女神の裁定
傍点を打ってある箇所に注目して読んで頂きたいですね。
神の主体がどこにあるのかを暗示しています。(後書きにその意味するところを(念の為に)書いておきます)
しんと静まり返った中に、突如小さな拍手が起こった。火の神ミーナヴァルズが手を叩いているのだ。
それはぱち、ぱち、ぱち、と小さな物だったが、女神の後ろに居た巫女達はその場で脚を折りひざまずいた。
錫杖を持った巫女が、女神の言葉を受け声を上げる。
「まったくその通りである。オーディスワイアの怒りは尤もである。あの者の発した怒りの声は我々の言葉、我々の嘆き、我々の恥辱の表れである。ああ、なんと嘆かわしい。我が愛すべきフレイマの輝ける旅団に、この様な恥ずべき事が起きようとは──情けなくて言葉にならぬ」
その言葉の重さに「朱き陽炎の旅団」の連中が震え出したのは仕方が無い。誰が神の激昂を前に平然としていられようか。
彼らはその場でひざまずき、ある者は恐怖のあまりがたがたと震えが止まらぬ様子で、終いには気を失ってしまった。
巫女達の手によって引きずられる様にして、裁定の間から退出されていった者達は──別に処刑される訳ではないが。ある意味ではそれ以上に酷い扱いを受けたとも言える。
自分達が所属する旅団が、まず最初に名前を挙げて崇める神に、切り捨てられるのと同義の言葉を投げられたのだ。仮にどうしようもない愚か者であっても、自らの行いが招いた結果がどれほどのものであったかを知るのに、これ以上の事はあるまい。
「してオーディスワイアよ」
唐突に巫女の口から名前が呼ばれ、ぎくりとする。
「汝は確かに我の言葉を述べたと言って良い。然しあのような穢い言葉で罵って欲しくは無かったのぉ。仮にも我の住まう街で活躍する旅団の者を掴まえて、『薄汚い野良犬共』など。ああ、我は哀しい。いや、お前の言う事も尤もな事。ああ、でも哀しや。おぉ、この様な哀しみは、嘗てミスランで輝かしい冒険を繰り返し行っては、その恵みを街の者に振る舞っていた『金色狼の三勇士』が、袂を分かった時以来かも知れぬ。のう? オーディスワイア」
俺は思わずぐぬぬっ、と唸ってしまった。この女神は愉しんでいるのだ、まったく意地の悪い神様である。
「まあ其れは良い、アブサウドよ」
「は……」
「今後はこの様な事の無い様に頼むぞよ。我が再びあの様に怒りを纏って汝の前に立たぬ事を願っている」
アブサウドは、ただ頭を垂れて女神の言葉を受けている。やはり団長などやるべきではないなと思わずにはいられない、彼──アブサウドは実直な男だ。おそらく女神の裁定など行わなくとも、彼が直々に自らの部下を問いただし、糾弾した事だろう。
だが彼は、敢えて自分から女神に今回の件を報告し、その判断を受けようと考えたに違いない。彼が求めた事は、はっきりとした処罰だったのではないだろうか。言葉でそれが悪いこれが悪いと言ったところで、所詮人間の言葉に過ぎないと、故に最も強力な権威であり、自分達の存在の根幹である神を前に罪の告白をする事を選んだのだ。
要するに神は人間一人一人でもある、というところがミソなんです。
命の発端というよりは、精神の発端であり大元である神は等しくそれらのものでもある──精神や魂の総体でもある神は全ての人間達の思いも行動も全て把握している訳です。
それと同時に人間(この場合はオーディスワイア)の言動の中には神が宿る、という事を火の神ミーナヴァルズは示した、という事です。
最初の方の「我々の」というのはもちろん四大神の事を指しています。




