長い眠りからの目覚め
ちょこっと小難しいはなしを。
「おはようございます」
側に立っているレーチェが俺の顔を覗き込みながら言う。
「ああ……おはよう」
その顔を見れば、相手がどれだけ心配していたのかが窺われた。
彼女の顔を見て安心した俺は、きっと弱々しい笑みを浮かべていたのだろう。レーチェの目に光る物が滲み始めていた。
「もう目覚めないかと思いましたわ」
「そんなに眠っていたのか」
「もう一月になりますわ」
一ヶ月間も! ──そんなに眠っていたのに、目覚めは全然すっきりしたものではなかった。
むしろ体中にだるさがのし掛かってきており、自分が改めて死にかけたのを思い出してくる。
そうだ──俺は、暴走したナンティルに剣で胸を貫かれたのだ……。そうした事も段々と思い出してきた。
「ニャァァ──ン」
ぐりぐりと頭を押しつけるライムの攻撃が強くなる。
「わ、分かった、分かったから……」
重い身体を動かして片手を持ち上げ、ライムの背中を撫でてやる。
するとまた「ごろごろごろ」と喉を鳴らし、満足そうに俺の顔の横に座り込んだ。
「心配をかけたな」
「まったくですわ」
白猫を撫でながら言うと、レーチェは涙を拭うような仕草をして顔を背ける。
しばらく二人と一匹の間に沈黙が沈み込んだ。
何から尋ねればいいものかと考えながら、ぼやけた頭を使って先ほどの声を思い出す。
レーチェは猫が苦手だったはずだが。
「レーチェ、ライムに触れるようになったのか」
そう言うと、彼女はキラキラと光る薄紫色の瞳をこちらに向け、静かに頷いた。
「ええ、ここのところずっとあなたの看病を私達はしていたのですが、その間ずっと、この猫もあなたの側にくっついて離れなかったのですわ。あなたを心配しているその姿を見ているうちに、なんだかこの子とは友達にでもなれたように感じましたの」
レーチェがそう言うと、ライムが「ウニャァ──」と返事をした。
ライムは身体を横たえると、痒い所を押しつけるみたいに、俺の顔に背中を擦り付けてくる。
俺がそのお腹を撫でてやると、ライムは俺の指を甘噛みし、両手両足でがっちりと俺の手を掴んだ。
もふもふした猫のお腹を撫でながら、先ほどの気味の悪い夢について考える。
夢の記憶はいつもならすぐに忘れてしまったり、部分部分が抜け落ちてしまったりするものだが、今回見た夢は割と鮮明に覚えていた。
混沌は俺の中から消え去ったはずだ。──でなければ、俺はこうして息を吹き返す事もなかっただろう。
夢の中で混沌は、何を訴えたかったのか。
本当に人間を知るのが目的だとしても、それはいったい何故だろうか。
ただの物体とは違い、様々な異なる思想や価値観を持った人間に興味を抱いたとでも?
──だが、奴には人間の事など到底理解できまい。……それは人間である俺にとってもそうなのだから。
人間はそれほど多様な精神性を持った生き物だ。
個人個人がその精神性と向き合い、自分を肯定したり否定したりしながら成長し、人格というものを獲得していく。
誰も自分から逃れられないにもかかわらず、多くの人は、自分の本質に目を向けようとはしない。──この矛盾した生き方こそ、人間そのものだ。
個人が集団の中で生活し、その中で協調や軋轢を感じながらも、自身を変化させたり、時にぶつかりあったりしながら生きている。
そうして俺達は何かを得、何かを失いながら──成長や、時に妥協や順応を手に入れる。
今までの世界ではそうだった。
だが──ここ、フォロスハートで生きる俺は、以前のようには生きていない。
周囲の不本意な協調を受け入れたり、あるいは望んだりもしない。
今の俺はかつてないほどに、自由に不自由を満喫しているのだ。日々の生活という不自由を。
過酷な戦いや死の一歩手前まで経験する事にもなったが、こちらの世界に来られて良かったと心から思う。
「ゥニャ、ゥニャ」
甘噛みしながら鳴き声を上げるライム。
俺の心配をしてくれたレーチェや仲間達。
この世界には、俺を心配してくれる皆が居る。
それは俺に──例え苦痛や恐怖のただ中にあっても、勇気や幸福感を与えてくれるのだ。
「とにかく、あなたが目覚めた事を皆に伝えなくては」
レーチェはそう言って、立てるかと聞いてきた。
「ああ……たぶん」
上半身をなんとか起こすと、体中の筋肉がぎしぎしと突っ張るような感覚を覚えた。
「うぐっ……、全身、筋肉痛みたいだ」
「たぶん、復活した後遺症のようなものなのでしょう」
「なに?」
俺は寝台から足を下ろすと、彼女の言葉に首を傾げながら、その言葉の意味を尋ねる。
「……あなたは一度、死んだのですわ」
彼女は俺を見下ろしながら言った。
「どういう事だ?」
「心臓を貫かれたあなたは胸から大量の血を噴き出し、倒れたのだそうです。傷は早めに処置して、なんとか出血を止めた頃には──あなたの心臓は、もう……」
「なら、なぜ俺は生きているんだ?」
「それは……パールラクーンの女神アヴロラ様が、あなたの命を蘇らせたからですわ」




