地の化身に捧げる鎌を造ろう
錬金術師の心構えや、その精神について語られている感じの内容かな。
しばらく小難しい話が出るかもしれません。
「それはそうとレオよ。『無限の混沌領域』が現れたら戦いに参加する、と言うのなら、普段の冒険にも出られるよな? 必要な場合は上級難度の転移門への冒険に、お前も参加してもらうぞ」
するとレオは「人使いの荒い団長だ」と文句を口にした後で、「団員の指導の合間になら」と答えた。
今のレオにとっては冒険に、かつての様な期待や高揚感といった物が、薄くなってしまったのかもしれない。
「燃え尽き症候群」などと言う仰々しいものでは無く、ただ単に歳を取り感覚が鈍ってきた事と、若者の育成に気持ちが移行したのが原因だろう。
若い頃の情熱で「自分が自分が」と、前に前にと行動を起こしていても、いつかはそうした気持ちと踏ん切りをつける時期がやって来るものだ。
情熱を持ち続けたまま活動をするのは、もちろん素晴らしい事かもしれないが。未来に種を蒔き、自らが去った後にも、自らの残した息吹を継承させるのは、フォロスハートに住む者であれば皆、考えなければならない事柄であった。
リゼミラも冒険や戦いに前のめりに取り組んでいるが、仲間である若手や、自分自身の子供を育てるのにも積極的に取り組んでいる。
自分だけの事を考えている内は半人前なのだ。
それはどこでも同じだろう。
人々が互いの生活を為して行くにあたって、自らの我が儘だけを通そうとしていたら、必ず対立するものだ。
他人の事も考えて行動できるようになって、初めて一人前と言える。
「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを……!」
俺は宿舎を出て、庭で訓練を開始したり、冒険へと向かって行った仲間を見送りながら、思わず呟いた。
ひしひしと、大きな神結晶すら砕いてしまった──あの一撃を後悔する。
しかし、仲間を救う為に放ったあの一撃は、自分の人生の中でも、五本の指に入るであろう、渾身の一撃だった。
もちろん数ヶ月前に「混沌の巨獣」を相手にした時に放った攻撃は除くが。……あれは地の神ウル=オギトの力を借り受けて、成し遂げた攻撃だったからな。
神結晶を打ち砕いた攻撃は、冷静さを失った攻撃では無かった。むしろ逆に、研ぎ澄まされた冷徹な感覚と思考が一致して放たれた一撃だった。
相手の固い装甲の様な身体を砕き、倒す為には、それまでに与えていた攻撃によって出来た傷口に対して、正確に狙い打つだけの冷静さが無ければならなかった。
あの時の感覚──焦燥の中にある、勝利への確信。
「必ず一撃で仕留める」そうした想いが心の奥底から沸き上がり、力が漲るのを感じていたのを、はっきりと覚えている。
人間の心や体には、潜在的に「仲間を守る為に」働く、秘密めいた器官が備わっているのではないだろうか。
あの時に引き出された力は──自分だけでは奮う事の出来ない、火事場の馬鹿力を超えた威力を発揮したのだ。
「まあ、それで神結晶を砕いてしまった訳だが」
仲間も救い、神結晶も回収できていたら完璧だったが、そうはいかないところが俺の人生なのだろう。
全て上手く行く奴が羨ましい。
だがどんな成功者でも、挫折や後悔くらいあるだろう。
「無い」と言う奴は、そうした記憶を無かった事にしている奴に過ぎないのではないか?
人間であるならば、自らの無力さを前に歯噛みし、苛立ち、それでもなお食い下がって立ち向かおうとする、それくらいがちょうどいい。
鍛冶屋に来ると、ケベルとサリエに声を掛け、今日の仕事を始める前に、休暇でした事について尋ねてみた。
「実家の方に帰って、近況報告みたいなものをしていました」とケベル。
「私も似たようなものです。あと、友人に会って食べ歩きをしたりしました」とサリエ。
どうやら思い思いの休日を過ごし、多少は日頃の疲れを解消できた様子だ。
今日の作業内容を確認し、こちらは地の化身の象徴武具を造るので、見たかったら作業を止めて見ても構わない、と言っておいた。
まずは素材を用意し、設計図を前に細部を確認しながら、心象訓練をして──どのような物を造り上げるか、はっきりと意識しておく。
今回の象徴武具は小さな鎌だ。貴重な神貴鉄鋼を大量に消費する訳では無い、気楽にいこう。
持ち手の部分にはとねりこの木を使用する。
鎌の上部に黄玉を填め、背の部分には水晶を、柄の下部には黒水晶を填め込むと決めた。
刃の一部に稲穂を心象する紋様を浮き彫りにする。この稲穂には、波に似た表現も加えようと考え、設計図に書き足す。
──そんな風に完成型の心象を決定すると、神貴鉄鋼を溶かしながら、金鎚を握り──精神統一をする。
新たな神を迎え入れる時に俺は、双神の片方と戦い、そして彼を救った。
倒すのでは無く救えたのは、本当に良かった。
そうする事で、フォロスハートを守る神が失われずに済んだ。
エウシュアットアはエウシュマージアが倒されても、切り離された半身が自らの中に戻って来ると言っていたが、倒されて力の一部が失われてしまうのを防げただけでも意味がある。
溶け出した銀色の金属が赤々と熱を発し、ちりちりと燃え上がる。その金属を金床に乗せると、金鎚で打っていく。
火花を散らす、熱せられた金属。
不純物の少ない金属ゆえに、飛び散る火花は少ないが、金属を延ばしながら慎重に叩き続ける。
心の中では地の神へ捧げる祝詞をあげながら、蛇の姿を思い浮かべ──力を回復した暁には、その小さな姿から大きな蛇へと変わるのだろう、などと考えながら神の復調を願う。
ときおり炉の中へと戻しながら、金属を鍛え上げる。この鍛冶作業は錬金術と似ていると改めて思う。
物質に命を吹き込むみたいな作業だ。
金属を「鍛える」とは、正に鍛冶職人が向かうべき金属に、自らを投影していた証ではないか。
一つ一つの行程によってその物質は、ただの物では無くなり、力を持った物へと生まれ変わる。
役割を与えられ、使う者の良き相棒となるようにと、丈夫な壊れにくい身体になるようにと願って、鍛え上げられるのである。
そうした作業の中で、鍛冶師自身も鍛え上げられて行くのであろう。
一つ一つの作業に真剣に向き合う者だけが、そうした感覚を獲得する。日々の仕事が、真剣な取り組みとなった者には──開かれた、悟りへの入り口が垣間見える瞬間がある。
自分の魂が、相対する作業の中で成長していくのを感じるのだ。
今──それを感じながら俺は、金属から鎌を生み出そうとしている。
生まれてくる形とは、生まれる前からすでに決まっているのだと、そんな風に感じる事が何度かあった。
物であるそれらが、まるで生きているみたいに、自らその形を選び取る。
俺はその生まれてくる物に手を貸すだけの道具でもある。
不思議な事だが、誠実な作業とは──存在の根幹から遠ざかって、何か得体の知れない領域へと感覚が入り込んでいく状態になるのだ。
無我の状態から、自然と高い領域に引っ張られていく、そんな感覚がある。
逆に言えば──怠惰で、理性を蔑ろにする者は、自然と低い領域に引きずり込まれるだろう。
そこは、自然の中にある混沌。
魑魅魍魎が存在する、邪悪で蒙昧な無意識の領域である。




