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それぞれの終わり、それぞれの明日

 俺は早朝、また湖の前に立っていた。

 湖には誰もいない。荒らされたテントの残骸だけが残っている。


 さいわい死者はおらず、多少の負傷者だけですんだ。回復魔術であっさりと治るレベルだ。

 ただ、ここは泊まれる状況ではなくなったので少し先にある街に急きょ宿を求めることになった。


 俺は早く目が覚めたので、ひとりで湖岸までやってきた。

 学生たちが使っていたテントは踏み荒らされ、おそらくは泥人形だったろう泥のかたまりがあちこちに倒れている。


 だが、湖そのものはなにも変わらない。

 おそらくは一〇〇〇年以上も変わらない静謐さのまま、昨日の騒ぎなどなかったかのように静かにたたずんでいる。


 いや、昔と比べて――

 ひとつだけ違うか。

 湖の水は依然として黒く澱んでいる。


 そう、それでいい。


 俺はここに試したいことがあってきたのだ。

 昨日の夜、俺は狂乱した水の精霊を打ち倒した。あのとき、俺のマジックアローは精霊の胸にあった黒いコアを打ち抜いた。

 あの感覚。

 水から汚物を弾き飛ばす感覚。

 あの感覚はピュリフィケーション――水の浄化に応用できるのではないだろうか。

 発想の転換が俺のマジックアローにディスペルマジックの限界突破を促したように、この感覚も進化の引き金にはならないだろうか。

 そう思うともう落ち着いてはいられない。

 眠れないベッドから飛び起きてここまでやって来てしまった。


 右手を差し出し、俺は引き金となる言葉を口にする。


「マジックアロー」


 俺の手から放たれた白い矢が湖面に着弾、水しぶきを上げる。

 だが、それだけだった。

 揺れた湖面は黒く澱んだままだった。

 俺はため息をつき身体が脱力させた。

 やはり、ダメか――

 などとは思わない。

 一度の失敗でくじけるつもりはない。


「マジックアロー」


「マジックアロー」


「マジックアロー」


「マジックアロー」


「マジックアロー」


 次々と白い矢が湖面に着弾する。だが、どのいずれも水の色を変えなかった。

 それでも俺は繰り返す。


「マジックアロー」


「マジックアロー」


「マジックアロー」


 失敗も挫折も一〇年前にさんざん味わった。己の無価値さなどとっくの前から知っている。

 だけど、俺は前に進むと決めたのだ。

 一〇年ぶりにドアを開けると決めたのだ。


 それに、あの光景――

 マジックアローがディスペルマジックを成し遂げた奇跡の光景。あれは今も俺の脳裏に焼き付き、俺を支えている。


 奇跡は起こるのだ。

 積み上げた努力は無駄にならないのだ。

 俺はそれを知っている。


「マジックアロー」


 もうどれほど繰り返しただろうか。

 唐突にそれは起こった。

 着弾したポイントを中心に、ぱっと水面が透明になったのだ。


「――!?」


 だが、一瞬後にはすぐに周囲の黒いよどみに呑まれて元に戻ってしまった。

 確かに見た。

 見たが――

 本当に見たのだろうか?

 少しばかり不安になる。

 ならば……もう一度試すしかないだろう。


「マジックアロー」


 俺は水面をなぞるようにマジックアローを打ち放つ。

 まるで魚のように湖の表面をマジックアローが走る。

 その白い矢が走った軌跡を示すかのように――浄化された水によって湖の表面に透明な一本の道が描かれた。


「おおおおおお……!」


 俺の口から思わず声が漏れた。

 俺は……やったのだ!

 ディスペルマジックに続き、ピュリフィケーションまでもマジックアローで実現してみせたのだ!


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 俺は吠えた。

 ただ感情の赴くままに。


 俺にはまだまだ進むべき道がある!

 俺にはまだまだ可能性があるのだ!


 そんな俺の未来を示すかのように、湖面に貫かれた一本の長い道が太陽の光を受けてきらきらと輝いていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 夜、月明かりだけが降り注ぐ世界。

 薄暗い宮殿の中庭で闇の御子――ルガルドはひとりで剣を振るっていた。

 もともとは王国でも将来を嘱望された魔術騎士だ。その剣技の鋭さには目を見張るものがある。

 見ているだけで熱気のこもる練習だったが、ルガルドはやおら動きを止め、わだかまる闇に視線を送った。


「何か用か?」

「ひょっひょっひょっひょっひょ……あいかわらず油断も隙もありませんなあ……」


 そう言いながら闇から出てきたのはローブをまとった小柄な老人だった。フードを目深に被っていて顔はよく見えない。


「闇の御子さまよ……魔剣の鍛造が完了いたしました。これを」


 老人が指をぱちんと鳴らす。

 同時、ルガルドの眼前に一本の剣が現れた。


「これが……あの」


 ルガルドは今まで持っていた剣を地面に放り捨てると、ためらいなく新たなる剣をつかみ、引き抜いた。

 現れた漆黒の刃からは禍々しい圧を感じる。

 

 魔剣――ダーインスレイブ。

 

 いにしえの昔、闇の王が愛用していた魔剣だ。

 ルガルドはダーインスレイブで二度三度と空を切った。振るっただけでわかる。この魔剣がいかに化け物じみた力を秘めているのか。持っているだけで腕が震えそうだった。


「恐ろしいものだな、これは」


 さっきまで練習で使っていた剣も並の剣ではない。高名な剣士でなければ決して持てないような業物わざものだ。

 だが、魔剣ダーインスレイブと比べれば――比較にすらならないガラクタだ。


「ひょっひょっひょっひょっひょ……それはそうですぞ。世界を制覇する力を持った王の武器。それ相応の格というものがありますわい」


 老人は満足げに笑ってから続けた。


「御子に喜んでいただけて重畳ですじゃ。ビヒャルヌ湖で半年かけて鍛えたかいがありますなあ」


 その話はルガルドも聞いていた。

 魔剣ダーインスレイブは朽ち果てていた。それを復活させるためには大量の水が必要、かつ、儀式で生じる大量の黒い瘴気を捨て去るための大きな空間が必要だった。

 そこで目を付けられたのがビヒャルヌ湖だ。


「最初はうまくごまかしながら進めていたのですが、やはりカーライルの小僧をだまし続けるのは難しいですな。王立魔術学院から調査団がやってきてひやひやしましたわい」


 にいい、っと笑って老人はこう続けた。


「しかし、まあ……我々のほうが一枚上手でしたがの」


「よい剣だ。礼を言おう」


 ルガルドはダーインスレイブを鞘におさめた。


「なんのなんの。我らが宿願のためなら。労は惜しみますまい。我らの唯一の願いが叶えられたとき、すべての苦労は報われます。頼みますぞ、闇の御子さま」


 そして、老人は最後にこう続けた。


「再び闇の時代を」


 ルガルドはうなずいた。

 国を裏切り、魔剣を手にした。引き返すことなどできはしない。引き返すつもりもないが。

 だから、口から吐き出される言葉はこれだけだった。


「再び闇の時代を」


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shoei
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