わたしの、マジックアローの英雄
「いたっ!」
ミスニアは派手にすっころんだ。
マジックアローを打ちながらの撤退戦。そんなものに付き合ってられるかと我先に逃げようとしたミスニアは急ぐあまり派手に転んだ。
「あ、ミスニアさま!」
「お怪我は!?」
取り巻きAとBが慌ててミスニアへと駆け戻る。
「だ、大丈夫よ――つっ!」
起き上がろうとしたミスニアは足に激痛を感じて再び崩れ落ちた。
どうやら足をくじいてしまったらしい。
取り巻きAとBはミスニアを抱えて逃げようとしたが、うまくスピードが出ない。
湖から次々とわき出てくる泥人形たちがすぐそこまで迫ってきた。
「くっ、マジックアロー!」
ミスニアは振り向きざまにマジックアローを放ち、近づいてきた泥人形の頭を打ち抜く。頭部を失った泥人形が身体を保てなくなり、泥のかたまりとなって地面に転がった。
だが、その程度の殲滅力で泥人形の群体は止まらない。次々と距離を詰めてくる。
「マジックアロー! マジックアロー!」
「マジックアロー!」
取り巻きたちも必死に魔術を使うが――
その勢いは止まらない。
恐怖に足がすくんだ取り巻きたちは運んでいるミスニアごと転倒してしまった。
頭から地面に突っ伏したミスニアは激怒した。
「なにやっているのよ、グズ! 急ぎなさい!」
「無理です! 無理ですよ!」
「人を抱えながら逃げるなんてできません!」
そう言い返すと、取り巻きたちは「ミスニアさま、すいません!」と叫ぶとミスニアを捨てて逃げてしまった。
「ちょ、あ、あなたたち!」
二人の背中に憎悪の視線を投げかけている暇はなかった。
物言わぬ泥人形たちがすぐそこまで迫っていたからだ。どろどろの手をのっそりとミスニアへと差し出す。
「汚い手で触らないで! マジックアロー!」
一体は倒せた。
だが、もうそんなもの、意味はない。次々と伸ばされる手がミスニアの色白い肌を汚す。
たまらずミスニアは悲鳴を上げた。
「い、いやあああああああ! 助けてッ! 誰かああああああ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「アルベルトさん、起きてください! アルベルトさん!」
ぐっすり眠っていた俺は突然の声と震動で現実に引き戻された。
「……ん、なんだ……?」
俺は聞き覚えのある声だな、と思いながら目を開く。
そこにいたのはローラだった。
俺はテントで寝ていたはずだが、さて、もう夜営の交代時間なのだろうか……。
だが、そのわりには様子がおかしい。
「ローラか……慌てているようだが、何かあったのか?」
「敵です! 敵が来たんです!」
「敵?」
「はい。昼間の水の精霊が襲ってきたんです! それと配下の泥人形が! 今はフーリン先生が戦っています」
「フーリンが?」
どうやら冗談ではないようだ。俺は身を起こした。
「危ないのか?」
「はい。生徒たちも戦いながら避難している状態です。フーリン先生はそれを援護しようとひとり敵地に残って――!」
ローラは俺の手を取って言った。
「アルベルトさん! 今からフーリン先生を助けにいきましょう!」
もちろん、フーリンを見捨てるなんて選択肢はない。
俺にとっても望むところだ。
だが――
俺は即答できなかった。
「フーリンは俺よりすごい魔術師だ。俺のような低級魔術師が加勢にいっても――」
怖じ気づいたのではない。
ただ単なる力量差を考えたのだ。フーリンが苦戦するような相手に、俺ごときが加勢してもフーリンの労を増やすだけだ。
足手まといになるくらいなら行かないほうがいい。
俺の言葉に、ローラはあっけにとられたような顔をした。
それからやおらすごい剣幕で――
「何を言っているんですか! アルベルトさんはすごいじゃないですか!」
と大声で言った。
俺は胸に重いものを感じた。
ローラは勘違いしている。俺は一〇年前に挫折したダメな魔術師なのだ。使える魔術の数で価値が決まる世界で、たったひとつの魔術しか使えない『できそこない』――
ローラの期待は嬉しい。
だが、虚像を打ち払うために真実を告げなければならないだろう。
「ローラ」
「はい」
「いいか。聞いてくれ。まだ言っていなかったことがあるんだ。その、少し恥ずかしくてな……」
「……なんですか?」
「俺はな――」
「はい」
「マジックアローしか使えないんだよ」
「は?」
「この世界は使える魔術の数で魔術師の格が決まる。俺は、その、ひとつしか魔術が使えないんだ」
そして、俺はこう続けた。
「ワン・サウザンドの一〇〇〇分の一しか価値のない魔術師。それが俺なんだよ」
驚いたような顔をしたローラは――
さっきよりも大きな声で叫んだ。
「だから何だって言うんですか!?」
「え?」
「アルベルトさんの使える魔術の数が少ないのは薄々わかってましたよ! でも、そんなのでアルベルトさんがすごくないなんて思ったことありません! いいじゃないですか! たったひとつの極めたものがあれば、それだけで! それで胸を張れば! 誰にもマネできないものを持っているんだから!」
感情が高まっているのか、さらにローラがまくし立てる。
「そのマジックアローで何度もわたしを助けてくれたじゃないですか! 試験に遅れそうになったときも! ゴブリンロードに襲われて全滅しそうになったときも!」
ローラは目の端に涙をためてさらに言葉を続けた。
「その優しさと強さがアルベルトさんなんです! 一〇〇〇の魔術が使える伝説よりも! 七〇〇の魔術が使える天才よりも! わたしは誰よりもそんなアルベルトさんを英雄だと信じます!」
俺の手を握り、ローラが顔を伏せた。
「あなたはわたしの友達なんです。わたしはあなたを信じているんです。尊敬しているんです。他の誰よりも、何よりも!」
そして、最後にこう言った。
「だから、価値のない人間なんて言わないで……!」
俺は暴風の最中に立っているような気分だった。
俺の心の中にあった重しのひとつが確実に取れていくのを感じた。
そうか。
少なくとも――
ローラは俺を信じてくれているのか。
そのローラが、俺に助けを求めてくれているのか。
「ローラ」
「はい」
「俺はフーリンを助けられると思うか?」
うつむいまたままローラが答える。
「もちろんです。アルベルトさんなら!」
「わかった」
まだ俺は俺に自信がない。俺は俺自身を信じ切れない。俺は俺になんて価値がないと思っている。
それでも目の前にいる少女は俺を信じてくれた。
理由など、それで充分だろう。
「俺を英雄と信じてくれるローラのために――」
そして、言った。
「俺は英雄となろう」
言葉と同時、ローラが顔を跳ね上げる。
「アルベルトさん――!」
そのときだった。
テントを何者かが引き裂いた。黒く汚れた手が薄い布を引き裂いて入ってくる。
入り口から泥人形が身体をねじ込んできた。
「これは――?」
「これが敵です」
「そうか」
ならば遠慮は無用か。
俺は手を差し出し、いつものように淡々と言葉を紡いだ。
「マジックアロー」
轟音とともに泥人形どもが吹き飛んだ。




