伯爵領へ!
俺たちが乗る高速馬車はエメギス領へと入っていた。
何日にも及ぶ長期間の道のりだが、実に快適でこれっぽっちも疲れを感じない。さすがは貴族御用達の高速馬車――どころか、もともと王族が使っていた特注品だ。
費用など度外視の乗り心地は極上の域にある。
震動も騒音もまったくない。さすがにここまでのものに乗ったのは初めてだ。
あまりにも乗り心地がいいのか、隣ではローラが――
「すー、すー……」
座ったまま静かな寝息を立てていた。
「すごいな、この馬車は」
「そうでしょうそうでしょう! 自慢の逸品なんですよ!」
俺の言葉に、にこにこ顔のリヒルトが応じる。
この空間には俺たち三人だけが乗っていた。リヒルトに同行している従者たちは仕切りの向こう側に座っていて姿は見えない。
リヒルトが機嫌よさそうに続けた。
「領地ももらえて、転送陣に王族仕様の高速馬車までついてくる! いやー、ねえ……本当にありがとうございます、アルベルトさん!」
「……俺?」
「そうですよ! グリージア湖沼の戦果はまるまる全部、アルベルトさんのものですからね! 俺は代理でもらっただけ! アルベルトさんへの感謝は忘れたことないですよ!」
「……ははは」
そう言われると照れてしまう。
「気にしなくていい。いい領主になって国と民に報いてくれ」
「頑張りますよ!」
「ああ、頑張ってくれ。……末は公爵なんだろ、リヒルトは?」
「いやー、ははははは! 他人に言われると恥ずかしいですね。そうですね、末は公爵ですよ、俺は! 公爵になったらアルベルトさんに恩返ししまくりますから!」
「あてにしないで待っているよ」
「あ、でも! 俺が公爵だったらアルベルトさんは王さまになっているかもしれないですね!」
「……まさか、ないよ」
俺は首を振る。侯爵のお飾り当主だけでもいっぱいいっぱいだ。国の王などありえるはずがない。
「リヒルト、貴族が王になるなんて話は――不敬では?」
「あっ、あっ、あっ!?」
リヒルトがわたわたと慌てた。
「すいません! アルベルトさん! 今のなし! ノーカンで!」
「わかったよ」
リヒルトの反応がおかしくて俺は少し口元を緩める。
会話が切れたので、俺は馬車の横にある窓から外を眺めた。
俺たちを乗せた馬車は今、左右を高い崖に挟まれた隘路を走っている。
壁は頑張れば人が上れるくらいの傾斜になっていた――傾斜のきつい坂と言えなくもない。
壁の表面は柔らかそうな泥や砂礫で覆われていた。
無味乾燥な壁だけが延々と続いていてあまり面白みがない風景だ。
俺が興味を失いかけたとき、
ごろごろごろ――
と妙な音が馬車の外から聞こえた。
『う、うわああああああああああ!』
続いて、御者の悲鳴。
「……ふが?」
うるさかったのだろう。眠っていたローラが目をさました。ぼうっとした顔で首を振っている。
リヒルトが馬車の窓を開けて前方に座る御者に声を掛けた。
「どうした?」
御者の興奮した声が聞こえた。
「いわ、いわいわいわいわが!?」
「いわ?」
リヒルトが棒読みで繰り返す。
そのとき――
!?
開けた窓の向こう側、馬の前を大きな岩――と言うよりも、泥や砂礫が固まったものが猛スピードで通り過ぎていった。そこまで硬くはなさそうだが、質量と速度を考えれば無事ではすむまい。
「わわわわわわわ!」
馬も御者も慌てた。制御が――馬車が大きく左右に暴れる。
俺たちは馬車にしがみついて衝撃に耐える。
ただひとりをのぞいては。
「……ほへ?」
起きたばかりのぼーっとしたローラが露骨に体勢を崩して――
「はわわわ!」
べちゃりと床に這いつくばる。
「だ、大丈夫か、ローラ!」
「は、鼻が――」
鼻を押さえながらローラがよろよろと身を起こす。
また、馬車が激しく揺れた。
「はひいいい!」
ローラがごろごろと転がってイスに激突した。
「いたたたた! な、ななな、なんですか、これ!?」
馬車が落ち着いた隙を見計らって、俺は馬車の横側についている窓から外を見る。
「!?」
そのとき、ごろごろと馬車の横っ腹めがけて転がり落ちてくる砂岩が俺の目に入った。
そして、壁の上に立つ人影も――
彼らは足下にあるこぶし大の石を拾い、次々と坂へと転がした。すると、まるで雪の上を転がる雪玉のように砂や泥がまとわりついて大きな砂岩へと成長していく。
……あれは何だ。
だが、深く考えている暇はない。
「誰かの襲撃を受けているみたいだ」
俺は右手を向けて引き金となる言葉を口にした。
「マジックアロー」
俺の手からほとばしった白い矢が近付く岩を一撃で爆砕する。
「さっすが、アルベルトさん!」
リヒルトが喝采を上げた。
ごろごろと斜面から砂岩が次々と転がってくる。高速馬車が速すぎて狙いを定めるのが難しいのが救いだが。
「こっち側からは岩が来てないですね!」
逆サイドの窓を開けたリヒルトが叫ぶ。
なるほど、片側からの攻撃だけか……。
それなら何とかなるな。
「俺がマジックアローで岩を迎撃する」
俺は窓から身を乗り出し――
「マジックアロー、マジックアロー、マジックアロー」
マジックアローを連射して転がってくる岩を砕いていく。
そんなことを繰り返していると――
ひゅかっ!
すぐそばから嫌な音がした。そちらに視線を向けると矢が馬車の側面に突き刺さっていた。
視線を向けると崖に立っていた男たちが弓を構えている。
俺は馬車へと身を戻した。
「弓だ!」
俺の言葉にローラが反応する。
「ウィンド・カーテン!」
矢を弾く風の薄膜が馬車を包んだ。
「よくやった、ローラ!」
俺は再び窓から身を乗り出し、
「マジックアロー、マジックアロー、マジックアロー」
順番に岩を破壊していった。
すると馬車の前から再び悲鳴が聞こえてきた。
「う、うわあああああああああああああ!」
「どうした!?」
そう訊くリヒルトに、御者が前を指しながら叫んだ。
「前! 前! 前!」
馬車の前を塞ぐかのように砂岩が横に並べられている。
あそこに馬車が突っ込めば大変なことになるだろう。
リヒルトが短く叫ぶ。
「止められないのか!?」
「いや! いやいやいや! 馬が興奮してますし――そうでなくても! 高速馬車は急に止まれないですよ!」
そんな御者の声を遮るように俺は叫んだ。
「気にするな突っ込め」
俺は窓から身を乗り出し、右手を前方へと向けた。
「マジックアロー、マジックアロー、マジックアロー」
俺のマジックアローが道を塞いでいる岩に次々と炸裂する。
轟音とともに岩が砕け散った。
「さっすが、アルベルトさん!」
リヒルトが勢いよく手を叩く。
「前言撤回! ほらほら、走って走って!」
障害物のなくなった道を馬車は一目散に駆け抜けた。敵の追撃はない。まさか遮断した道を突破されるとは思っていなかったのだろう。
そのまま馬車は隘路を突き抜けた。
左右の岩壁が消えて視界が広がる。
敵の追撃は――
ない。
俺と、ローラと、リヒルトの緊張した視線が交錯し、
「「「は~~~~~~~~」」」
三人ともいっせいに息を吐いた。
リヒルトがだらりと座ってこう言う。
「いや~……マジで死ぬかと思いました……アルベルトさんのおかげで助かりましたよ!」
「ありがとうございます、アルベルトさん!」
リヒルトとローラが俺に向かって頭を下げる。
照れるな……。
「……その……みんな無事でよかった」
俺はうなずくと話題を変えた。
「今のはなんだ? 山賊か何かか?」
「うーん……その可能性はなくもないですけどね……ここ、うちと伯爵領を結ぶメインルートですから……」
そう言いつつもリヒルトが首をひねる。
「ですけど、それはそれでねえ……」
「何か気になることでも?」
「ええ……伯爵にはうちらが行く日を伝えているんですよ。である以上、この辺はちゃんと警備しているはずなんですよ。なのに、あんな岩を転がしてくるなんてねえ――準備万端じゃないですか?」
「そうだな」
「くっそ!」
リヒルトがいらだった声を上げた。
「たぶん、俺たちを歓迎していないから、手を抜いたんでしょうね、伯爵は! まったく、あの性悪おっさんめ!」
「……あるいは――」
ローラが暗い声を漏らした。
「その伯爵さまの差し金だったりして……?」




