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狂乱の精霊、襲撃

 夜中、学院の生徒たちは岸辺に張ったテント群で休んでいた。

 それとは別に五人の生徒たちがたき火をたき、周辺にたむろしている。


 警戒のためだ。

 夜襲があるかもしれないので交代制で監視をしている。


 もちろん、ここは王国でも治安のいい場所なので夜襲などあるはずもない。なので、あくまでも訓練だ。フィールドワークの基本として学院が学生に課した課題なのだ。


 というわけで――

 学生たちの士気は低い。


 ふぁーっとあくびするもの、うつらうつらするもの、雑談に興じるもの。

 緊迫感のない空気が辺りを包んでいる。

 そんな学生たちを見てもフーリンは特に不快とも思わなかった。


(この状況じゃ無理もないわよね)


 と同情的だった。

 いつか「きっちり」しないといけない日が来る。ひとつの油断が命取りになる日が来る。


 だけど、今はそのときじゃない。

 そのときに向けてゆっくりと成長していけばいいのだ。


 願わくば、そのときが遠くであればいいとフーリンは思う。

 だが――それはそれほど遠くはなかった。

 じっと月明かりに沈む湖を見ていたフーリンが異変に気づいた。


「……?」


 なぎだった湖面が揺れている。その揺れがだんだんと大きくなっている。


(あれは、なに……?)


 フーリンはじっと目をこらす。

 そのとき――

 湖面が割れて何かがぬっと出てくる濃厚な影を見た。

 フーリンは右手を差し出し、叫んだ。


「ライティング!」


 同時、無数の光源が湖上に出現する。


「――!?」


 光に照らし出されたのは半人半馬の美女だった。彼女の背後には無数の泥人形が付き従っている。

 先陣はすでに湖上へと乗り上げ、まるでそれが地面であるかのように歩いている。


「せ、先生……あれ……」


 異常事態に気づいたのだろう背後の生徒たちが動揺する。


「わからない! でも敵だと思って構えなさい!」


 フーリンが叫ぶ。

 続いて生徒たちに水質調査本隊への連絡と、寝ている生徒たちを起こすよう指示する。

 それが終わると、フーリンは向かってくる半人半馬の女へと向き直った。


「止まりなさい! 止まらなければ攻撃します!」


『これは異なことを。そちらがわたしを呼んだのに』


 女は止まらない。


「あなたを、呼んだ――?」


 フーリンの疑問に答えたのは後ろの生徒だった。


「……あれ、昼間に呼び出した水の精霊じゃないのか……?」


 突拍子もない言葉にフーリンは反射的に振り返った。


「え、どういうこと?」


「あの、えと……」


 しまったという表情を浮かべながらも、もう引っ込みがつかないと観念した生徒がすべてを話した。


「先生がいないときの話なんですけど……ミスニアが水の精霊を召喚したんですよ。結局は失敗したみたいなんですけど……」


 フーリンは向かってくる女を見た。

 確かにその身体は水でできている。

 フーリンは内心で舌打ちをした。この湖の精霊力は大きく乱れている。未熟な魔術師が召喚すればなにが起こるかわからない。まだ精霊召喚を使える学生はいないと思い込まず、釘を刺すべきだった。


 最悪の状況だが――少なくとも敵の正体はわかった。


 もともと正気を乱していた精霊に不出来な精霊召喚の効果が残滓ざんしとなって悪い影響を与えているのだろう。


「水の精霊よ、ここは汝のいるべき場所ではない! リリーススピリット!」


 精霊召喚の逆、精霊償還の魔術を発動する。


『ぎひっ!?』


 水の精霊は身体をびくりと震わせたが――

 それだけだった。


『きかんな! わたしの邪魔をするか!?』


 女が手を振ると同時、水の槍が出現、フーリンの足下へと向かって飛んでくる。フーリンは間一髪でそれをかわした。

 もう水の精霊の軍勢はすぐそこまで迫っている。

 背後で騒ぎが広がっていた。テントから起きてきた生徒たちがあれはなんだと声を上げている。

 フーリンは叫んだ。


「敵よ! マジックアローを撃ちなさい!」


 言うなり、フーリンは引き金となる言葉を叫んだ。


「マジックアロー!」


 その一撃は水の精霊へと一直線に飛び、彼女の下半身たる馬の頭に穴を穿った。

 しかし――

 それだけだった。

 穿たれた穴はまるで周辺から水が流れ込むように肉が盛り上がり、あっという間に塞がってしまった。


(再生能力……!)


 だが、無駄ではなかった。彼女の行動に釣られて行動の速い生徒たちがマジックアローを打ち放っていた。

 多くは外れてしまったが、何発かは泥人形に当たった。泥人形は穿たれた穴そのままに歩き続けている。少なくともこちらは回復しないらしい。

 フーリンは生徒たちに指示を飛ばした。


「目標は泥人形! あなたたちはマジックアローを打ちながら後退しなさい! 絶対に近づいちゃダメよ!」


 そう言った後、フーリンは前にいる狂乱の精霊へと視線を戻す。

 下がれと言ったが――

 フーリン自身は下がるつもりはなかった。この水の精霊は危険すぎる。学生たちに相手をさせるわけにはいかなかった。

 そんな彼女の脇をすり抜けて泥人形たちが奧へ奧へと生徒たちのほうに進んでいく。


『邪魔をすれば死ぬぞ、人間?』


「舐めないで欲しいわね。こう見えても、それなりに腕利きの魔術師なのよ?」


 そのときだった。


『ブゥオゥゥウ!?』


 無数の赤い閃光が水の精霊の左半身に炸裂した。あまりの威力に耐えきれず、水の精霊の身体が大きく右によろめく。


「加勢しますよ、先生」


「ブレインくん!?」


 そこに現れたのは――

 ブレイン・ミルヒス。

 学年首席、次代の天才と称される男。


「ダメよ、あなたも生徒なんだから! 他のみんなと一緒に下がりなさい!」


「無理をしないでください。あの水の精霊――普通ではないし、普通の強さでもない。ひとりだと危険ですよ」


 ブレインの正確な分析に――フーリンはすぐ反論できなかった。

 彼の見立ては正しい。とても学院の新入生とは思えないほどに。

 この子は間違いなく戦力になる。

 だが。


「……あなたの力を借りられたら嬉しいけどね。あなたは侯爵家のご子息で学院の――いえ、王国の期待なのよ。そんな子をここでケガさせたら先生クビになっちゃう」


 冗談めかしてフーリンは笑う。

 だが、ブレインは表情を緩めることなくこう言った。


「大丈夫。俺は死にませんから。こんなところで死んでなどいられない……死ぬ程度の器であっていいはずがない!」


 ブレインの声の高まりと同時、彼の身体に内在する魔力がほとばしるのをフーリンは感じた。


(……悲劇のミルヒス家、か……。その過去を背負ってもまだ戦おうとする子なら、この程度の試練に怖じ気づくはずもないか……)


 フーリンはため息をついた。


「わかったわ。でも、わたしが逃げろと言ったら逃げなさい。いいわね?」

「はい。わかりました」


 ブレインはこう続けた。ただ、事実を告げるように。


「そんなことにはなりませんけどね」


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shoei
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