ローラの英雄
「マジックアロー!」
白い矢に引っ張られるままに俺の身体が加速する。空に浮かぶ石のかけらが俺の頬をかすめ、肩に食い込む。構わない。そんなものにひるみもしない。
俺が願うはただひとつ。
最高最速で――
駆け抜けるのみ!
空を切り裂き、音すら置き去りにして、俺は一気にローラへと肉迫する。
「ローラ!」
「アルベルトさん!」
ローラが懸命に手を伸ばす。俺も手を伸ばす。
ああ、こんなに速く飛んでいるというのに――
一瞬が長すぎる!
まるで永遠に届かないものに手を伸ばしているようだ。
一秒を無限に引き延ばした時間の中で俺は必死に祈る。
届け――届け――届け届け届け届け届け届け――
届け!
俺の手が確かにローラの手をつかむ。
このときほど、手に伝わる温かい感触を喜んだときはない。
「アルベルトさん! ありがとうございます!」
「……よかった」
とにかくローラは確保した。最悪の事態は免れたが――
まだ終わっていない。
俺は今の状況がとてもまずいことに気づいていた。
俺は落下するローラに追いつくため、斜め下に向けて高速度のマジックアローを放った。
そのため、急速に領都の街並みが近付いてくる。
飛行用マジックアローは小回りがきかない。ゆっくりと降下したり少しずつ曲がるしかできない。
こんな場所で使うべきではないのだ。
だが――
後悔などない。あそこで俺が使わなければローラを助けることはできなかった。
ローラを見捨てる判断などありはしない。
ただ、この窮地から二人で生還するだけ。
もう地面はすぐそこ。
どうやら領都のメインルートのようだ。人通りは多いが――開けているぶん、スペースはある。
通行人たちも領主の城の異変に気づいているようだ。
城を指さして口々に何か言い合っている。そして、その目は突っ込んでくる俺たちにも向けられていた。
慌てて逃げていく人たち。
……ありがたい。
人を巻き込みたくはないから――あとは祈るだけだ。
「ローラ。目をつむっていてくれ」
「はい! アルベルトさん!」
俺はマジックアローを解除した。
それでも俺たちの身体を動かしていた速度は一向に落ちない。
俺はローラの身体を引き寄せて両腕を回して抱きしめた。突入角度は浅い――おそらく耐えられるはず……!
俺は背中から地面に激突した。
身体が砕け散りそうな激痛が俺を襲った。
「かはっ!?」
ローラは離さない。むしろ、強く抱きしめる。
それだけでは終わらなかった。とんでもない勢いで俺たちはメインストリートを滑るように転がっていく。
やがて、その動きは勢いを失い――
止まった。
あおむけに倒れた俺の目に青空が広がっていた。陽光がまぶしい。身体中が痛む。
……だけど、それはきっと生きている証拠だろう――
俺は抱きしめた腕をほどき、ローラの背中をとんとんと叩く。
「……大丈夫かい、ローラ?」
「は、はい……大丈夫です」
俺の胸の上でローラがもぞもぞと動く。
よかった。ローラも無事で……。
俺の胸に安堵が広がった。
「すまない、ローラ……これしか方法がなかった……」
「そんなこと、そんな――謝らないでください、アルベルトさん!」
ばっとローラが身を起こす。
その目が俺を見た。
ローラの目には涙が浮かんだ。
「必死にわたしを守ってくれたじゃないですか! こんな……こんなボロボロになってまで……!」
ローラの手が俺の頬を撫でる。
……自分の状況はよくわからないが、おそらくはひどい状況だろう。身体中が痛いのでどこを怪我しているかすらもわからない。
ぽたぽたとローラの涙が俺の胸に落ちた。
ローラも無事ではなかった。
当たり前だ。
いくら俺がかばっても一緒にあれだけ転がったのだから。服のあちこちは破れて小さな擦り傷が見える。
だけど――
大きな傷はなかった。
きっとローラの怪我はすぐに治るだろう。その美しい顔に傷が残ることもない。
完璧ではないけれど、俺は彼女を守れた。
それが俺には誇らしかった。
「……気にしなくていい……俺も別に死んではいないから……」
「アルベルト――さん……!」
ローラが俺のために涙を流してくれる。
その感情が――気持ちが俺の心に流れ込んでくる。無理を通してよかった。命を賭けてよかった。心からそう思えた。
君が無事だった喜びを思えば――
この痛みなど。
飛び出すときに感じた恐怖など。
そんなものは吹き飛んでしまう。
あとは君に心から安心してもらえればいい。もう大丈夫なんだと。もう怖がらなくていいんだと。
いつものように心の底からほほ笑んで欲しい。
だから――
俺の持てる力のすべてで決着をつけよう。
ローラが口を開いた。
「と、とにかく休みましょう、アルベルトさん! あとはリヒルトさんたちに任せて!」
俺は首を振った。俺には俺の果たすべき役割がある。
「……ローラ、まだ戦いは終わっていない……」
「な、何を言っているんですか! そ、そんな状態で……本当に死んでしまいますよ、アルベルトさん!」
俺はローラを心配させないように冗談めかした口調で言った。
「ローラ、忘れたのかい。俺は簡単に死んだりしない」
そして、こう続ける。
「だって俺は君の英雄だから」
あの夜に俺は誓った。
ローラの英雄であろうと。
「俺は英雄の務めを果たしたいんだ」
「そ、そんな――」
言いよどむローラを立ち上がらせてから、俺もゆっくりと立ち上がった。
左腕は痛くて動かない。身体中が錆び付いた金属のようにぎしぎしする。あちこちの骨や筋肉に異常があるのだろう。痛む頭に手を当てるとぬらりとした血が付いた。
実にひどいありさまだ。
英雄なんて言葉にふさわしくない。
だけど、弱音など吐きはしない。もうローラに不安は与えたくない。俺のするべきことは――
「大丈夫だから」
ローラにほほ笑んでそう伝えるだけだ。
だけど、そんなハリボテの強がりですら自分でも驚くほどの勇気がわいてきた。
ローラのために戦おう。
ローラの英雄であろう。
ああ、その言葉はどれほど俺の心を鼓舞してくれるのだろう。
俺は伯爵の城に目を向けた。
おそらくはそれなりに離れていると思うのだが、それでもはっきりと超巨大ゴーレムの姿が見えた。
伯爵の城と変わらない大きさのそれが、まるで砂の城をたたき壊すがごとく伯爵の城を壊している。
ローラが俺に話しかけてきた。
「ここからマジックアローで攻撃するんですか? アルベルトさんなら届きますけど、でも、その――」
「そうだね。さっき俺のマジックアローはきかなかった」
それは俺だって知っている。
だから、同じことは繰り返さない。
「極限開放を放つ」




