糸狂い病
「私の名前はラッフェンと申します」
メガネをかけた中年男は席に座るとそう自己紹介した。
「伯爵に雇われて医師であるフォルスの助手を務めております」
完全に伯爵側の人間のようだが――
この男はさっき言っていた。
伯爵とフォルスは嘘をついていると。第三王女を助けたいと。
ラッフェンを除く俺たち三人は顔を見合わせた。
どう対応したらいいのだろうか?
ラッフェンがため息をついた。
「……急な話です。驚かれるのも無理はありませんね……」
「うーん」
リヒルトは言葉を選んでから口を開く。
「伯爵とフォルスの嘘とは?」
「第三王女さまの病気についてです。彼らは病名を知っている」
――!?
いきなりの告白に周囲の空気がぴしりと引き締まった。
「そ、それは!?」
身を乗り出して尋ねるリヒルトにラッフェンが答える。
「糸狂い病です」
糸狂い病――?
知らない名前だった。ローラもリヒルトもぴんとこない顔をしている。
「ご存じのはずがありません。この地方特有の珍しい風土病ですから」
リヒルトがラッフェンに問いかける。
「それにかかるとどうなるんだ?」
「その名の通りです。いずれ体調の悪化はおさまるのですが、それは表面上だけ。心は壊れてしまい――やがて、乱心します」
「乱心?」
「狂い方は人それぞれですが、例えば人を殺したりもします――大量に」
……うん?
その話は最近どこかで聞いたような……。
「あの――」
リヒルトとラッフェンの会話にローラが割り込んだ。
「……前の領主さまも乱心されて多くの親族を処刑したと伺ったのですが、まさか――」
ラッフェンがうなずく。
「そうですね。私は先代を診断していないので絶対とは言えませんが、糸狂い病の典型的な症例だと思っております」
また俺たち三人は顔を見合わせた。
……どうやら先代の発狂には裏があるらしい。
その病と同じものをナスタシアは患っている。
「いやいやいや! ちょっと待ってくれ!」
リヒルトが首を振りながら言う。
「病気だったとして! どうして伯爵は知らない振りをする? お助けしない理由がない!」
もっともな指摘だった。
貴族とは王国、そして王家に仕えるもの。王家の人間の危機を放置するはずがないのだ。
ラッフェンは静かに答えた。
「わかりません」
そして、こう続ける。
「私には伯爵もフォルスもすでに狂っているとしか思えません。彼らはきっと王国が混乱するから――それを楽しみたいから――そんな理由だけで動いているように見えます」
すでに狂っている、か……。
確かに伯爵の言動は貴族の常識的なそれを大きく逸脱している。
ラッフェンの見立てどおりなら納得できる話だ。
「――伯爵の野郎を問い詰めてやりたい……!」
リヒルトがそんな独り言をこぼす。
だが、本人もそれが意味のないことだと知っているのだろう。どうせ伯爵は聞く耳を持たない。
ローラが口を開いた。
「……第三王女さまを助け出すのがいいのでは?」
それはとても名案に思えた。
ここにいても助かる見込みはない。ナスタシアを助けて伯爵領を脱出、そのままリヒルトの領にある転送陣で王都に飛べばいい。
リヒルトの顔が明るくなる。
だが――
「だめです」
ラッフェンが首を振った。
「王都に逃げたとして――病気が治せません」
「どういう意味だ?」
問うリヒルトにラッフェンが答える。
「糸狂い病を治す方法はたったひとつしかありません。この地方でしか手に入らない『特別な湧き水』を呑ませる必要があります」
「……特別な湧き水……?」
「はい。調べたところ、この街の北にある重ミスリル鉱山――その奥で採取できます」
一拍の間を開けてからラッフェンが話を続ける。
「ただ、すでに廃坑になって久しい場所です。噂では魔獣の巣窟になっていると聞きます」
「……そういうことか」
俺は口を開いた。
「力を貸して欲しいと言っていたが、その湧き水をとってきて欲しいということだな」
「はい」
ラッフェンがうなずいた。
俺は視線をリヒルトに投げかける。リヒルトは「ううーん」と小さく唸っただけで返事をしない。
……わからなくもないが。
なぜなら――
「私のこと、信用できませんよね?」
ラッフェンが困ったような笑みを浮かべる。
そう、ラッフェン自身が信用できないのだ。
廃坑へと俺たちを導く――伯爵にまとわりついて重ミスリルのことを調べて回り、とうとう秘匿していたナスタシアの居場所までつきとめた。そんな俺たちを暗殺するにはうってつけの場所ではないか。
即答できない俺たちにラッフェンが提案した。
「なら、これでどうですか? 私も廃坑にご一緒します。皆さまを危険な目にあわせるはずがないですよね?」
ラッフェンは真剣な目で俺たちを見た。
「信じて欲しいんです。ナスタシアさまを助けるために力を貸して欲しい。病状は悪い。あと一週間。そこを超えてしまえばもう湧き水を飲んでも元に戻れなくなる。時間がないんです!」
ローラの顔が悲しげに揺れる。
ローラの優しさはラッフェンの言葉を受け入れたようだった。
俺とリヒルトの視線がぶつかった。
リヒルトの目は――
腹をくくった男の目だった。俺を見てうなずく。
結局のところ、俺とリヒルトは貴族だった。貴族である以上、己の身の危険を恐れて窮地に陥りつつある王族を見捨てるなどできるはずがない。
リヒルトが口を開いた。
「わかった! 俺たちに任せてくれ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
シュトラム領に戻る――
俺たちは伯爵にそう告げて高速馬車に乗った。
もちろん、本当に戻るわけではない。
伯爵に勘ぐられるのを避けるためだ。
それから高速馬車に乗って二日。
俺たちはラッフェンの案内に従って重ミスリル鉱山に隣接した街にやってきた。
馬車から降りると、とても大きな岩山が見える。
数十年前までは採掘で使われていたそうだが、もう枯れてしまったそうでずっと使われていない。
なので、街――と言っても、賑わいは昔の話という感じのさびれた雰囲気だった。
「うう……迫力ありますね……」
ローラが俺の隣で緊張の声をこぼした。
ラッフェンが馬車から降りながらこう言う。
「皆さん、気をつけてくださいね。魔獣の巣になっているって話ですので……」
ちなみに、ラッフェンこそ急にいなくなれば伯爵に疑われる人物だが、その辺はどうするのかと聞いたところ――
「仮病です」
実に古典的な解決方法を提示された。
……確かに数日で決着がつく話だ。少しだけ時間を稼げればいいのだからそれで問題ないだろう。
「――魔獣ですか。腕が鳴りますね」
そう言って、最後のひとりが馬車から降りてくる。
「頼むよ、リオ」
リヒルトが呼びかけたのはナスタシア付きのメイド騎士だ。今はメイド服ではなく鎧を着て腰に剣をさげているが。
「お任せください」
剣の鞘をぱんと叩いてリオが自信たっぷりな口調で続ける。
「魔獣の相手なら、掃除より得意ですから」
……メイドとして大丈夫なのだろうか。
リヒルトのお付きのメンバーたちに馬車を託して、俺たちは廃坑へと向かっていった。
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