肥満の兄クェイフ
「何をしに来たのだ。クェイフ」
「ですから、あまり見る事のない妹の顔を見に来たのですよ。それと、熟成した蜂蜜酒を開けましたので、それを持って来たのです」
「そうか、ではそれを持って来なさい」と父アグレイドが冷たく言うと、クェイフは扉の前で待っている侍女──主と同じ白い色の侍女服を身に着けている──が前に進み出て、その後ろから二人の男が木箱を運んで来た。
大きな箱の中には瓶が何本も入っており、その内の一本を掴むとクェイフは自慢げにそれを披露する。
「今年の熟成蜂蜜酒は素晴らしい出来ですよ。味はまろやか、香りもふくよかで芳醇。色も黄金色に輝き、甘さも上質。最高の出来と言えますな」
「ああ、あなたが蜂蜜酒を造っているのか。ウィンデリア領の蜂蜜酒地の神ウル=オギト様も絶賛されていましたよ」
俺がクェイフに伝えると、彼は勢いよく振り返り、両腕を大きく広げた。
「おお! そうか! いやいや、地の神の神殿に奉納しても感想などが返ってくる事はないからな、あなたが言うのなら間違いないだろう。ありがたい話だ!」
この兄の話し方は大袈裟で──声がでかい。
腕を広げる度に袖元の釦が弾け飛ぶのではないかとハラハラする。ぱっつんぱっつんになった白いシャツの悲鳴が聞こえた気がした。
「それにしても、あの有名になった旅団に妹が入っていて、しかもそこで副団長をしているだけでも驚きなのに、そこの団長とお付き合いをしているとは! いやいや、これは今年一番の朗報だ!」
気の早い兄は「二人を祝福するぞ!」そんな言葉を残して去って行った。正確には執事と侍女によって強制的に退場させられてしまったのだが。
彼が気の良い男だというのは分かったが、いささか騒々しい性格で、どっと疲れを感じてしまった。
レーチェもさっさと帰らせなさい、と執事達に命じる感じで手を振っており。アグレイドとレクシアも冷たい目で連行される息子を見つめていた。
「いや、すまないな。蜂蜜だの牛肉だのの品質改良ばかりをしていて、息子はどんどん肥大してしまったのだ。なまじ大きな領地を与えてしまったばかりに、あのような事に……
妻を娶ってからというもの、ますます太ってしまい、あんな姿に変わり果ててしまったのだ」
父の嘆きは、息子が悪霊にでも取り憑かれてしまったみたいな言い方で、危うく笑ってしまいそうになる。
幸せ太りのクェイフ。きっと妻を愛するあまり、あのような体型になってしまったのだろう。
それにしても、肥満は悪といった風潮があるとは感じていたが、まさかここまで拒絶的であるとは思わなかった。
アグレイドの言葉から察するに体面的な意味合いが強そうだが、肥満息子への拒否反応も本当らしい。
ここのところレーチェの様子がおかしかったのは、たぶん兄の事を話すべきか悩んでいたからだろう。
俺からするとクェイフの肥満は太り過ぎではあるが、かつて見た(テレビ画面越しに見た)肥満に比べればどうという事はない。何しろ自分で動けなくなるくらい太ってしまうという例もあるのだから。
ここに住む人々がそんな人間を見たら、卒倒してしまうかもしれない。
俺はそっとレーチェに耳打ちするように、小声で喋り掛けた。
「──おい、レーチェ。もしかしてあのお兄さんの事で、最近様子が変だったのか?」
そう言いつつ、食後に出された薄く堅いパンに乾酪を載せて食べる。
「え、ええ……何しろあの体ですから。はっきり言って、恥ずかしいですわ
──あの兄を人に見られるのは」
まあ気持ちは分からんでもない。
他の人々は痩せているのに、たった一人太っていたら、目立つのは必然だろう。
「だがまあ、気の良い人じゃないか」
「鬱陶しいくらいに?」
レーチェは容赦なく核心を突いてくる。
「まあ、それはそうかも」
率直に返事をすると彼女は笑い、焼き菓子を一つ口にした。
「ところで二人は今日、泊まっていくのだろう?」とアグレイドが言った。
「いえ、二人とも帰りますわ」
「レーチェは久し振りの実家だろう? 残っていってもいいんじゃないか?」
「いえ、明日は冒険に出ますので」
きっぱりと告げるレーチェ。
「はは……相変わらずだな。レーチェは言い出したら聞かないからな。君も苦労しているだろう」
「最近は慣れました」
「ちょっと。否定してくれてもいいんじゃありません?」
怒った様子のレーチェに、家族は揃って笑うのだった。
熟成蜂蜜酒はそんなに長い期間熟成させる物は少ないみたいですね。数年くらいが一般的なのかな?




