暗転
「え? アルベルトさんたちがうちに?」
リヒルトはそう言うと、俺たちを見て目を丸くした。
リヒルト・シュトラム男爵。開戦時に遅れてやってきた俺たちが助けた別働隊のリーダーだ。
リヒルトの言うとおり、俺たちは彼の率いる別働隊に加わることになった。
三度目の会戦が始まる前――
フィルブスに連れられて俺たちはここにやってきた。
「よろしくな、リヒルト」
ぽん、とフィルブスがリヒルトの肩を叩く。
リヒルトは納得いかない様子で首を振っていた。
「いやいや、でも、うちの隊はすごく危険で――皆さんは学院からの助っ人ですよね? こんな人事ありえないと思うんですけど……何かの間違いですよ! 俺、本部に確認してきますから!」
そう言って歩き出そうとするリヒルトをフィルブスが捕まえる。
「俺が上からじかに聞いた話だから。間違いないって」
フィルブスはくいっとあごで俺をさした。
「もともとは、あそこのアルベルトだけをここに入れるって話が降りてきてな……」
それは初耳だった。
「俺だけ?」
「そう、アルベルトだけだった。最初はな」
「ならなぜ先生やローラまで一緒に?」
「俺がそうさせてくれと言ったからだ」
フィルブスがあっさりと答えた。
俺には理解できなかった。別働隊が危険というのは愚鈍な俺でももうわかっている。なのに、なぜフィルブスはそんな判断を――
「教師としての責任感ですか?」
ならば、そんなものは考えないで欲しいと思った。何もフィルブスや、ましてローラまでが危ない目にあう必要はない。
フィルブスは戸惑った様子であごをかいた。
「……まあ、そういう理由だと言いたいところではあるんだが……本当のことを言うと、お前の近くにいたほうが安全だと判断したからだ」
「え。俺の近くが……?」
まったく意味がわからなかった。
フィルブスは何を言っているのだろうか。教師のフィルブスのほうが頼りになるのに。フィルブス流の照れ隠しだろうか。
「せめてローラだけでも本隊にいたほうが――」
「心配しないでください、アルベルトさん! わたし頑張りますから。アルベルトさんだけを危険な目にあわせるわけにはいきません!」
両手をぎゅっと握り、ローラがそう言ってくれる。
俺は煮えきれないものを感じていた。
危険な目に遭うのは俺ひとりでいい。それにみんなを――特に若いローラを巻き込むのはよくないと思った。
「しけた顔すんなよ」
フィルブスがぽんと俺の胸をはたく。
「安心しろ。お前がしっかりしていれば俺たちは――リヒルトたちも含めて誰も死なない。俺が保証するよ。……ローラのことが心配なら、必死になって守ってやれ」
にやりとフィルブスが笑う。
その言葉は――
俺に誓いを思い出させた。
そう、カーライルに呼び出されて従軍を命じられた日、己自身に誓ったではないか。
ローラが俺を英雄と信じてくれるのなら――
俺がローラを守ろう、と。
俺はローラを見た。
ローラは信頼に満ちた目で俺をじっと見つめている。その目は俺とともに戦うことを強く望んでいた。
わからない。
俺は本当にローラが信じるほどの英雄なのだろうか。
ローラに背中を預けてもらえるほどの価値のある男なのか。
わからない。
だが、信じてくれたのだ。
俺にはその信頼に応える必要がある。
俺はフィルブスに目を向けた。
「……わかりました。俺が――やります」
「ああ、頼んだぞ」
フィルブスがふっと笑った。
そして、遠くの場所に目を向けてぼそりとつぶやく。
「前回の勝利――誰がそれを成し遂げたのかを読み誤ったな……今日の本隊はどうなるか。高い代償を払うことになるだろう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「ううううおおおおおおおお! 騎士の力を見せるぞ!」
グービルバルフィスが叫ぶ。
彼の背後に付き従う兵士たちが大声で、おおおお! と吠えた。
第二戦の勇戦をアレンジアに評価されたグービルバルフィス隊は第三戦の先鋒を命じられた。
――思うように敵を蹴散らせ。
出撃前のグービルバルフィスにアレンジアはそう命じた。
さらにこう続ける。
「第二戦の活躍――私は決してまぐれとは思っていない。この戦いでも存分に力を発揮してくれ。勝敗は君の活躍いかんだ」
総指揮官アレンジアの直々の言葉に、グービルバルフィスは身体が熱を帯びるのを感じた。
流れが来ている。
王の寵愛を集めるアレンジアがグービルバルフィスへの期待を抱いている。
ここで成果を出せば――
その想いはグービルバルフィスの思い違いではなかった。
アレンジアがグービルバルフィスに顔を近づけてささやく。
「……成果だ。この戦を勝利に導いたのは君だという手柄をあげろ。君がそうすれば私は君の名を忘れることはない。王に取りなし、君の手腕にふさわしい地位を約束しよう」
その言葉は、戦場に到着した今でもグービルバルフィスの耳元に残っている。
グービルバルフィスは両肩に力を込めた。
何という奇跡。
そう簡単には開かない――人によっては見ることすら叶わない栄達への扉がそこにある。
がぱりと口を開けて待っている。
グービルバルフィスが飛び込むのを待っている。
(必ずやアレンジアさまの期待に応えてみせよう!)
グービルバルフィスは両手剣を引き抜いた。
「ギィエエエエアアア!」
眼前には二〇を越えるリザードマンの群れがいて、奇声を挙げつつ突進してくる。
「マジックアロー!」
背後に立つ魔術師隊が次々とマジックアローや他の攻撃魔術を打ち放つ。
それはリザードマンの群れに襲いかかるが、その突進はまったく弱まらない。あっという間にリザードマンたちは魔術の波濤を駆け抜けた。
グービルバルフィスは舌打ちした。
(へなちょこマジックアローばかり! まったく役に立たん連中だな、魔術師どもは!)
やはり信じられるのは己の剣のみ。
グービルバルフィスは剣を掲げて叫んだ。
「いくぞ、騎士隊! 前へ!」
おおおおおおおおおおお!
グービルバルフィスとともに騎士たちが前進する。
肉弾戦が始まった。
向かってきたリザードマンをグービルバルフィスは容赦なく大剣で両断する。
「ぬはははははは! トカゲごときが!」
そのとき、ぬっと他の連中よりは一回り身体の大きいリザードマンがグービルバルフィスの前に姿を現した。
両腕や顔にはびっしりと、他の部分にもかなりのタトゥーが彫り込まれている。
構わずグービルバルフィスは突っ込み、両手剣を振った。
「死ねい、トカゲが!」
グービルバルフィスの強烈な斬撃は、リザードマンが持っていた粗末な剣と盾を一瞬で破壊した。
守るべきものがなくなったリザードマンの顔めがけてグービルバルフィスは剣を振るう。
「終わりだ!」
がぎん!
肉を切断する音ではなく――
鋼の割れる音が響いた。
「な、なに……!?」
思わずグービルバルフィスは驚きの声を漏らす。
リザードマンの首は飛んでいなかった。それどころか、リザードマンが口で剣を噛み止めていた。
無数に並び立つ鋭い歯が両手剣のぶ厚い刃に突き立っている。
ばぎり。
鈍い音ともに刀身をかみ砕かれた剣が真っ二つになった。
「ば、化け物……」
あっけにとられるグービルバルフィスの隙をつき、今度はリザードマンがグービルバルフィスの腹を殴った。
その一撃、たった一撃は鋼鉄の鎧を打ち砕き、衝撃をグービルバルフィスの腹にまで貫通させた。
今まで感じたことのない痛み――まるで内臓が破裂したかのような激痛を覚えながらグービルバルフィスは身体を折った。
すさまじい膂力。
今までの強個体とは一線を画す力だ。
(……こいつ、今までのやつらより、強い――!)
今度はリザードマンの右こぶしがグービルバルフィスのこめかみに炸裂する。
何かが爆発した。
それがグービルバルフィスの知覚した最期の感覚だった。
グービルバルフィスは地面に倒れて――二度と動かなくなった。




