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狼侯爵と愛の霊薬  作者: 橘 千秋
第二章
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54話 黒幕は始まりの場所に囚われる


 フランレシア王国の王都の外れには古い学び舎がある。

 建国後数年で建てられたというその学校は、現女王の母校であり、かつて国内の最高学府と呼ばれるほどの場所だった。

 今で学問の最高峰と言えば、エレアノーラ学院だと国民の誰もが答える。ここは学位の落ちた学び舎であったが、高位貴族たちの子女が集う格式高い場所として人気が高い。


 詰め襟の白い学生服を着る学生たちが学生街にひしめく中、黒い貴族服に身を包んだ男が誰の目に止まることなく歩いている。

 その名はギクラス・セルザード。

 彼もまた、かつては女王の側近としてこの学び舎に通う学生の一人だった。



「……まったく、やけに人が多いと思ったら今日は試験最終日か」



 学生の頃、憂鬱な試験から解放され、大きな達成感と僅かな不安に揺れるこの日は、堅物で面白みのないと言われていた自分も特別な日のように感じていたような気がする。


 ギクラスは懐中時計を取り出すと、小さく息を吐く。



「……約束の時間の十五分前か。習慣というのは、嫌になるな」



 ギクラスは大通りから迷うことなく路地に入った。

 喧騒から離れたその場所には貴族の学生寮が多く、道も整えられている。ギクラスは赤いレンガ造りの建物の前に立つと、懐から古ぼけた鍵を取り出した。

 慣れた手つきで解錠すると、そのまま闇に溶けるようにするりと建物に入った。



「……二十年ぶりか。恐ろしいほど変わらないな」



 よく手入れされているのか、廊下には塵一つない。調度品の一つ一つも光り輝き、高貴な身分の者が住むに相応しい場所と言えよう。


 ギクラスは二階へ続く階段を上り、談話室の扉を開けると、そこには先客がいた。



「貴方は昔から、つまらないほど時間を守る男だったわよね」


「お前が私よりも先にいるなんて、今日は槍でも振るんじゃないか、エレアノーラ」


「あたくしにそんな無礼なことを言うのは、今ではギクラスだけだわ」


「そのままそっくりお前に返す」



 フランレシア王国女王エレアノーラはギクラスを見ると、艶然と笑った。

 年齢を重ねても、地味な服を着ていても、女王の美しさは変わらない。


 しかし、ギクラスはそんな彼女を見ても心一つ動かされない。何故ならば、女王の中身が女郎蜘蛛のように狡猾で、狐のように捻くれた遊びが好きだと知っているからだ。



「……昔は四人で集まって、あの子の勉強を見たり、いけ好かない貴族の悪口を言ったり、授業の情報を共有したり……たわいない、とてもちっぽけなことをしていたわね」


「……今では私たち二人しかいないがな」


「そうね。あの人とあの子はもう死んでしまったから」



 女王はそう言うと、窓の外へ視線を向ける。

 あの人は女王の夫のことだ。彼はジェイラスが物心つく前に、女王を暗殺者の手から守り死んでいった。

 彼女は悲嘆に暮れる姿など周りには見せず、残った三人を集めて、この特別な場所で泣いていた。

 しかし、あの子――ファリスが死んだとき、女王はギクラスをここへ呼ぶことはなかった。



「懐かしいわね、ギクラス。あたくしが学生で王女だった頃、信じられる味方はあの人とあの子と貴方だけだったわ」


「信じられる、か。私は政略結婚で他国へ嫁ぐ予定のエレアノーラならば、側近になっても後腐れがないと思っただけだ」


「皆があたくしに見向きもしない中、側近に自ら名乗りを上げたギクラスを最初から信頼していたわ。貴方の欲深さは、他の貴族たちとは方向が違うもの」


「……私は、セルザード伯爵家を『伯爵家』として遺していく義務がある」



 出る杭は打たれ、愚者は淘汰される。

 セルザード家はそれを恐れ、建国以来、伯爵の地位を守り続けていた。

 ギクラスもまた、それが義務であると幼い頃から教え込まれ、忠実に守ろうとした。しかし、その行動は次々と裏目に出てしまう。



(……計画が狂い始めたのはエレアノーラに仕えたときからか、サラと結婚ときからか、ロザリンドが才能を開花させてからか……いいや、私自身の問題か)



 ギクラスがこの世に生まれた瞬間から、セルザード伯爵家は変わる運命だったのかもしれない。



(変わる運命だったのはフランレシアもか)



 女王はギクラスの視線に気づくと、自嘲気味に目を伏せた。



「王女に仕えたということで、程よくセルザード伯爵家の箔がつくことを望んだのでしょうけど、皮肉よね。まさか跡継ぎの王子たちが流行病で全員死んで、ほどほど優秀な成績しか納めていない王女だけが生き残るなんて」



 エレアノーラの昔の夢は学者だった。しかし、それは彼女も叶わないと知っていた。


 政略結婚の駒となり、フランレシアを安寧に導く。

 それがエレアノーラ王女の生まれ持った定めのはずだった。



「見る目がなかった、ということは自負している」


「あら酷いわ。確かに学問の才能はなかったけれど、国家元首としての才能は抜きんでたものがあると自負しているもの」



 ギクラスは思い切り顔を顰める。

 女王の信者たちが見れば、不敬だと騒ぎ喚いたに違いない。



「何が国家元首としての才能だ。お前は気まぐれに拾った野良猫に学び舎一つ贈るような、私情に塗れた奴だぞ。しかも自分の名を取って『エレアノーラ学院』とは……恥ずかしくないのか?」



 ファリスはエレアノーラが拾ってきた孤児だった。何者も信用しないと鋭く光る眼光と痩せ細った身体。そして何より、あの生意気な口。ギクラスは彼が大嫌いだった。


 学生のエレアノーラはファリスを弟子にすると、基礎的な学問しか教えず、それ以後は玩具のようにからかって遊んでいた。幸か不幸か、ファリスは学者の才能があり、女王になった後に自分の変わりに夢を叶えさせるため、貴賤の関係ない学び舎を建てたのだ。



「だって、ファリスの名前にしようとしたら、ギクラスが止めたのでしょう」


「未熟な女王が主導で建てた学院とはいえ、あんな野良猫の名前がつく学び舎など許されん。それに、野良猫が一番嫌がっていただろう」


「自分の名前が後世に残るなんて、最高に愉快じゃない? あたくしには、貴方たちの考えの方が理解できないわ。本当に、ギクラスとファリスは変なところで気が合うのだから」


「気が合う訳がないだろう!」



 忌々しげに叫ぶと、女王は少女のようにケラケラと屈託なく笑った。



「そうやって必死に否定するところとかそっくりよ? あーあ、昔に戻ったみたいね」


「……お前の考えることは、昔から訳が分からない」


「嘘よ、知っているでしょう?」



 今だけは自分たちが学生だったあの頃のように、ただ素直に言葉をぶつけることが許される。

 ギクラスは僅かに迷ったが、女王に長年疑問に思っていた真意を問いただすことにした。



「何故、ロザリンドを野良猫の――ファリスの元へ送った」


「ファリスとロザリンドが寂しそうで哀れだったから」



 女王は間髪入れずに答えた。

 だがギクラスはそんな薄っぺらい言葉に騙されはしない。



「それだけではないだろう」


「そうね」



 女王は小さく息を吐くと、背筋を伸ばす。彼女の瞳は哀しみと強さに揺れていた。



「自分の娘と後妻の扱いに戸惑っているギクラスと、大嫌いな貴族の娘の世話をしなくてはならないファリスをからかいたかった。巫女姫に続き、その娘まで死んだら外聞が悪かった。ファリスの貴族嫌いを治し、宮廷に召し上げたかった。優秀な少女を懐に抱えたかった。昔とは違って、ふたりには仲良くなって欲しかった。昔みたいに……あたくしの側近へと戻って欲しかった」


「……強突く張りめ」


「そんなことないわ。……一番の望みは叶わなかったもの」



 ファリスの貴族嫌いの原因を作ったのは、ギクラスだ。ふたりは犬猿の仲と言って差し支えなかった。

 それなのに女王は、ロザリンドを頼りないギクラスから引き離し、ファリスの元へと送った。とても理解できないことだ。


 そしてもっと理解できないのは、嫌いなギクラスの娘のロザリンドを、弟子として迎え入れたファリスである。



「あたくしの中ではね、ギクラスはロザリンドを通じてファリスと仲良くなる予定だったの。貴方たちの意地っ張りのせいよ」


「……そうだな、反省はしている」



 頑なでくだらない意地に囚われた自分が忌々しい。女王のように柔軟な思考ができれば、どれほど生きやすいことか。



「まあ、安心もしていたのでしょう。愛を理解できない自分よりもファリスの傍にいた方が、ロザリンドも幸せになれるって」


「……否定はしない」


「かっこつけちゃって。これだから男は見栄っ張りだと言うの。本当はファリスのことを認めているくせに」



「……そうだな。私はアイツのようになれない。嫉妬する資格もない。……私の娘を、命を賭して守ったのだから」



 戦争の折、エレアノーラ学院は一時休校となった。

 ギクラスはロザリンドを迎えにエレアノーラ学院に遣いを出したが、そこに彼女はいなかった。


 今となっては、貴族の柵を乗り越えることができない自分に、ロザリンドを守れたのかは怪しい。国が、女王が願えば、ギクラスは彼女を国家の生け贄に捧げていたかもしれない。


 ギクラスはキツく拳を握りしめた。



「これだから男は独りよがりだと言うの。愛する男には生きていてほしいと願う女心を理解できないのだから」


「アイツは、やはりロザリンドを愛していたのか?」


「愛していたでしょう。男女の愛ではないけれど、強く大きく……あたくしには真似のできない無償の愛だわ」



 女王は国のために生きる存在。故に、感情に惑わされてはいけない。

 無償の愛などもってのほかだ。


 それは果たして、人として幸せなことなのか。愛を知らないギクラスには、女王の心を推し量ることはできない。

 また、愛のために命を賭けることを厭わなかったファリスのことも。



「……さて、無駄話も終わりにしよう。そろそろ私をここに呼んだ理由が知りたい」


「あたくしの側近に戻りなさい、ギクラス」



 女王は扇子を手で叩き、叶うのは当然とした様子で願いを口にした。

 思わず跪いてしまいそうなほどの覇気に満ちている。



「エレアノーラ、今回の騒動でお前の望む結果は得られたか?」


「概は。後は、貴方が首を縦に振るのを待つだけよ」



 ギクラスは一度深く深呼吸をすると、真っ直ぐ女王の双眸を見つめる。



「それは良かった。私の答えはお前の望むものではない」


「……理由を聞いても?」


「簡単な話だ。お前はセルザード伯爵家の誇りを傷つけた」



 無理矢理ギクラスを政治の表舞台に引き摺り上げようとし、ロザリンドをランベルトとの交渉のための駒にした。おまけに、一歩間違えば襲撃によってセルザード伯爵家が潰れる可能性もあった。

 それなのに女王の手を取れるほど、ギクラスの身は軽くはない。



「みみっちい男。でもそれだけではないでしょう?」


「そうだな。私はジェイラス王太子殿下の創る国が見てみたくなった」


「あらそう」


「意外とあっさりしているんだな」



 ギクラスは目をぱちくりとさせた。



「子の成長を喜ばない親はいないわ」



 女王は一瞬嬉しそうに頬を緩めるが、すぐに執政者の鋭い表情に戻った。



「でも女王としては複雑ね。あたくしの一番の目的は叶わなかったのだから」


「……だからお前は強突く張りだと言うんだ」


「欲深くなくては、王なんて重責を背負わないわよ。言っておくけれど、あたくしはまだまだこの国を変えるつもりよ」


「……息子と対立することになっても?」


「ええ、もちろん。この国にはまだまだ可能性があるもの。もっと発展することができる。豊かで誇らしい国になれる。今がその時なのよ」


「……すべての者が変革を許容できる訳ではない」


「弱者に合わせて懐古主義に囚われ、他国の台頭を許し、国そのものを消されてもいいというの? 今や世界は刻々と進歩している。特に毒物や兵器の発展はめざましいわ。ジェイラスの考えは甘すぎる。安寧を手に入れるには、歩みを止められないの」



 まるで世界の覇者にならんと決意するような力強さに、ジェイラスは気圧される。

 しかし、それは貴族然とした笑みで封じ込め、昔のように悪戯をした女王を窘めるように言う。



「息子に嫌われるぞ、エレアノーラ」


「邪魔だと思われても、玉座に居座ってやるわ。どうしてもどかせたいというのならば、力尽くでやることね!」



 我が儘を言う子どものように女王は言った。

 ギクラスは苦笑を浮かべると、眉尻を下げる。



「……本当に、エレアノーラは何一つ変わらないな」



 この偉大なる女王は、やがてフランレシア史に……世界に大きく名を轟かせる存在となるだろう。

 しかし変革は豊かさと共に混乱を招く。

 彼女の思想について来られない者は少なからずいる。そこからこの国が破綻しないか、ギクラスは心配だった。そして戦争が起こってからの彼女は、急いているように感じる。



「エレアノーラ、お前まだ……いいや、なんでもない」



 ギクラスは言葉を呑み込むと、女王の前に古ぼけた鍵を差し出す。



「私はもう、ここへは来ない。お前の考えには賛同することができない」


「ふーん。貴方は前に進み、この場所に囚われるのは、あたくしだけということね。ギクラスなら……あたくしを放っておくことはないと思ったけれど、人は変わるものね。とっとと出て行くがいいわ」


「……そうだな。お前を変えられる者はもう、この世にはいない。革新的な女王が頑なに信じるものは幻だ」


「うるさい! あたくしにはもう、国しかないのよ!」



 女王は叫ぶと、左薬指をそっと撫でた。

 手袋で見えないそこには、鈍く光る指輪がはめられているのをジェイラスは知っている。



「……さようなら、エレアノーラ。私の最後の友人」


「ええ、さようなら、ギクラス。あたくしの新たな敵人てきびと



 ギクラスと女王の道は違えた。

 しかし、ギクラスはいつか再び道が交わることを願わずにはいられない――――



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