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紋章師


 きん、きん、きん、きん。

 小刻みな金属音が粗末な小屋に響き渡っていた。


 薄暗い部屋に一体の巨大なトカゲが座っている。いや、違う。トカゲがあぐらをかいて座れるはずがない。

 リザードマンだ。

 一体のリザードマンが瞳を閉じてじっと座っている。


 その前方にひとりの男が立っていた。

 頭にターバンを巻いた浅黒い肌の男だ。年の頃は三〇前後。かげった部屋の中で金色の瞳だけが煌々と輝いている。


 きん、きん、きん、きん。

 金属音はその男の手元から産み出されていた。

 男は鱗で覆われたリザードマンの上腕に太い釘のような針を押しつけて、逆の手に持った小鎚で針の頭を繊細な手つきで叩いている。

 針は鱗を突き破り、そこに黒い染みを刻み込む。

 すでにそうやって描かれた無数の点描がリザードマンの上腕に複雑な文様を描き出していた。


 タトゥーを。


 彼こそが紋章師。

 リザードマンの集落に住み込み、王国を苦しめる強個体のリザードマンたちを産み出している張本人だ。彼自身の肌にも奇っ怪な形をしたタトゥーがあちこちに彫り込まれている。


 紋章師が作業に没頭していると――

 かつり、と背後に足音が響いた。


「――精が出るのお」


「じじいか」


 紋章師は振り向きもせずに言う。

 背後にはルガルドの元にいたローブを身にまとい、フードを目深にかぶった老人が立っていた。


「精が出る? お前がやらせておいてよく言うな。毎日毎日きんきんきんきん――いくら俺がタトゥー好きでもさすがに飽きるぜ」


「悪いが、頑張ってもらう以外の選択肢はないのう」


「はっ! わかっているさ! 愚痴ぐらい聞け、じじい!」


 ぺらぺらと喋りながらも紋章師は手を止めない。そして、手元は少しも狂わない。

 それがわかっているからこそ――

 ローブの老人は遠慮なく話しかける。


「戦況はどうかの?」


「初戦はくれてやった――タトゥーの少ない連中をあてての様子見だ。この辺だと騎士連中には勝てないな」


「ほうほう」


「次は中堅をぶつけた。それなりなんじゃないかな。この辺だといい勝負になるようだ」


「なるほど――で、三度目の今回はどうなるのかの?」


「地獄だよ」


 くっくっくっくと紋章師が喉の奥で笑った。


「精鋭部隊を投入してやった。数は少ないが、俺の力作どもだ。生半可な連中では止まらんよ」


「よいよい。まことによいのう」


 老人が噛みつぶしたような笑い声をこぼす。


「王国の連中はいずれ叩きつぶす羽虫。ここで死んでもらえるのならありがたい限りじゃ。殺せる限り殺しておけ」


 そして、老人は続けた。


「この戦、勝利は間違いなさそうじゃのう」


「そうだな……」


 不安げに揺れた紋章師の語尾。

 老人はそれを聞き逃さなかった。


「何か心配事でもあるのかの?」


「……いや、まだ要領を得ない話なんだが――やたらと強い白い矢を放つ敵がいる、とリザードマンどもが言ってきている」


「やたらと強い白い矢……?」


 老人が首をひねった。


「なんじゃそれは?」


「さあな。白い矢と聞いて思ったのはマジックアローだが――やたらと強いってのがな……」


 紋章師は首をひねる。

 それは無理のない推論だった。魔術の威力は術者の魔力次第で上がる部分もあるのだが、強力な魔力を持つ術者ならばマジックアロー以上に強力な攻撃魔術を使うのが常識だ。

 初学者しか使わないマジックアロー。

 強いはずがないのだ。


「……よくわからんのう」


「ま、また今日も報告があるだろうよ。それを待つとするさ」


 きん。

 ずっと動き続けていた紋章師の手がぴたりと止まった。問題があったからではない。

 紋章師はそろりと数歩下がると、じっと己の彫り込んだタトゥーを見た。

 そして、にやりと笑う。


「完成だ」


「ふぉっふぉっふぉっふぉ。よいよい。よいぞ」


 老人の気配と声が遠ざかった。

 振り向きもせずに紋章師が声を掛ける。


「じじい、帰るのか?」


「状況が聞けたからの。戦いが終わったら今度はお前のほうから神殿に顔を出せ。詳しい話を聞かせてもらおう」


 その言葉が終わると同時、老人の気配は消えてなくなった。

 紋章師は老人の姿を確認しない。じっと視線はリザードマンに向けたまま、再び針と鎚を持って近づく。

 きん、きん、きん、きん。

 そして、何事もなかったかのようにリザードマンの胸板に新しいタトゥーを彫り始めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 第三戦が終わった日――

 アレンジアは執務室で頭を抱えていた。

 デスクの周辺には彼が怒りで投げ散らかした報告書がぐしゃぐしゃになって散乱している。


 惨敗だった。


「アレンジアさま、このグービルバルフィスにお任せください!」


 そう言って、意気揚々と出撃した第二戦の英雄。

 第二戦ほどではなくてもそれなりには戦果を挙げるだろう――

 そのアレンジアのもくろみは見事に崩壊した。


「グービルバルフィスさま、戦死」


 開始してすぐの出来事だった。


「は?」


 いつもは表情と感情を完全にコントロールしているアレンジアだったが、さすがに態度に出てしまった。

 何かの間違いかと思った。

 だが、間違いではなかった。リーダーを失ったグービルバルフィス隊は統制を失い、リザードマンたちに蹂躙された。

 第二戦で奮闘した隊の、あっけない全滅。


(……あ、あのバカが!? 負けるにしても負け方があるだろう!? お前は先鋒なのだぞ。こんなことになったら……!)


 あっという間に各隊の戦意は地に堕ちた。高い士気を保っていた第二戦でわずかに有利だった戦局は――

 不利へと一気に傾く。

 それだけではない。


「恐ろしいほどに強いリザードマンの個体が混ざっています! は、歯が立ちません!」


 そんな報告まであった。

 尋常ではないタトゥーを彫り込まれたリザードマンらしく、その腕力も体力も圧倒的で数人がかりで挑んでもあっさりと返り討ちにあうらしい。


「聞いていないぞ、そんな存在――!」


 がりっとアレンジアは奥歯を噛みしめた。

 おそらくは敵の切り札。

 たかだかトカゲ狩り――そう思っていたアレンジアだが、ようやく認識を改めた。

 これはそんな生やさしいものではない。


(くそ……まさかこの俺が、こんな勝ち目のないクソ任務をやらされるなんて……!)


 退却するべきだ。

 アレンジアの明敏な頭脳はそう結論づけた。さいわい今回は味方の士気が低すぎたこと、敵が強すぎたことで戦闘は長く続かず、被害はそれほど大きくない。

 部隊を建て直し、新しい情報を持ち帰ればいい。


「……いや……ダメだ……」


 アレンジアはどんと机を叩いた。

 それは『失敗』だ。

 そんなものを王都に持ち帰れない。そんなことをすればアレンジアの名は地に堕ち、王の寵愛を一瞬で失うだろう。

 たかだかトカゲに負けた男。

 その汚名はずっとついて回る。


「……落としどころが必要だ。……何かないのか。何か……」


 そうやって巡らせた思案の果てに――

 ついにアレンジアは光明を見いだした。


「そうか……ひとつだけあるぞ……まだ俺には打つ手がある――」


 その口元がにやりと歪む。アレンジアの目に危うげな輝きが灯った。



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shoei
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