第三王女ナスタシアに起こったこと
ちょうどナスタシアが伯爵の領に来てすぐのこと――
ナスタシアは多忙を極めていた。
伯爵が休む間もなく式事の予定を入れてくるからだ。王族と会いたい権力者は多い。彼らの欲望を叶えることで伯爵は力を誇示したいわけだ。
気前よく利用されるのも王族の務め――とはいえ。
(さすがに遠慮なさ過ぎじゃないかなー……)
伯爵がその男を連れてきたのは、ナスタシアが多忙な日々にうんざりしていたある日だった。
「お疲れのところ申し訳ない。ひとり会っていただきたい人物がおりましてな。私の代から仕えてくれている――私の大切な忠臣なのです。ねぎらいの言葉のひとつもいただければと」
「それはそれは。ぜひ会わせていただきたいものですね」
ナスタシアはにこやかに応じる。
伯爵が声を掛けると、ドアが開いて男が姿を現す。
茶色いローブに身を包んだ、枯れ木を思わせる男だった。
スキンヘッドで顔の肉付きも顔色も悪い。そのせいか年がわからない。おそらくは五〇くらいの伯爵と同じだろうが、それより上にも下にも見える。
「私は伯爵に仕える医師フォルスと申します。お目にかかれて光栄でございます、第三王女さま」
しゃがれた声で男が言い、ナスタシアに手を差し出した。
手まで枝のようにやせ細っている。
不気味な雰囲気の男だが――
「こちらこそ、フォルス。伯爵の右腕として」
ためらいなくナスタシアは男の手を握った。
その日はそれからも来訪が立て続き、慌ただしいままに一日が終わった。
翌朝――
ナスタシアが体調不良を訴えた。
目を覚ますなり、ナスタシアは頭を押さえる。
「ううう……頭が痛い……気分が悪い……」
ナスタシアの口からそんな言葉が漏れた。ナスタシアが体調を崩すのはとても珍しい。
部屋で朝の支度を整えていたリオが口を開いた。
「疲れが出たのですかね? 大丈夫ですか?」
「うーん、大丈夫じゃないかな……。病気って感じじゃないから。……あんまり寝れてない気がする……」
眠りが浅い感じだった。何か妙な――不快な夢をずっと見ていたような。それが何かは思い出せないのだが。
たぶん疲れているのだろう、ナスタシア自身もそう結論づけた。
リオが口を開く。
「ですが、ご無理はいけません。伯爵に言って今日の予定は中止にしましょうか?」
「やったー」
やる気のないナスタシアは無邪気に喜んだ。休める大義名分があれば全力で利用するのがナスタシアの生き方だ。
(……まー、ずいぶんと働かされた気がするからね-。ちょっとサボらせてもらおうかな!)
などと楽観的なのはその日だけだった。
夜を重ねるたびにナスタシアの体調は悪化していった。四日目にはベッドから身を起こすのも辛いほどに。
「んー……これはヤバいかもねえ……」
ベッドに横たわりながらナスタシアがぼやく。
頭の痛みがとれない。身体が重い。
おぼろげだった夢はだんだんとナスタシアの記憶に残りはじめていた。
きりきり――
きりきり――
きりきり――
そんな不快な音が夢の中のナスタシアの耳に響き、何か細いものが手足に絡みついていくる。
ああ……。
これは――
糸だ。
診察にやってきた伯爵お抱えの医師フォルス――あの枯れ木のような男にナスタシアはそのことを告げた。
「……なぜか糸の夢をよく見るのだけど……」
「記憶が錯乱しているのでしょう。何かしら幼少の頃に糸にまつわる強い想い出があるのではないでしょうか?」
「……糸……」
ナスタシアは額に手を当てた。そんなものはあっただろうか?
フォルスがナスタシアの返事を待たずに淡々と続ける。
「おそらく長旅ゆえの過労でしょう。ご静養ください」
それからずっとナスタシアは西の尖塔で休んでいる。
体調は悪くなる一方だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「どうぞ、こちらへ」
リオは俺とリヒルトを部屋の奥へと通してくれた。
そのとき――
じっと俺の顔を見るリオの視線に気がつく。
「……何か?」
「あ、いえ、申し訳ありません。……お名前を伺っても?」
「リュミナス侯爵家のアルベルトだ」
「リュミナス――! なるほど……」
そうつぶやいただけでリオは口を開かなくなった。
何がなるほどなんだろうか……?
奥にはベッドがあり、そこに女性が横たわっている。
瞳を閉じた美しい顔立ちの女性だった。
あまり顔の美醜は気にしない俺だが――さすがに息を呑んだ。きっとその女性を評するのに『美しい』という言葉では足りない。それほどに別格の輝きを放っている。
さながら神が造った人形のような。
これほどの美貌の持ち主を俺はひとりだけ知っている。
おそらくは彼女こそが――
「第三王女ナスタシアさまでございます」
女性に視線を送ってリオが言った。
ナスタシアのかたわらにはもうひとりメイドが座っている。リオと顔がそっくりで――きっと彼女がもう一方の双子ミオなのだろう。
リヒルトが口を開く。
「ナスタシアさまは――体調が?」
リヒルトの言うとおり、その美しい顔は苦しげに眉をしかめている。口から漏れている呼吸も荒いものだった。
リオがうなずく。
「はい。こちらに到着してから悪くされまして……」
それからリオは到着してからのことを俺たちに語ってくれた。
伯爵領に到着してからナスタシアは多忙を極めていた。
伯爵が次から次へと『王族に会いたい領の権力者』を連れてきたからだ。
ナスタシアは精力的にこなしていたが――
「数日してから体調を崩されたのです」
リオが両手を握りしめてこう続けた。
「甘かった! わたしはもっと強く止めるべきでした! 伯爵の立てた予定は明らかに頻度が多すぎたのに!」
……なるほど……。
伯爵はそっち側の貴族か……。
俺はうんざりした気持ちでその話を聞いていた。王族に会わせることで己の力を誇示する貴族は多い。
顔を見せて労をねぎらうのは王族の義務でもあるのだが――
何事にも常識のラインはある。
忠誠心がある貴族ならば王族の負担にならないよう配慮するのだが、どうやら伯爵は違うようだ。
体調不良になるまで酷使するのは明らかにおかしい。
「具合がよくなるのを待とうと休んでいるのですが、悪くなる一方で……」
リオが重いため息をつく。
リヒルトが訊いた。
「医者には見てもらっているのかい?」
「はい。伯爵に紹介していただいた医者に診てもらっております」
……だが、これと言った結果は出ていないのだろう。
そのときだった。
「う、ううん……」
瞳を閉ざしていたナスタシアがうめき声を上げる。俺たちの話し声で目を覚ましたのかもしれない。
その目がすっと開いた。
「リオ……?」
「お騒がせして申し訳ございません」
「別にいいけど――そちらは……?」
「リヒルト・シュトラムです。お久しぶりです、ナスタシアさま」
「ああ……リヒルト」
身を起こそうとして――ナスタシアは苦しそうな息を漏らした。そして、かすれそうな声で言う。
「……ごめんなさい……体調が悪いのでこのままで……」
「いえいえ! まったく大丈夫ですから! はい!」
リヒルトは首をぶんぶんと振ってから続ける。
「ナスタシアさまこそ、その、体調はいかがですか?」
「最悪ね……人生で一番の最悪さね、間違いなく……」
はあ……とナスタシアがけだるげな声で応える。
リオが割り込んだ。
「あの、ナスタシアさま。ご無理は――」
「ふふ、これくらい大丈夫よ……少しくらい気分転換させてよ、暇で暇で仕方がないから……」
「過労と伺いましたが、大変ですね」
「うーん……医者は過労だって言ってるけどねえ……」
その後、ぼそりとナスタシアは続けた。
「違うんじゃないかなー……」
「違う?」
「過労ってこんなに長く倒れてないと思うのよね……そもそもずっと寝込んでるのによくならないし……体力はあり余ってくるくらいだと思うんだけどねー……」
ナスタシアは一拍の間を開けてこう続ける。
「それに変な夢も見るし……」
それからナスタシアは独り言のように話し始めた。
「……よくわからないけど……キリキリキリって音がして――張り詰めた糸がわたしの身体に巻き付いてくるのよね……」
ナスタシアが首を傾げる。
「……なんなのかしらね、これ。……糸の夢ってなんの暗示?」
「うーん、わからないですねえ……」
リヒルトはそう言って首を傾げた後、俺に目を向けた。
「アルベルトさん、知ってます?」
「いや、知らないが?」
そう答えた俺を、ぼうっとした目でナスタシアが見る。その様子は初めて俺の存在に気づいたかのようだった。
そして、病人とは思えない素っ頓狂な声を上げた。
「え、アレンジアが化けて出てきた!?」
心の底からびっくりしたような様子で。
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