今までの諸君らの奮闘に感謝を表する! 苦しい戦いであったが、それも今日まで! 本日、我々は大勝利を飾り、王都へと凱旋の途につく! さあ、今日が戦果を挙げる最後のとき! 王国への忠誠を示すのだ!」
出撃前にアレンジアが檄を飛ばす。
しかし、兵士たちの士気はまったく高まらなかった。第三戦の大敗に加えて、歯が立たなかった超強個体リザードマンへの対応を何も示さぬままの『前進せよ』。
兵たちも死にたくない。やる気が出ないのも無理はなかった。
(ふん……お前たちがそうなるのは織り込み済みだ)
冷めた目でアレンジアは兵たちを見た。
すでにアレンジアは兵たちをあてにしていなかった。前に出ないのならそれでいい。せいぜい的として俺が活用してやろう。
そんな態度をおくびにも見せず、アレンジアは号令した。
「この戦いの勝敗は諸君らにかかっている! 奮闘を期待する! 全軍進め! トカゲどもを蹴散らし騎士の意地を見せよ!」
アレンジアのその言葉とともに全軍がグリージア湖沼の各地へと散っていった。
そう、散っていった。
今までは別働隊でリザードマンの戦力を散らし、本隊の一点突破でリザードマンを倒していたが、今回はそうではなかった。
全体的に。
まばらに。
それがアレンジアの部隊の展開方針だった。
なぜそんなことをしたのか?
答えは簡単。
本隊の残部隊すべてを『別働隊』としたのだ。
なぜそんなことをしたのか?
答えは簡単。
「――見えたぞ」
小高い丘にアレンジアと精鋭たちは布陣していた。
アレンジアはそこからリザードマンたちの集落を見下ろしていた。彼の背後には四〇を越える兵士たちが立っている。彼らはアレンジア直属の部下で、その目に宿る戦意はすこぶる高い。
それがアレンジアの作戦だった。
本隊そのものを囮として集落までの道を切り開き、アレンジア直属の部隊で集落を直撃する。
なんのために?
紋章師の首を討つために。
もはやリザードマンを撃滅することは叶わない。だが、何の手土産もなく王都に戻ることなどできない。
せめて争乱の元凶たる紋章師の首を落とせば最低限の体裁は整う。
それがアレンジアの考えた落としどころだった。
(……本当は総指揮官の俺が最前線などに出たくはないのだがな)
だが、出る必要があった。
ここは勝負所。
アレンジアが前線に立つことで部下たちの戦意を引き出すのだ。
アレンジアに恐怖はなかった。そんな無茶なことを――そんな言葉は子供の頃からいつも言われていた。そして、それを涼しい顔でやり遂げてきた。
自分にはその才がある。
自分にはその運がある。
(持って生まれたものが凡人どもとは違うのさ)
アレンジアがにやりと笑う。
この苦境も、いつかはアレンジアの立志伝のいいスパイスとなるだろう。
今回も同じだ。
いつもどおり乾坤一擲を成し遂げるだけ。乾坤一擲? 違う。アレンジアにとっては当たり前で簡単なことを。
アレンジアは王より賜った剣を集落へと向けた。
「突撃する! 紋章師の首をとるぞ!」
その声とともに――
グリージア湖沼の最終決戦が始まった。




