就寝前にレーチェと
言わなければ伝わりません。
思うだけでは何も成せない。
風呂場から出て自室に戻ると、眠る前に机に向かって錬金術に関する研究について書き記す。
けれどもそうした作業がなかなか手に付かず、髪を乾かしながら、新しい乾燥器を作れないかと考えたりして眠気を待った。
「……眠くならないな」
温まった体が冷えていくと、人は睡眠し易い状態になるはずなのだが。
窓を開けて外気を入れようかと考え窓に近づくと、表に誰かが居る気配がした。窓幕の隅から覗いたが、誰かが訓練をしているようだ。一人で木剣を振るっている音がする。
体の冷やし方が足らないのかと思い、自分も外に出てみようと部屋を出た。
いったい誰が深夜になる時間に訓練をしているのかと、それを確認したい気持ちにもなっていた。
玄関に行くと、靴を履いている俺に白猫のライムが声を掛けてきた。彼女は子猫達に寄り添って横になっていたが、巣箱から出て来て「どこへ行くのか」とでも言うように「ニャァ~」と鳴いた。
「ちょっと外に出るだけだよ」
そう言うと母猫は大きな欠伸をして、巣箱に戻って行った。
玄関から表に出ると、暗闇の中に一つの明かりがぽつんと、地面の上に置かれていた。
その淡い角灯の明かりの側で、金色の髪が揺らめいては闇の中に消えてゆく。
レーチェだった。
木剣と盾を手にした彼女が、地面に置かれた角灯の周囲を忍び足で回りつつ、剣を振り、盾で見えない攻撃を防御していた。
静かだが、かなり真に迫った様子で、一つ一つの動作に重さや鋭さを感じる。
そこへ近づいて行くと、彼女はこちらに気づき、ゆっくりと呼吸を整えていた。
「あら、オーディスさん。どうしました?」
「それはこっちの台詞だ。真夜中だぞ」
「なんだか眠れなくて」
「そうか」
そう言って暗い空を見上げると、レーチェは「ふふっ」と小さく笑った。
「どした?」
「いえ……自分でもよく分からなかったのですが。たぶんあなたに負けて、悔しかったのでしょうね。それで寝付けなかったのです」
「そうか」
俺はなんとなく眠気を感じてきた。
レーチェと言葉を交わし、安心したのかもしれない。
なんだか非日常的な一日だったような感覚がある。
彼女と決闘をし、告白をし、明日には彼女の両親に会いに行くという、その全てが。──もしかして朝起きたら、全部夢だったというオチが待っているのでは? などという考えが頭を過ぎる。
「それに、やっぱり照れ臭いですわ。人から直接『恋人になってくれ』などと言われるのは」
暗闇の中で、彼女が顔を赤らめたような気がした。
「……そうだな」
自分もやっと気がついた。
俺が一日、謎の浮遊感の中に居て、落ち着かない気持ちでいた理由に。
自分の本心を見せるという行為。そこに落ち着かない気持ちになる理由があったのだ。
好きな相手に自分の隠していた想いを告げる事。それは別に不純な行為という訳ではない。
しかし、それを大っぴらに出来ないのは、必ずしも自分の想いが相手に届くとは限らないからだ。
もしかしたらこの想いは、相手にとって迷惑かもしれない。断られるかもしれない。そんな風に良からぬ結果になる事を想像して、その不安な想いはどんどん積み重なってしまう。
切り出せない想いは、時間と共にどんどん重く、大きくなってしまう。
けれども口に出して言わなければ、決して相手には伝わらないのだ。
勇気を出して伝えなければ。
断られるかもしれない。
傷つくかもしれない。
そんな想いと闘って、自分の中にしまい込んでいた想いを言葉にする。
それが気恥ずかしいのだ。
隠していた想いが相手に知られるという、自分の内面を曝け出すという行為。
相手への想いを隠してしまうのは、その想いが真剣なものだからだ。
どうしようもなく孤独で、純粋な気持ち。
それが大切な想いでなくてなんなのか。
たった一つの、この世でたった一つの──特別な想い。
そこから生まれる感情は、自分というものをとても小さく感じさせる。
想い人の前では上手く喋れなくなったり、思っていたのと違う言葉を口にしてしまったり。自分自身でも制御できない気持ちを胸にした時に、人は初めて特別な階段を上ろうとするのかもしれない。
自分の為だけでなく、自分と関わる誰かと共に生きようとする、ごく自然な感情。
その秘めた想いと自分自身がぶつかった時に、大人への道に踏み出すのだ。
「思えば遠くまで来たもんだ」
まさか告白する相手が、自分の生まれた世界とは違う世界の女になろうとは。
異性と付き合った事はあったが、自分から告白したのは初めてだった。それもまた気恥ずかしさの理由だろう。
「なんですか、遠くまで来たって」
「世界を越えて、お前に会いに来たって事さ」
俺は恥ずかしさを受け入れて、自分から気障な台詞を口にしてみた。
二人の間を静寂が包み込む。
離れた場所にある樹木の枝を揺らす風の音が聞こえた。
「……我ながら恥ずかしくなってきた」
「──そうですわね」
なぜか彼女もそう言っていた。
その声に、何やら固いものが含まれているな──、そんな風に感じていたら、レーチェはすぅっと俺の側に寄って来て、頬に口づけをした。
「それでは、おやすみなさい」
そう言うと彼女は、宿舎の方に駆け足で戻って行ったのだった。




