重ミスリルの超巨大ゴーレム
それは城の天井を吹き飛ばして姿を現した。
どこまでも広がる青空を塗りつぶしたかのように、圧倒的な『漆黒』がそこに屹立していた。降り注ぐ冬の太陽の輝きを受けて表面が黒色にきらめく。
俺たちの目の前に姿を現したのは、とんでもなく巨大な重ミスリル製のゴーレムだった。あまりにも大きすぎて胸から上しか見えない。
……このすべてが重ミスリル?
だとすればとんでもない量だ。高さから厚みまで途方もない。
そして、それはおそらく――
とんでもない防御力も意味するのだろう。
「伯爵、あなたはなんてものを!? こんなものを造ってどうすると言うの!?」
ナスタシアの声が飛ぶ。
伯爵は悪びれもせずに答えた。
「とりあえずは――破壊だな」
「破壊――!?」
「ああ。何もかも壊れてしまえばよい。圧倒的な力に蹂躙される人々の悲鳴と恐怖を眺めながら酒を飲むのも一興であろう」
……この男は……何を言っている?
そんなことをして意味があるのか。
いや、もう――とうの昔から正気ではないのだろう。
「……伯爵よ、感謝しますぞ」
声が上から落ちてきた。
ゴーレムの開いて右手に枯れ木を思わせるローブ姿の男――フォルスが立っていたのだ。
「あなたさまのおかげで我が芸術は成った」
フォルスが手を挙げた。
「これは私からのささやかなお礼でございます」
フォルスが手を下ろす。
直後――
ゴーレムの握りしめた左手が空気を圧して伯爵の頭上に振り下ろされた。
その一撃は伯爵もろとも床を木っ端微塵に粉砕する。
轟音が響き渡った。
すさまじい揺れが俺たちを襲う。びきびき! と嫌な音を立てて床に亀裂が走った。
ただの一撃で、瞬きほどの時間で伯爵はこの世から消え去った。その肉体は粉々に打ち砕かれて崩れた資材とともに階下へと落ちていく。
……フォルスは伯爵の仲間だと思っていたのだが……。
フォルスの顔には何の感情も浮かんでいない。ゴミをゴミ箱に捨てただけのような表情だった。
ナスタシアが口を開く。
「……あなたたちお友達じゃなかったのかしら?」
「いえ、ギブアンドテイクの関係です。用が済んだので捨てた。それだけでございます」
フォルスが淡々とした声で応じる。
「ですが、まあ……伯爵が死んだとしても楽観なされぬよう。あなた方の運命は何も変わりません。ここで死んでいただきますので」
「そうはいかないね! こっちにはアルベルトさんがいるんだ!」
叫んだのはリヒルトだった。
「アルベルトさん! よろしくお願いします!」
「マジックアロー」
俺は右手を差し向けるなり引き金となる言葉を口にした。
放たれた白い矢が漆黒の胴体に炸裂する。
が――
それだけだった。
ぱっと白い火花が散って俺のマジックアローがかき消えた。
まるでそう、鉱山で現れた鎧武者にローラのマジックアローが効かなかったかのように――
俺はぽつりとこぼした。
「……効かないか……」
「え、マジですか!?」
俺の言葉にリヒルトが焦りの声をこぼす。
「……そ、そんな、アルベルトさんのマジックアローが……!?」
俺にはそれほど意外でもなかった。
……リヒルトの屋敷で試し打ちした重ミスリルの板ですらひびだけだったのだ。
これだけの厚み。
俺のマジックアローが届かないのも道理だ。
「残念でしたなあ……魔術師どの」
フォルスが勝ち誇った声をこぼす。
俺はすぐさま右手をフォルスへと向けた。
「マジックアロー」
俺の放った白い矢がフォルスへと突き刺さる――
かと思ったが、それよりも早くゴーレムの右手が指を折り曲げてフォルスの前に壁を造っていた。
ゴーレムの指の向こう側からフォルスの笑い声が聞こえる。
「操者である私を倒す――発想は悪くないのですがね……逆に言えば弱点が明白であるぶん、私のほうも対策は考えているのですよ」
声がこう続けた。
「それでは、そろそろ終わらせましょうか」
ゴーレムが左手を振り上げる。
まるで大きな柱がそそり立つようだ。太陽が隠れて、大きな影が俺たちを包み込む。
その腕が振り下ろされた。
「みんな、散って!」
リヒルトの声。俺たちは文字通り蜘蛛の子を散らすように逃げた。
振り下ろされた巨人の腕が大きな音とともに床を破砕する。
震動が城そのものを揺るがせた。俺たちはバランスをとりながら必死に出口へと走ろうとする。
びきびきびき!
嫌な音とともにまたしても蜘蛛の巣のようなひびが床に走る。
……危険だ。城そのものから早く逃げ出さないといつ崩れてもおかしくはない。
「なすすべもないな!」
勝利を確信したフォルスの声が響き渡る。
さらにゴーレムが腕を振り回した。
そのたびに城が大きく揺れ、壁は吹き飛び、床のひびが広がっていく。砕けた建材がとんでもない速度で飛び散る。……当たれば無事ではすまないだろう。
早く逃げなければいけないのだが――まともに走るのも難しい。
そのときだった。
ばきん! ばきん!
と何かの砕け散る大きな音が響き渡った。
直後――
「アアアア、アルベルトさん!」
ローラの悲鳴が俺の名を呼ぶ。
それは本当に焦りに満ちあふれていて――俺の胸を突き刺した。
俺は考えるまでもなくそちらに顔を向ける。
そして、見た。
蒼白な顔で動けなくなっているローラを。
動けない?
ローラは動いていない。その足は恐怖で震えているから。
動いていないはずなのに――
ローラの姿はだんだんと遠ざかっていく。
謁見の間はひびで断ち割れていた。ローラの立っている場所はすでに城から切り離されている。わずかな支えだけがその場所をつなぎ止めていた。
だけど、そんなもので支えられるはずもない。
びきり、びきり。
重さに引きずられてローラの足場は後ろへ後ろへと倒れていく。
すでに壁は崩れていて、ローラの背後には真っ青な空と領都エメギスの景色が見える。
びきり、びきり。
だんだんとローラの足場は角度をきつくしていく。ローラは両足に力を込めて必死に耐えている。
そして、俺に手を伸ばし――
「アルベルトさああああん!」
ローラが助けを呼んでいる。
俺の名を必死に呼んでいる。
ローラと俺との間にある亀裂はとても大きい。助走して飛び越えられるものではないだろう。
だが、そんなことは関係ない。
ローラが俺の助けを必要としているのだ。
俺はローラへと向き直り、一歩前に進む。
「ダメだ、アルベルトさん! 無茶しちゃいけない!」
そう言って、近くにいたリヒルトが俺の肩に手を置いた。
俺はその手をすぐさまふりほどく。
余裕がなかった。
「どけ! リヒルト!」
自分でも驚くほど鋭い声が出た。
びきり、びきり――
がきん!
嫌な金属音が、とても大きな金属音が響き渡った。何かが砕け散るかのような。決定的な終局の音が。
ローラの足場を支えていたか細い支えが崩壊したのだ。
ふわりと足場が宙に浮き、浮遊する。
ローラの身体もまた宙に浮いた。
あっという間だった。
白髪の少女は一瞬にして重力の鎖に縛られて下へと落ちていく。
ここは城の最上階。無事では済むはずがない。
させるか――!
俺は右手を差し向けて叫んだ。
「マジックアロー!」
発動したのは飛行用のマジックアロー。
俺の身体は落ちていくローラ目がけて一気に加速した。




