ナスタシアを救出せよ!
重ミスリル鉱山を出た俺たちは高速馬車で領都エメギスへと一目散に戻った。
領都近くの雑木林で俺たちは高速馬車から降りる。
リヒルトが従者たちに告げた。
「俺たちは領都に向かうから。予定より帰りが遅かったり……伯爵の手を感じたらすぐに逃げてくれ」
本当は危ないので先に逃げ帰ってもらいたかったが、俺たちも伯爵から逃げ回る可能性がある。貴重な機動力である高速馬車を手放すことはできなかった。
大切な生き証人であるラッフェンを従者たちに預け、俺たち四人はナスタシア救出作戦に取りかかる。
結局、いろいろと考えた末にたどり着いた結論は――
正面突破。
それだけだった。
俺のマジックアロー飛行で忍び込んでナスタシアを助け出すという案もあったが、ローラが反対した。
「……危険かもしれません。相手はラッフェンさんを操っていました。こちらの動きが漏れている可能性があります」
確かに一理ある。
そうだとすれば伯爵はナスタシアを別の場所に移しているだろう。
無駄足どころか――待ち伏せの可能性すらある。
……そんな状況でのこのこと忍び込めば、伯爵側に謎の侵入者として葬り去る口実すら与えることになる。
なので正面から話をすることにした。
こちらにはナスタシア付きのメイドであるリオがいる。リオが王女への面会を求めれば応じるのが筋だ。
……あの伯爵がそう素直に応じる気もしないが……。
だが、俺たちが正面から出ていく以上、あちらも手荒いまねはできないはず。
リヒルトが大きな声で言った。
「じゃ、その作戦でいきましょう!」
俺たちは伯爵の城を目指して動き出した。
領都は特に警戒態勢ではないらしく、門は何事もないかのように開かれている。
多くの人たちが門番にチェックされることなく行き来していた。
俺たちも何食わぬ顔で紛れ込む。
門番の前を通り過ぎようとしたとき――
「失礼」
と、いきなり門番が声を掛けてきた。
「リヒルト子爵ではありませんか?」
どきりとした。
やはり伯爵が何か手配しているのだろうか。
リヒルトは動揺などおくびも見せず大仰にうなずいた。
「そうだが?」
「ああ、やはり。伯爵さまから子爵はご出立されたと伺っておりますが、どうなされたので?」
……単に気になっただけのようだ。
リヒルトが淡々と答える。
「伯爵に用事を伝え忘れてね。戻ってきたんだ」
「そうですか。徒歩のようですが……馬車は?」
「すぐそこまで来たんだけどね、ちょっと調子が悪くなって。今、従者が直しているところだ」
「そうですか。それでは……伯爵さまの居城まで馬車でご案内しますので少々お待ちいただけますか?」
俺たちは顔を見合わせた。
なるほど……貴族なので気を使ってもらえたわけか。
門番はとても人がよさそうで罠という感じではない。だが、ラッフェンのように操られている可能性もある――
リヒルトは手を振った。
「ありがたいけど、君たちの仕事を増やしたくはない。必要なら自分で調達するよ」
そう言って何事もなく門を抜けた。
距離が開いてからリヒルトが大きく息を吐いた。
「ああああああ! 緊張した!」
「……どうやら伯爵から手配書の類いは出ていないようですね」
リオの言葉にリヒルトがうなずく。
「まだ気づいていないのでしょうか?」
「気づいてくれていなければいいね。そうすればこちらの意図に気づかずナスタシアさままで案内してくれるだろうからさ!」
俺たちはさらに歩き伯爵の居城へと近付いていく。
城の門も開かれているが、街の門とは違ってノーチェックではなかった。門番が中に入ろうとする人間の許可を確認している。
……少し前まで滞在していた貴族――それだけで通してもらえるのだろうか。
だが、何も考える必要はなかった。
「シュトラム子爵ですね?」
門番のほうから反応があった。
「伯爵さまより申し使っております。もし姿を見せたら案内するようにと。こちらでございます」
門番が俺たちを城の奥へと案内しようとする。
……なるほど。
やはり伯爵は伯爵で俺たちの動きに気づいているようだ。
先ほどの馬車のように断りたいところだが――
そうもいくまい。
俺たちが正面から正々堂々と姿を現したのと同じく、伯爵は正面から正々堂々と俺たちを招待した。
これを断ることはできない。
俺たちは覚悟の視線をやりとりすると黙って門番についていく。
リオがそっとローラに耳打ちしていた。
「わたしの側を離れないでください。あと――矢よけの魔術は使えますか?」
「……大丈夫です」
「いつでも使えるように心構えをお願いします」
ローラが真剣な顔でうなずいた。
もう油断をすることは許されない。
ここは敵地のど真ん中。俺たちの動きを知っている伯爵が招待した危地。いつ何が起こってもおかしくはない。
「こちらでございます」
城の中に入るのかと思ったが、指定されたのは庭だった。城と塀の距離がかなりあってスペースはとても広い。
城の上階から突き出たバルコニーが見えた。
門番が下がり――
いや、下がらない。俺たちが来た方向、そこに集まっている騎士の一団に合流する。
城門のほうを塞ぐかのように騎士の壁がそこにあった。
……嫌な予感がするな……。
やがて、バルコニーの戸が開く。
「お待たせしたな、シュトラム子爵」
エメギス伯爵が姿を現し、俺たちを見下ろした。
「さて……何か用かな。私用があると言って自領に戻られたと記憶しているが?」
「忘れていた用事があったのです」
「ほう? それは何かな?」
「ナスタシアさまへの用向きです。会わせていただきたいのですが」
「なるほど。なら、ちょうどいい」
にいっと伯爵の口元が歪む。
「お越しいただいているので、ここで話をすればいい」
……お越し、いただいている?
その言葉と同時――
エメギス伯爵の背後に何者かの影が現れた。
その影が一歩前へと踏みだして陽光にその姿をさらす。
美しいという言葉すらはるかに遠い。
見たものを惚けさせるほどの美貌の持ち主がそこに立っている。
第三王女ナスタシア・バレンティアヌが。
だが、その姿を見て俺の心を横切ったのは疑惑と不信だけだった。
ナスタシアの病状は重く、とてもひとりで立てる様子ではなかった。その彼女が何事もなかったかのように姿を見せる?
ありえない。
ならば何か理由があるはずだ。
――フォルスは精神を糸で絡め取って人を操るのです。王女さまも同じ攻撃を受けているのでしょう。
ラッフェンはそう言っていた。
俺たちはそれが成される前に王女を助け出そうとしたが――
間に合わなかったのでは?
だからこそ、彼女は元気になった。
もう精神への侵略は終わってしまったから。
まさか――
「リヒルト・シュトラム子爵、わたしに用があるそうだが?」
ナスタシアの凜とした声が響き渡る。その声には前に会ったときのような弱々しさはない。
王族としての威厳と気品が満ちあふれていた。
リヒルトは即答しない。おそらく俺と同じ異変に気づいているのだろう。やがて、こう言った。
「はい。ナスタシアさま、ただちにこの領を離れて王都へと帰還しましょう。このリヒルトがお供いたしますので」
「悪くはありませんね」
にこりとほほ笑んでからナスタシアが言葉を継ぐ。
「あなたが逆賊でなければ」
――!
俺たち四人の間に緊張が走る。
「わかっていますよ、シュトラム子爵。わたしの体調不良は、あなたの領に立ち寄ったときに呑まされた毒であること。フォルスが見抜かなければ今ごろ命を落としていたでしょう」
たまらずリオが声を上げた。
「ナスタシアさま! お目を覚ましください! あなたは伯爵にだまされているのです!」
「お黙りなさい、リオ。あなたこそ子爵にだまされているのでは?」
ぴしりとした声がリオを容赦なく打ち据える。
「さあ、話の時間は終わりです。伯爵家の騎士よ。王族に不埒を働く逆賊どもを始末しなさい!」
「おおおおおおお!」
ナスタシアの言葉に騎士たちがときの声を上げる。
騎士たちが剣を引き抜くと俺たち目がけて近付いてきた。
ローラが緊迫した声で俺に呼びかける。
「……アルベルトさん! ナスタシアさまも――!」
「わかっている」
俺は静かにうなずいた。
ナスタシアはおそらくフォルスに操られているのだろう。ラッフェンがそうであったように。
ならば、こうも言えるだろう。
ラッフェンと同じく俺ならばその効果を無効にできる。
俺のマジックアローで――
俺はバルコニーに立つナスタシアに右手を差し向けた。
……王族に魔術を撃つのは気が引けるな……。
だが、仕方がない。
俺は意を決して、その言葉を口にした。
「マジックアロー」




