錬金術とは哲学である
今回は錬金術関連のうんちくと、オーディスワイアさんが過去に(フォロスハートでの事を語りながらも、それ以前で起こった事などを重ね合わせて語っている)あった事について独白する内容。
錬金術って、(割と)個人的なものなのですが、オーディスワイアさんは以前から、その力を世界の為に使おうとしていた人なんですね。
彼はフォロスハートに来た事を心から喜んでいるのです。(それはつまり……)
鍛冶屋に戻ると、新たな仕事の依頼が入っていた。簡単な強化錬成だ。魔法の武器については、入り口近くに貼った案内板に、その製造の難しさにつき、失われる素材の保証は出来ない事などを書いてあるので、大抵の──よほど素材と金の余った上級冒険者でなければ、魔法の武具を作って欲しいとは言い出さないであろう──冒険者には損失の恐れが先立つだろう。
まずはケベルとサリエに昼食休憩を取らせ、その間に入ったばかりの簡単な仕事をこなす事にした。
預けられた鋼の剣に、同じく依頼者が持ち込んできた「灰色狼の牙」を使って「攻撃力強化」を付ける依頼だ。
錬成台にそれらを持って行くと、一度考えを整理して、錬成に集中する。
どんな単純な錬成であっても気を抜く理由にはならない。一つ一つの作業に全力で望む。
それが錬金術の深遠な作業への奉仕というものだ。──それは己を鍛える事と同義である。
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誰かの為に行う作業だとしても、それはやはり己の為になるのだ。
小さな仕事だと手を抜く者は、深遠なる作業の深奥に触れる事は出来ない。というのが錬金術の教えるところだ。
知る者は知り、知らぬ者は永遠に知らぬ。
叡智の扉がすぐ側にあっても、俗人には気付かれぬであろう──何故なら彼らは盲目だからである。
気難しい哲学者の戯れ言では無い。
我々は知っている。知らなければならぬ。
答えは身近な所から始まり、その道の先にしか無いのだという事を。
だからこそ、一つ一つの作業を疎かにはしない。
愚か者になるのは簡単だ。
哲人になるのは困難な事である。
俺は今、誰かが依頼した鋼の剣に向き合いながら、自分自身が昔した決意と向き合っている。
錬成台の上に剣と素材を丁寧に並べると、俺は錬成を始めた。
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かなり良い結果が生まれた。あれだけの素材でこれだけの攻撃力が強化されるとは──。今までの錬成の中でも五本の指に入りそうな上昇率だ。
初心に返って、真摯に作業に取り組む気構えが出来たのが功を奏したのだろうか。
むしろここは、怪我の功名と言うべきか。
勁を傷つけ、錬金鍛冶の仕事が出来なくなった事で、却って自分の果たすべき役割に気づいたと言うか、取り戻したと言うか……
自分は多くの人に支えられ、そして多くの人々を支えられるのだと思い知った。
海に生きる巨大な鯨も、小さな鰯や、それよりも遥かに小さな微生物が居なければ、彼らは生きられない。
小さな生き物が滅べば、大きな彼らは何を食べて生きるのだ?
俺は鰯だ。
誰かを支え、生かす為の技師。
彼らが活躍すれば、この都市に、この世界に物資が齎される。
俺はその事を苦だと思った事は無い。
ただ、冒険者を辞める事になった時は苦悩したが。
今まで果たしてきた事が出来なくなるという──挫折感。
それでも俺は別の道がある事を、すぐに思い出した。それは今まで、自分を支えてきてくれた人々が居たのを思い出したからだ。
俺は冒険者をやっていた頃から、鍛冶屋や魔法屋、料理屋や道具屋などの人達と向き合ってきた。俺は彼らと共に生き、戦っているのだと感じていた。
だからこそ、挫折を乗り越えられたのではないかと思ってきた。
周りの人に対する感謝も無く、自分の果たしている事を得意げに、ひけらかすだけの幼い精神では、自分が傷ついた時に、人に助けを求める事すら出来なくなるのでは無いだろうか。
他人に対する優しさや厳しさは、いつでも自分をしっかりと持ち続け、他人を愛する気持ちから生まれるものなのだ──他人を軽蔑する者が、他人を理解しないのと同じ様に。彼は自分自身を理解しようとはしないだろう。
無関心が人を、自分を成長させる事が無いように。彼は自分を愛せなくなるのだ。
孤独は時に人を強くするが。
孤独に溺れた者は、自分すら見失ってしまう。
俺は他人の装備品を鍛えながら、己を鍛えているのである。
己の弱さに負けはしないと、金鎚を振り上げて、熱さにも、疲れにも負けず。油断や迷いを打ち払いながら。
一つ一つの作業に邁進する。
これも立派な勤めであり、戦いだ。
今はただ、武器や防具を鍛える事しか出来なくても。
それが誰かを守り、救う事になると信じている。
俺はこの大地を、ここに住む人々を、仲間を、そして神々を──愛しているのだから。
彼らを救い助ける、あらゆるものに──感謝と愛を、返そうと思う。




