50話 誘拐 後編
「私はランベルト・ベルニーニ。今は絶賛皇太子と王位争いをしている、前王の弟。そして君の従兄弟だよ」
「……従兄弟?」
「そう。私の母は、ロザリンドの母であるサラ姫と異母姉妹でね。ベルニーニ神国へ送られた、巫女姫という名の貢ぎ物だよ」
そう言うと、アルド子爵――もとい、ランベルトはぽんぽんとロザリンドの頭を撫でた。
「母は死ぬ寸前まで、サラ姫のことを案じていた。しかし、彼女が流行病で亡くなったのと同時期に死んでしまったけれど」
「……そう。でも、戦争を知らずに済んだことは幸運かもしれない」
「彼女たちの子どもである私たちは敵同士だったしね。君には何度煮え湯を飲まされたことか。何年も時間をかけて開発した毒を、糸も容易く解毒してしまうのだから」
「お互い様でしょう。……死灰毒なんて開発して……どれだけの人が死んだか」
ファリスのことを思い出し、ロザリンドは強い口調でランベルトを罵ってしまう。
すると、今まで黙っていたシリウスがぎゅっとロザリンドの腰にしがみついた。
「……姉上は、まさか戦争に……?」
はっとしたロザリンドは、泣きそうなシリウスを抱きしめた。
「……戦争は奪い合い。フランレシアもベルニーニも卑劣なことはしてきたはず。でも、戦争は終わった。お互い傷ついた。憎しみだって忘れられない。だけど……でもだからこそ今度は、いがみ合う以外の道を模索するべき」
「では、君はベルニーニの王族を憎まないと?」
「それが未来を作る一歩となるのならば」
「……聖女様だね」
「違う、わたしはウィリアム様の妻だから。失ってしまった人たちの頑張りを無視ししたりしない」
自信満々にロザリンドが言うと、ランベルトはけらけらと笑い出す。
「ぷふっ、君は今幸せなんだね。あーあ、君が不幸だったのなら、ついでに攫っていこうと思ったのにね」
「どうして?」
「君も私と同じように苦しんでいると思っていたから、従兄弟のよしみでね。隣国にまで悪評の広まる狼侯爵の妻になったと聞いて、私は腸が煮えくりかえる思いだったよ」
「攫う必要なんてない。わたしは幸せだもの」
「……そうだね。彼は見かけによらず、真っ直ぐな男のようだ。まあ、成人した男なんて美しくないけれど」
「ウィリアム様の心は、誰よりも綺麗だよ? とっても純情なの」
ロザリンドは真面目な顔で言った。
「……姉上、それは絶対に勘違いだ。あれはただの拗らせた変態だぜ」
ぼそりとシリウスが呟いたが、幸いなことにロザリンドの耳には届かなかった。
「ねえ、えっと……」
「兄様でいいよ。ぜひ、シリウスと共にそう呼んでくれ! 美しい美少女と少年にそう呼ばれたら、嬉しくて昇天してしまいそうだよ!」
「うん、昇天するのは健康に良くないね。ランベルトって呼ぶ」
ランベルトは顔を両手で押さえると、ぷるぷると震えだした。
「呼び捨てもなかなか興奮するね……よし、良きに払え! 好きに呼んでくれたまえ!」
「……気持ち悪いぜ」
シリウスがげんなりしていると、部下の男がなだめるように肩を叩いた。
「すまない、ランベルト殿下は美しい女性と少年がちょっと好きすぎるだけの……まあ、ありふれた王族なんだ」
「苦しすぎる言い訳だな!?」
「ちょっと美形贔屓で、迷惑するところも多々あるが……いい人なんだ、たぶん。たまにイラッとするが……」
「……なんか、ごめんな。あんたも苦労しているんだな」
「分かってくれたのならいい」
シリウスと男の間に、小さな友情が生まれた瞬間だった。
「ランベルト、貴方はシャーリーとルカのことを知っているの?」
「それはこちらの台詞だよ! ロザリンド、ふたりのことを知っているのか?」
「わたしの質問に答えるのが先」
「……シャーリーは私の愛する女性。そしてルカは彼女との愛の結晶だよ」
「ええっ!? ルカはウィリアム様の隠し子じゃなかったの!?」
「それはいったい、どういう状況なんだい!?」
ロザリンドとランベルトは同時に驚愕を露わにした。
「……まあ、確かに鋭い目元はルカに似ているかな……」
ロザリンドはじっとランベルトを観察した。
「……ふむふむ。エレアノーラ女王には、密約締結後に保護しているふたりの居場所を教えると言っていたんだが」
下手なことは言わない方が良いと思ったロザリンドは、そのまま押し黙った。
(……シャーリーは親交のあったウィリアム様に助けを求めたんだ。そして女王陛下はそれを利用している……?)
ウィリアムがロザリンドに真実を話せないといったのも頷ける。
政治的な駆け引きが生じている現状で真実を知れば、ロザリンドも巻き込まれるからだ。
(……でも、わたしは女王陛下に利用されているかもしれないね)
ロザリンドは思考を振り払うように首を横に振った。
「……私はね、ベルニーニ神国の新しい王として立つために動いている。今回のフランレシア訪問は愛しいシャーリーとルカを探すのが第一だけれど、この国と良き関係を結ぶこともまた目的の一つなんだ」
「……シャーリーとルカは誰に狙われているの?」
「十中八九、皇太子派だろうね。もう私が王となるのは決定的であるというのに、まだ暗殺なんて手段を
使って過激に攻めてくる。先が見通せないから、足の引っ張り合いをやめられない。フランレシアは着々と復興しているというのに、ベルニーニは貧困に喘いでいる。馬鹿だとは思わないかい?」
ランベルトは呆れも隠さずに言った。
「皇太子なのに王位を継げないの?」
「先の戦争で皇太子は狼侯爵に捕まり、捕虜となった。そして馬鹿を取り戻すために、ベルニーニは多額の賠償金を払った。その失敗から歪みが生まれて、今では民にまで恨まれているんだよ」
「……そう」
「皇太子は反フランレシアの思想が強いし、狼侯爵を逆恨みしている。君たちも気をつけるんだよ」
「それ、俺たちを攫った犯人たちの親玉が言うことじゃないと思う」
「あはは! それもそうだね。というか、私も部下に無理矢理攫われたんだけどね!」
ランベルトは軽快に笑う。
ロザリンドは腕を組んでうーんと唸った。
「わたしたち、セルザード伯爵家に戻ってもいい?」
「確かに、俺と姉上は間違えて攫われてきたしな」
「……このまま君たちを送り届けて、私は許してもらえると思う?」
「「思わない」」
「だよねー」
ランベルトは「……これもあの女狐の筋書きかな? くっ、美女だから油断した!」と言うと、深く溜息を吐いた。
「早く帰らないと。終わり間際だったから、父様がなんとかしてくれたと思うけど……シリウスの誕生パーティーがどうなったのか確かめたいし」
「そうだよ、誕生パーティー! 早く戻らないと!」
「まあ、早く戻してあげるのが一番だね。早速、馬車の手配を――――」
「それは少し待っていただきたいのですが」
聞き慣れない声がしたかと思うと、天井裏から黒い影が降り立った。
「誰だ!」
部下の男が影に襲いかかるが、軽くいなされて床に叩きつけられる。
影の正体は人だった。
少年とも見える十代の少女で、彼女の瞳は無機質な印象を受け、表情が読めない。
「……いつも見ていましたが、こうして挨拶をするのは初めてですね。私はセレス。軍人でヴァレンタイン卿の部下です」
「ウィリアム様の部下……?」
「ええ。卿が奥方に無様な姿を見せて学院から撤退した後、ずっと監視役を努めておりました」
「そうなんだ。ありがとう、セレス」
「いいえ、仕事ですから」
セレスは淡々と答えた。
しかし、シリウスはロザリンドのドレスの裾を引っ張って声を荒げる。
「いや、姉上。監視とか言っていたよ!? それに誘拐される時に助けてくれなかったじゃないか」
「別に奥方の私生活を疑っていた訳ではありません。奥方に寄ってくる、学院関係者、セルザード伯爵家の面々、そして……アルド子爵の動向を監視していただけ。それ以外の仕事は受け持っていません」
「……狼侯爵は女王から命令を受けていたのかい?」
「いいえ。卿の主はジェイラス殿下ですから」
「へえ、それは都合が良いね」
ランベルトはにんまりと口角を上げた。
「貴殿の悪巧みの都合など知りませんが、こちらの都合は考慮して欲しいです」
「……都合って?」
「先ほど、セルザード伯爵家の辺りから襲撃を知らせる信号弾が上がりました。ですので、奥方とセルザードのご子息は安全な場所への避難をお願いいたします」
セレスは僅かに眉根を寄せると、扉を指さした。
「ウィリアム様と父様……それに使用人たちは無事なの!?」
「あちらの状況は不明。ただ、信号弾の色から深刻であることは察せられます」
「すぐに助けにいかないと……!」
ロザリンドの心に焦りが生まれる。
もう誰も、大切なひとを失いたくない。
「戦闘能力のない奥方が行っても、足手纏いになるだけかと愚考いたします」
セレスはロザリンドを撥ね付けるように言った。
しかし、ロザリンドも諦めない。ランベルトに掴みかかると、強い意志の宿った琥珀の双眸で彼を見上げる。
「ランベルト! お願い、ウィリアム様を助けるために力を貸して!」
「うーん、どうしようかなー」
「どうせ、他にも部下がいるんでしょう! たった一人で三人を誘拐するなんて不可能。その人たちを……どうかウィリアム様たちを助けるために貸して……」
ロザリンドは涙声でお願いをすると、床に蹲った。
セレスはロザリンドの肩に上着をかけると、ランベルトを睨み上げる。
「そんな悠長なことを言っていていいのですか? 奥方は狼侯爵が愛してやまない黄金の聖女。とても良い援護者となるでしょう」
「セレスはちょっと意地悪だね。もっと表情豊かになれば美しいのに」
「意地悪は貴殿だと思いますが。私の意図などお見通しでしょうに」
「……そうだねぇ、襲撃は皇太子派の仕業だろう。しかも、残り少ない手練れを連れての捨て身の計画と見える。ねえ、隠密を解いて行動するほど焦っているようだけど、君は何を隠しているの? ロザリンドに援護者となって欲しいのはセレスの方だろう?」
「なんのことでしょうか……とは言えない状況ですね」
セレスは一度目を伏せると、ギュッと服の裾を握る。
「……どうやら、ジェイラス王太子殿下も襲撃に巻き込まれているようです」
その瞬間、部屋の空気が凍った。
いち早くその状況から立ち直ったシリウスは、勢いよくロザリンドに掴みかかった。
「王太子殿下がなんで俺の誕生パーティーに来ているんだよ!?」
「あ、わたしが招待状を送ったから……」
「伯爵令息如きに何してくれてんだよ、姉上ぇぇええ! 身の程を弁えさせろぉぉおお!」
「シ、シリウスに招待客一覧の書類を渡して、きちんと確認を取ったでしょう!? わたしの独断じゃない。よく確認しなかったシリウスも悪い」
「そ、そうだけど……それでも、王太子殿下はねーよ!」
ランベルトはふたりの姉弟喧嘩を横目に、額に手を当てて深い溜息を吐く。
部下の男は必死に現実逃避をしようと遠くを見つめた。
「なんで、よりにもよってフランレシアの後継が……。馬鹿だろう、また戦争をしたいのか皇太子は……!」
「まあ、一番の狙いは殿下とシャーリー妃殿下、そしてルカ王子でしょうけど……」
「……奴らが、偶然居合わせたジェイラス殿を見逃してくれると思うかい?」
「……あいつら馬鹿ですからね。今までの行いからして、鴨が葱を背負って来たぐらいにしか思っていない可能性も……」
「彼に何かあったら、ベルニーニとフランレシアの国交など夢のまた夢だ。このままこの国で反ベルニーニの思想が深くなれば、復興の兆しすら見えていない我が国は、滅びの道を歩むだろう。そしてその責任はすべて……私のものになるんだろうね、王にはなるのは私だから……」
「お労しや、ランベルト殿下……」
部下の男は涙ながらに呟いた。
ロザリンドは悲壮感をあらわにする面々を見て、不思議そうに首を傾げた。
「何を嘆くことがあるの?」
「どうして姉上はそんなに冷静なんだよ!」
シリウスは堪らず叫ぶ。
ロザリンドはそんな彼を咎めることもなく、慈愛の満ちた微笑みを浮かべた。
「ジェイラス殿下がいるのなら、オーレリア様も一緒でしょう? ジェイラス殿下はどんな状況でも冷静で、王族として的確な判断を下せる、覚悟ある人。オーレリア様は知略、謀略を巡らせ、望む結果を生み出す、高潔な人。彼らがウィリアム様の傍にいるのなら、これほど心強いことはない」
半年前の暗殺事件でジェイラスは、愛するオーレリアが死灰毒に倒れても王太子としての覚悟を示し、最後までそれに従って行動した。
そしてオーレリアは病み上がりの身体で、クリスティーナに誘拐されたロザリンドを救出する計画を立て、見事ウィリアムを導いてくれた。
そんな彼らをロザリンドは尊敬し、信頼しているのだ。
だから、自信を持って言える。
「ジェイラス殿下とオーレリア様なら、最良の結果を得るために行動してくれる。そして、大切な人を守るウィリアム様は誰よりも強いよ。だから、わたしたちの助けに行くまで絶対に持ちこたえてくれる」
「私が手を貸すのは決定事項なんだね?」
「貸してくれないの? ここは信号弾が見えるほどの近場で、援軍よりもずっと早く助けにいける。わたしたちが動かなくて、誰が動くの? 誘拐犯の頭の従兄弟さん」
「……美しい従兄弟殿のお願いは聞かないといけないね」
そう言うと、ランベルトは真剣な空気を纏った。
ロザリンドはそんな彼に呑まれないように、凜然たる態度で挑む。
「対価は?」
「そうだねぇ、シャーリーとルカの居場所を教えて欲しいな」
「分かった」
元より、ロザリンドは愛する人を引き裂くような趣味はない。
それに、裏でどんな政治的な駆け引きが行われているかは分からないが、王太子の命を助けるためならば、シャーリーたちを再会させることぐらい許されるだろう。
「できれば、ジェイラス殿下に私は普通の王族だと口利きをして欲しい。あと、ロザリンドの薬も輸入したいな。君の力があれば、多くの民を救うこともできる。平和の架け橋にだってなれるだろう。なんと言っても、君は黄金の聖女なんだから」
「強欲だね」
「男は皆欲望に満ちているよ? 知っているだろう?」
「ウィリアム様はそんなことないけど……?」
「……鈍感って、ある意味幸せだね。彼の君への執着はすごいよ。狼侯爵の名は伊達じゃない」
クスクスと堪えきれずにランベルトは笑う。
「さて、無駄話は終わりにしよう。ベルニーニとフランレシアのより良き未来のため、行動しようか。とは言っても、私が今動かせる人は少ないよ」
「加えて、陛下の戦闘能力は普通の軍人より低いですね」
「余計なことは言うな! 私は知略で戦う性質なんだ」
部下の男をランベルトが小突く。
そして軽く咳払いをすると、ランベルトはセレスへと視線を移す。
「……ジェイラス殿はどのぐらいの護衛を連れている?」
「貴人の護衛に必要な人数は揃えているはずです」
「それでも危険を知らせるということは、うちの馬鹿共はその倍はいるということかな。まったく、よくも目立たずこの国で行動できたものだ」
「一介の軍人如きには分かりかねます。……ですが、フランレシアもまた一枚岩ではありませんから」
「そうみたいだね。奇襲をかけるにも、どうしたものか」
セレスとランベルトは苦悶の表情を浮かべた。
「それなら、わたしも連れて行けば良い」
「いけません、奥方!」
「セレス、どうしてなの?」
「卿は奥方に、争いからは遠いところにいて欲しいと願っているからです。だから、私を監視役にしたのです」
「わたしも行く。囮にはもってこいでしょう? それに、わたしはただ弱いだけの小娘じゃない」
「俺も行く!」
「シリウス、貴方は安全なところに……」
「剣術の稽古だってしている! 姉上より戦力になるはずだ……!」
シリウスは絶対に離れまいとロザリンドの腰に巻き付いた。
「シリウス、ロザリンドをしっかり守るんだよ」
「当たり前だ! 家族なんだから」
「……愚かで……だけど美しいね」
ランベルトは苦笑すると、ぐしゃぐしゃとシリウスの頭を撫でる。
「……ねえ、ロザリンド。君は愛する人のためになら、その身を、名誉を汚してもかまわないかい?」
ロザリンドは注意深くランベルトの言動の意味を考えた。
(わたしの覚悟を問うているの……?)
命を差し出せというのだろうか。
心に思い起こされるのは、ファリスの死。そして約束。
あの日、感じた痛みを……愛情の喪失をロザリンドは忘れられない。
「愛する人を失わせないためならば、悪魔にだって喜んでこの身を捧げる。そんなことは……もうずっと前に誓った」
自分よりも強欲な人間などいないだろう。
何故なら神の作り出した人の理を壊してしまうような、すべての病を治す『死の霊薬』を作ることに夢を捧げているのだから。
「それに、狼侯爵の妻が汚れを恐れると思うの?」
「確かに。いやはや、愛することを知っている女性は強く美しいね」
ランベルトは眩しそうに目を細めると、奇襲作戦の計画を話し始めた。




