グラード・エメギス伯爵――その切り札
俺の手から放たれた白い矢――それはすぐさま無数の小さな輝きに分かたれた。
一〇〇をくだらぬ小さな矢がいっせいに兵士たちへと降り注ぎ、その身を刺し貫いていく。
だが、決して傷つけない。
その身を覆う闇の力だけを浄化していく。
俺のマジックアローを受けた兵士たちは唖然とした表情で立ち尽くしていた。横にいる同僚と顔を見合わせて、今まで起こっていたことを目で確認している。
……ふぅ……どうやら正気に戻ったようだ。
だが、ゆっくりもしていられない。
「がああああああああ!」
「ま、待て、落ち着け!」
俺はすべてを癒やしていない。まだ闇に染まったままの騎士たちが正気に戻った騎士に襲いかかろうとしている。
俺は右手を差し向けて引き金となる言葉を口にした。
「マジックアロー、マジックアロー、マジックアロー――」
放たれた白い矢が数百の輝きとなって騎士たちへと降り注ぐ。
あっという間に騎士たちは正気へと戻った。
「俺たちは何を……」
「何が起こったんだ、今……」
……俺の仕事は終わったな。
俺は振り返るとナスタシアへと近付いた。
「終わりました。あとはお任せします」
「ありがとう……やるじゃない、あなた?」
ナスタシアが俺の肩をぽんと叩いて再び前へと出ていく。
再びナスタシアが号令した。
「敵はグラード・エメギス伯爵! 進め、勇士たちよ!」
俺たちは正気に戻った騎士たちを従えてエメギス伯爵の城へと突入した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
王城の玄関ホールで騎士たちが話を始めた。
――どこに伯爵はいるのだろうか?
彼らは何人かの組にわかれると思い当たる場所へと走っていく。さすがはエメギスの騎士。城内の把握は完璧だ。
「伯爵を逃しはしません。ナスタシアさまはここで――」
騎士のひとりがそんなことを言っていると、
「ナスタシア・バレンティアヌ第三王女さま」
そんな声が割って入った。
確か俺たちが伯爵領にやってきたとき出迎えてくれた三〇くらいの執事だ。
「エメギス伯爵からの伝言です。謁見の間でお待ちしていると」
わきたったのは騎士たちだった。
「ちょうどいい! 我らが急行して――」
「伯爵はナスタシアさま一行の到来をご希望です」
執事の言葉にナスタシアが不敵な笑みを浮かべる。
「むちゃくちゃ罠っぽいじゃない? そんなところにわたしが行くとでも?」
「……伯爵の言葉を伝える――それが私の仕事です」
「ふぅん」
ふふふ、と笑ってからナスタシアが続ける。
「……ま、いいでしょ。貴族の用向きに答えるのも王家の務め」
「ナスタシアさま! 油断をなされては――!」
声を荒げたのは護衛兼メイドのリオだ。
そのリオにナスタシアが挑発的な笑顔を向ける。
「油断はしていない。だって、あなたとミオを連れていくから。それともわたしを守る自信がないのかしら?」
「そ、それは――!」
リオは剣の柄を叩いて続けた。
「もちろんあります!」
「よろしい」
ナスタシアがうんうんとうなずく。
「リヒルト子爵、あなたたちも一緒に来なさい。あなたも伯爵に言いたいことがたくさんあるのでしょう?」
「もちろんです!」
リヒルトがうなずく。
そこでリオが割り込んだ。
「……言いたいこと。王族の責務がどうのこうのとおっしゃっていますが、ナスタシアさまも伯爵に言いたいことがあるだけでは?」
ナスタシアの目がぎらりと輝く。
「ええ、もちろん! あの伯爵……! あれだけ面倒なことをしてくれたわけだから文句のひとつでも言ってやらないと気がすまない!」
手をわなわなと震わせながらノリノリでそう答えたあと、ナスタシアははっとなった。こほんと咳払いして続ける。
「今のなしで」
……え……。
「リオ、誘導するとはやるじゃない?」
「わたしを試すようなことを言うからですよ、ナスタシアさま」
ナスタシアは俺たちと腕利きの騎士を何人か引き連れて移動する。謁見の間は城の最上階にあった。そこでエメギス伯爵は玉座にひとりで座っている。
……あのフォルスとかいう男の姿は見えない……。
玉座の場所は他より高くなっている。
そこで伯爵は足を組み、肘掛けについた腕に頬をのせて、笑みを浮かべてナスタシアを見下ろしている。
見下ろしている――
王族であるナスタシアを。
「ようこそ、ナスタシア第三王女」
余裕すら感じさせる声で伯爵が言った。
リオが鋭い声を飛ばす。
「エメギス伯爵よ! 己の身分をわきまえよ! ナスタシアさまを高所から見下ろすなど不敬であるぞ!」
伯爵は揺らがない。その口から、くっくっくっく、と笑いだけが漏れる。そして、言った。
「だから?」
俺たちの空気がひび割れたようだった。
その言葉は――
決して王国に忠誠を誓う貴族が口にしていいものではない。
「好きにさせてもらおう。どうせ今日ですべては終わる。王族を見下ろす――それくらい楽しんでもよかろう」
そんな伯爵の物言いにもナスタシアは揺るがない。
「……落日の伯爵、気分はいかが?」
「悪くはないな」
「そう。なら、あなたの最後の気分転換に付き合ってあげるから、自慢話とでも思って気分よく話しなさいな」
ナスタシアはこう続けた。
「なぜ、わたしを操ろうなどと?」
「さあな」
あっさりと伯爵は肩をすくめた。
「本当に知らないのだよ。すべてフォルスの意向だ。あやつが王女を手中におさめようとした。私は協力しただけだ」
「……フォルス――あの男は何者なの?」
「それも知らない。興味がないからな。ろくでもない組織に所属しているようだが、どうでもいい話だ」
それから伯爵はこう続けた。
「あの男の『人を操る力』は便利なものだ。だから側に置いている。おかげで私は伯爵になれた」
おかげで私は伯爵になれた。
その言葉を聞いた瞬間、俺はある言葉を思い出した。
名君だった先代の領主は――
――伯爵家のみんな、自分の家族も含めて皆殺しにしたんだよ。
確か調査した村で俺はそう聞いた。
そして、たまたま外に出ていて難を逃れた弟の現エメギス伯爵が兵を率いて先代を討ったとも。
俺はその予想を口にした。
「……エメギス伯爵。先代が狂気に陥ったのも、まさかあなたが?」
「その通りだ」
あっさりと伯爵は認めた。
「フォルスを使って兄を操り、そうした」
決定的な告白だった。
しん、と謁見の間に静寂が広がる。
だが、そのときだった。
どぉん――どぉん――
なにかの砕ける音が聞こえた。そして、床が震えている。
……なんだ、これは。地震か……?
ナスタシアもいぶかしげな顔をしているが、とりあえずは伯爵の相手を優先させたようだった。
「あなた自身が正気とは思えないわね」
静かな口調でナスタシアが告げる。
「あなたが操られている可能性もあるのではなくて?」
「どうだろうな、ひょっとするとその可能性もあるな」
伯爵の声色はさして深刻そうではなかった。そして、こう続ける。
「だが、それは重要なことかね?」
「どういう意味かしら?」
「操られていようと操られてなかろうと。これが私の本意でなかろうとあろうと。どうでもいい」
そこで伯爵は大笑いした。
「なぜなら! 私は愚かな兄に成り代わって伯爵になり! 己の欲する時間を過ごせたのだから! 己の心を満たしたのだから! その事実こそが重要ではないかね!?」
どごん!
今度は大きな音がした。城そのものが揺れる。
……これは……?
だが、城の持ち主であるエメギス伯爵の表情は何も変わらない。
「フォルスからは金やら重ミスリルやら要求されたがね、何も不満はない。あの男はそれだけのものを私に与えたのだから」
「伯爵!」
そこでリヒルトが鋭い声を飛ばした。
「重ミスリルと言ったが、やはりお前は横流しをしていたのか!?」
「はははははは! その通りだ!」
実に楽しげに伯爵が笑った。
「いい見立てだったぞ、新任。これで心置きなく引き継げるな?」
「なんのためにそんなことを!?」
「フォルスの実験だよ」
「実験?」
リヒルトがいぶかしげな声をこぼす。
「あの鉱山にいた重ミスリルのゴーレムのことか!?」
「はははは! 違うさ。あの程度の物量であればお前たちが調べた程度でわかるような証拠は残さない!」
同時――
ごおん!
とんでもなく大きな音が響き渡った。身体がふらつくレベルで建物が揺れる。
伯爵が玉座から立ち上がった。
「聞こえないか!? この音が!? 感じないか!? この震動を!? これこそが私とフォルスが何年もかけて――この城の地下で造り上げた力よ!」
何か巨大な物体がエメギス伯爵の背後に現れた。
床を轟音とともに打ち砕き、壁を突き破り、天井すらも破壊して。
「うわあああああああああああああ!?」
俺たちは意味がわからず悲鳴を上げる。
姿を現したのは蒼天を突くかのごとく巨大な、漆黒の鎧武者――ゴーレムだった。




