おかえりなさい、アルベルトくん
「アルベルトを水質調査に連れていく――お前の読みがずばり当たった結果だな、カーライル?」
王城の執務室。
ソファに座ったフィルブスがカーライルに話しかける。宮廷魔術師はふっと短く笑った。
「正直なところ、こんなことが起こるとは思ってもいなかったけどね……」
劣等生であるアルベルトを水質調査に押し込んだのはフィルブスの言うとおりカーライルだった。
そこに蠢動する『闇』のにおいをかぎ取っていたカーライルは損にはならないだろう――という程度の思惑でアルベルトを入れたのだ。
だが、その気まぐれがなければ生徒たちの被害は無視できないものになっていただろう。
「大活躍だったらしいね、アルベルトくんは?」
「ああ。学校でも大評判だよ」
「彼の武勇伝を聞かせて欲しいね」
「王国には学院から報告したと思うが?」
「学院の狸どもがメンツと見栄を守るために労をこらした作文などあてにならないよ。僕は何事にも率直な君の忌憚ない意見が聞きたい」
「やれやれ……」
フィルブスは頭をがしがしとかく。
「アルベルトが倒したのは狂った水の精霊だ。もともと教師のフーリンとブレインの二人が相手をしていて相応に弱らせてはいた。おそらくアルベルトがいなくても時間さえあれば勝てただろう。だが、アルベルトはそれをただの一撃で終わらせた。二人の報告によるとな」
「ふむ、報告書の通りだ」
うなずいた後、カーライルがこう続けた。
「報告書と同じく肝心な部分がない。アルベルトが何の魔術を使ってただの一撃で水の精霊を倒したのか、が」
フィルブスは両手を挙げた。
「ご想像の通り、マジックアローだよ」
「マジックアロー、か」
ふふふ、とカーライルが笑った。
「内緒はよくないねえ」
「許してくれよ。俺たち学院側も正直なところ受け入れられていない。ただのマジックアローが水の精霊を一撃で倒したなんてな……。だが、フーリンもブレインも確かに言った。アルベルトは間違いなくマジックアローを放っていたと」
カーライルは静かに考える。
もはやそれは普通のマジックアローではない。
だから学院は報告できなかったのだ。自分たちが理解できない代物を曖昧な物言いと文脈に封じ込めた。
「アルベルト本人もマジックアローだと言っている。だが、学院は懐疑的でな。きっと何かの勘違い、他の魔術が発動したのでは? と考えている」
カーライルは学院の石頭どもめ、と苦々しく思いながらも同情する気持ちもあった。
魔術を真面目に勉強している人間ほど今回の出来事は納得ができないだろう。
ありえないことなのだから。
おまけに――
カーライルはつぶやく。
「ただの狂乱の精霊ではない。闇の力を得た強化体だ」
それを、ただのマジックアローで打ち倒したなどと。
ことん、とカーライルは引き出しから取り出した小瓶を机に置いた。小瓶には墨を溶かし込んだかのような黒い液体が詰まっている。
調査隊がビヒャルヌ湖から持ち帰ったものだ。
「たっぷり『闇』の染み込んだ汚水だ」
こんなものに汚染されていれば精霊も狂ってしまうだろう。
フィルブスは興味深げに小瓶を眺めた。
「あのバカでかいビヒャルヌ湖をそれだけ汚染するとは……連中、何をしていたんだ?」
「さあな……だが、伝説に名を残すほどの何かが絡んでいてもおかしくはないな」
冗談めかして言ったが、さほど冗談ともカーライルは思わない。
それだけの汚染量だ。
生半可なものであるはずがない。
ちっとカーライルは舌打ちした。
こんなものを半年も見過ごしてしまうとは!
なにが天才宮廷魔術師か!
だが、無理もない話だった。闇の勢力の蠢動は王国のあちこちで数を増やし始めている。なのに、いまだにカーライルを初めとする王国内の主要人物しか実態を知らない。
動ける人間はとても限られている。
そんな条件でもカーライルは人間にできる最善に近い結果を出し続けているが、どうしても漏れてしまうものもある。
(言い訳だな……)
カーライルは首を振った。
事態はカーライルひとりの手で包み隠せる状況ではない。このままだと王国はいずれ混乱の最中に放り込まれるだろう。
状況を好転させるジョーカーが必要だ。
「アルベルト、本当に君には――この国の英雄になってもらわないとダメかもしれないね」
カーライルは謎めいた青年の顔を思い浮かべ、ふっと笑った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
水質調査隊が帰ってきてから一週間後。
王立学院の大ホールに全生徒が集まっていた。
水質調査隊が巻き込まれた事件において成果を上げた生徒を表彰するためだ。
その生徒とは――
「行くわよ、アルベルトくん」
隣のフーリンが緊張した声で言った。
「ああ」
ばん、と俺たちの前にある両開きのドアが開く。
ドアはホールの前方にある。
だから、居並ぶ生徒たちと向き合う形になった。
こちらを向く生徒たちがいっせいに俺たちを――俺を見た。
あいつは一体何なんだ。
その視線のすべてがそう話しかけてくる。
フーリンはぎくしゃくした動きで俺より先に歩き始める。俺はフーリンの後を追った。
その向かう先には老齢の学長が立っていた。
俺とフーリンが立ち止まると、学長は手に持っていた賞状を読み上げた。
「アルベルトくん! 君は水質調査隊が巻き込まれた危機的な状況において非凡な能力を発揮し、生徒たちを苦難から救ってみせた! 誰かが死んでもおかしくはない状況だったが、君がいたおかげで最悪の不幸は免れることができた! 君の勇気と才能を評し、この賞状を授ける!」
俺は前に進み出ると校長の差し出した賞状を受け取った。
不思議な気分だった。
一〇年前には何の成果も残せなかった俺が、今こうして全校生徒の前で学長から表彰されている。
俺という人間は特に変わっていないのに。
なにが変わったというのだろうか。
「ありがとうございます」
俺は賞状を受け取るとフーリンの元へと戻った。
学長が言葉を続ける。
「さらに! アルベルトくんの力を認め、彼に『鉄の校章』をここに授与する!」
今まで静かだった生徒たちが、おお、とどよめいた。
今度の発表は衝撃的だったのだろう。
鉄の校章――それは三年生への昇格に必要な条件だ。俺はそんなものを与えられてしまったのだ。二年生への昇格に必要な『石の校章』を飛び越えて。
学長の後ろから教師が箱に入った校章を持って歩いてくる。
その教師の前にフーリンが進み出た。怪訝な顔をする教師に「わたしに任せてください」と言って校章を受け取る。
フーリンは俺へと振り返りにこりと笑った。
続けて小声でこうささやく。
「ごめんね、でしゃばって……でも、どうしてもわたしがやりたかったから」
フーリンは俺の制服の襟元に手を伸ばす。
そして、優しげな手つきで校章をとりつけてくれた。その最中、フーリンはうつむいたまま鼻をグスグスとさせている。
その手は小さく震えていた。
そして、俺にささやくような声で話しかける。
「本当に……本当に……おめでとう、アルベルトくん……あなたの努力が報われたのよ。一〇年前は……悲しい結果に終わったけど……これはあなたが……やっとつかみ取った校章。……一〇年前のあの日も……その後の一〇年も……無駄じゃなかった……今度こそあなたはやったのよ……」
フーリンが手を離す。
俺の襟元で鉄の校章が鈍い輝きを放っていた。それは華やかな色ではなかったけど――俺には光り輝いて見えた。
俺は手にしたのだ。
フーリンの言うとおり、一〇年前は届かなかった校章を。
フーリンは目元をそっと拭うと最後に小さくこう言った。
「おかえりなさい、アルベルトくん」
本章終了です。
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