水質調査へ!
「ひゃー、大きいですねー!」
「……向こう側が遠いな……」
ローラと俺の前には、海と言われれば信じてしまうほどに大きな湖が広がっていた。
翌日、俺たちはビヒャルヌ湖までやってきた。
王都から少し離れた場所にある大きな湖だ。
この世界には転送陣――拠点と拠点を結ぶ転送装置がある。それで王都から最寄りに移動、あとは徒歩でやってきた。
王国でも有数の大きさを誇る湖だ。
その湖面は透き通り、まるで溶かした宝石を流し込んだかのように綺麗だと称えられているのだが――
「あまり綺麗じゃないな」
「……そう、ですね……」
湖はどんよりとしていた。大量の墨でも混ざったかのように濁っている。
「はーい、みなさーん!」
声を張り上げたのは生徒の引率をつとめるフーリンだ。
「ここがビヒャルヌ湖でーす! 本当はとっても綺麗な湖なんですけど、この半年くらいでだんだん汚染がすすんでこんな感じになっちゃったんですよねー」
「せんせー、どうして汚染されたんですか?」
男子生徒が訊く。
「いい質問ですねー! 答えはですねー……わかりません! わからないから調査に来たのです!」
「じゃあ、僕たちは調査をするのですか?」
「それはあちらの!」
フーリンが離れた場所にいる一団を指さした。
「学院から来た本当の調査団がやってくれます。何人かの生徒は後であちらのお手伝いをしてもらいます」
……なるほど。この選抜隊のなかの、さらにエリートか。
フーリンの言葉を聞き、生徒たちの目の色が変わった。
「みなさんにはですね、ピュリフィケーションの練習をしてもらいます!」
ピュリフィケーション――水の浄化に使う魔術だ。
「……まずいな」
俺のつぶやきに、隣のローラが首を傾げる。
「何がまずいんですか?」
「俺はピュリフィケーションが使えないんだよ」
フーリンの話が続く。
「大量に汚れた水ならありますから! ピュリファイし放題! ぜひ、ここでたくさん練習を積んでください!」
俺たちは持ってきたテントを展開した後、湖で水の浄化訓練を開始した。
俺は湖に手をつけて引き金となる言葉を口にした。
「ピュリフィケーション」
湖は何事もなかったかのように澱んだままだった。
……まあ、わかっていたことだが。
隣でローラが同じように魔術を発動した。
「ピュリフィケーション」
するとどうだろう。
すーっとローラの手から数メートル範囲の水がすんだ美しい色に変わっていった。
おおー。
……もちろん、すぐに周囲の汚染水に呑み込まれて薄汚れた色に戻ってしまったが。
一〇年前のクラスメイトを思い出しても、これだけの水を一瞬で浄化した生徒は数少ない。やはりローラの才能は非凡なものがある。
「やるじゃないか」
「いえいえ……上には上がいますから――」
ローラの顔が動く。
彼女の視線の先には男子学生がいた。さらさらとした青い髪で顔はとても整っている。
彼は湖に手をつけて口を開いた。
「ピュリフィケーション」
直後――
一〇メートルを超える大きな範囲で湖の水が真水へと変わった。
見ていた周囲の学生たちから「おおおおお!」という感嘆の声がこぼれる。
「すごいな……」
「はい。あの人が入学式で新入生代表をつとめた天才魔術師ブレイン・ミルヒスさまです。学院ではカーライルさまに続く人材ではないかと期待されています」
「ほー――」
入学式で新入生代表――すなわち、入試首席。
一年生の時点であれほどの魔力を誇るのなら、その成績は決してまぐれではないだろう。
だが、俺にはそれよりも他の言葉が気になった。
「……ミルヒス?」
「はい。ミルヒス侯爵家のご子息なんですよ」
「あー」
どうりで聞き覚えがあるはずだ。
……一応、俺も元貴族だからね。
「あの年齢で八〇の魔術を習得しているとか」
魔術師として一人前と認められるのが一〇〇――ハンドレッド。普通は大人になってから何年も研鑽を積んだものだけがたどり着ける境地だ。
つまり、あの若さで八〇はかなりすごい。
「わたしはまだ二〇ですから……頑張らないと……!」
……俺はひとつだがな……。
ま、焦っても仕方がない。今回は決めたからな。俺は俺の道を行くと。人は人だ。
「あ、フーリン先生が――」
ローラの言うとおり、フーリンがブレインに近づいた。
何を話しているのかわからないが、周りの生徒たちがどっとわいている。
ブレインがうなずくと、フーリンは彼を連れて『本当の調査団』のほうに連れていった。
彼は選ばれたのだろう。選抜隊のなかのエリートとして。
「さすがはブレインさまですねー」
うんうんとローラがうなずく。
そうやってフーリンは他にも目についた生徒を何人か調査団のほうへと連れていった。
残された生徒たちは選ばれたもの――選ばれなかったこと――に対してざわざわと騒いでいた。
俺には関係も興味もないのだが。
俺が考えるべきなのは『マジックアローで水をピュリフィケーションできるのか』というだけだ。
できるのだろうか?
できるとすれば――どうやれば?
俺の頭のなかにはマジックアローだけしかなかった。
そのときだった。
「ああ、もう! ホント見る目ないわね! この水の名門ファダル家のミスニアを落とすなんて! 若い教師はダメね!」
女の金切り声が聞こえた。
集中力を乱された俺が目を向けると、若い女子生徒がいた。くすんだ金髪の女で気の強さを表すような釣り目が印象的だ。
「もうホントですねー」
「ミスニアさまを選ばないなんて、ありえません!」
取り巻きの女たちがあーだこーだと言っている。ミスニア・ファダル伯爵令嬢。
この女は知っている。
……あまりいい記憶ではないが。
ミスニアはきんきんする声でまくし立てた。周りにわざと聞こえるかのように。
「調査なんて無意味なことを! 訊けばいいのよ、ここに住む水の精霊にね!」
「それには水の精霊を召喚しないといけませんが……?」
「すればいいじゃない? わたし、できるんだけどぉ?」
自尊心をふんだんにちりばめた様子でミスニアが言う。
精霊召喚――
それは簡単な魔術ではない。中位以上の難易度はあるだろう。学生がおいそれと使えるものではない。
ミスニアは大声で言った。
「ほら! あなたたちにも見せてあげるわ! このミスニアさまの精霊召喚をね!」




