混沌の意識侵蝕
ちょっとわかり辛いかな……意識を乗っ取られていた訳ではありません。
ただ、意識と無意識の境が曖昧になって、若干無意識側に引き込まれ過ぎた、みたいな話。
危険ですよ、魔術の領域のお話ですけど。
俺はその日から、文字通り、取り憑かれたみたいに研究に没頭した。
自費で混沌結晶を買い。メリッサに頼んでいた、管理局から混沌結晶を回収する依頼を出した件を尋ね、「魔法を無効化する指輪」と、その作製方法を教えて混沌結晶を貰った。
彼女は何か他にも、報酬などについて言っていた気がするが、──覚えていない。
俺は旅団の仲間からも心配されるほど、混沌結晶から引き出せる情報を求めて、実験を繰り返し、行い続けていたようだ。
自分では、よく覚えていないのだが。
三日ほど、睡眠も碌に取らずに作業していたみたいだ。食事や睡眠も多少は取っていたはずだが、満腹を感じたり、眠ったりした記憶が無い。
夢の中でも、混沌結晶を使っての実験を行っていた気がする。
*****
その間も、俺は団員達と一応の会話をし、普段と変わらぬ挨拶や、指示を出していたのだが、異変に気づいたのは、猫のライムだった。
ある日、宿舎に帰って来た俺を見て、ライムが鋭い威嚇の声を発したのだ。
「ちょっ、ちょっ、どうしたの? オーディスワイアさんだよ⁉」
ライムを抱き抱えながら、ユナが母猫を落ち着かせようとする。
「なんだなんだ、ライム。どうしたんだぁ?」
俺が手を伸ばそうとすると、彼女は嫌がって逃げ出し、廊下を走って食堂へと駆け込んで行く。
食堂から奇妙な悲鳴が聞こえた──レーチェの声だろう。
ライムはレーチェの脚に飛び付くと、必死に何かを伝えようとしている、そんな様子だったらしい。
「な、なんなんですの⁉ この猫は! 誰か、この猫を何とかしてくださいな!」
食堂にはレーチェの他にも、リゼミラやアディーディンクも居た。
俺が食堂に入ると、久し振りに顔を合わせたアディーが、急に顔をしかめる。
「オーディスさん、なんか様子が……凄く嫌な気配がします」
リゼミラは気づかなかった。レーチェもだ。
アディーは俺に「解析」の魔法を掛けてきた。
「……! オーディスさんから、混沌の反応が出てますよ! 凄く微量な──小さな物ですが。いったい何をしていたんですか⁉」
俺はアディーに椅子に座るよう言われ、ここ数日間の事を思い出そうとしたが、ぼんやりとした曖昧な記憶を辿ってやっと、混沌結晶を使った実験をしていた事を説明した。
まったくもって意味が分からないが、俺はここ数日間。夢か現実かも分からない様な状態のまま、研究に没頭し、夢遊病者か何かみたいに、意識が薄弱な状態で──周りに居た仲間達が、多少の違和感を感じながらも、見逃してしまうほど、普段の俺と変わり無く見えていたらしい。
「危険ですわ。やはり混沌結晶など、安易に装備品に使う訳には……」レーチェが不安を口にしている。
椅子に座った俺に、アディーが混沌の影響を取り除こうと、状態回復魔法を掛けたりしながら解析を続けている。
ふと、混沌結晶を使った実験の事を思い出し、俺は夕食を食べる事も放り出して、鍛冶屋の研究室へ向かった。
そこは鍛冶屋の奥にある、錬成台や作業台を設置した研究室で。机の上には乱雑に書き殴った紙で一杯になっていた。
「うわ、何ですか? この紙に書かれた字は……オーディスさんの字とは思えませんよ」
付いて来たアディーが、そう言うのも無理は無い。俺が書いた物に違いないのに、まるで読めない様な物まで、そこに積み重なって置かれていた。
俺はそれらを無視して、実験で作られた物が置かれた中から、一つの結晶を取り出す。
「これだ。これが混沌を吸着するはずだ」
アディーは頭(脳?)に混沌の反応があると言っていた。透明な水晶に似た結晶は、光を透すと、水色よりもさらに薄い、蒼い色を映し出す。
その結晶を頭の上に乗せて、アディーに確認するように言う。
「……あ、確かに。混沌の気配が結晶の方に──移って行くみたいです。──これは?」
アディーは頭から混沌の影が消えたと言った。俺も、靄が掛かった様な気分から解放され、自分というものが、はっきりと認識──自覚できる状態になった。
「この結晶は混沌を吸着する結晶だ。製造方法は、その壁の板に貼り付けてあるはず」
壁に取り付けられた板には数枚の紙が貼られ、その中に汚い字ではあるが、結晶の作り方が書かれている。
「まずは混沌結晶を、その乱雑な結合状態から解放し、部分部分に分解する事に成功した。その内の一つから取り出された結晶を、さらに精製すると、この『混沌吸着結晶』が作り出せる」
そう説明しながら、色々と他にも作ろうとしていた事を思い出す。
「そうだ。混沌が俺の頭に留まったのは、混沌結晶を分解する作業を始めてからだろう。おそらく分離したもの以外の、微粒子の様な物が、頭に入り込んで、俺の意識を混乱させたらしいな」
俺が分析しながら説明していると、アディーやレーチェが「らしいな、じゃなぁ──い!」と、ハモって怒り出す。
「研究は一度、中止です! 混沌が頭に入り込んで意識を混乱? 危険極まりない!」
とレーチェが言えば。
「吸着結晶などを作っていたのは良かったです。でも、団員達に実験の事は話しておくべきでしたね……」
などと言って、俺を研究室から引きずり出すと、宿舎の方へ強制的に帰らされたのであった。




