44話 セルザード伯爵
本日6話目
パーティーの準備も大詰めになった頃、ロザリンドはギクラスに呼び止められた。
「ロザリンド、話がある。書斎に来なさい」
「はい」
この家で、ギクラスの言うことは絶対だ。
それを知っているロザリンドは特に反論することなく、彼の後ろをしずしずとついて行く
「……話、とは?」
書斎に入り、ふたりきりになるとロザリンドはすぐさま核心を突く。
「お前の夫である・ウィリアム・ヴァレンタイン侯爵が、明後日のパーティーに出席されることが急遽決まった」
ロザリンドは目を瞬かせた後、すぐにギクラスへ詰め寄った。
「わたし、聞いていない……!」
「急遽と言っただろう。相手は誉れ高い狼侯爵だ。受諾するほかない。それにヴァレンタイン侯爵はお前の夫で、私の義理の息子だ」
「……そういうことは気にしないのかと思っていました」
「体裁というものは、意外と馬鹿にできないものだ。覚えておくといい」
「はい」
娘の婚姻を勝手に決め、結婚式を開かずとも何も言わない彼が、ウィリアムを敬うことにロザリンドは驚いた。
昔とは違い、ギクラスはロザリンドの目を見て離してくれている。
もしかすると、彼なりにロザリンドと向き合おうとしてくれているのかもしれない。
「……一つ、聞いてもいいでしょうか?」
「なんだ」
今なら、ギクラスからアルド子爵との血の繋がりの話を聞けるかもしれない。
ロザリンドはぐっと拳を握り、小さく息を吸う。
「その…………いいえ、なんでもありません」
言えなかった。ロザリンドは怖かったのだ。
自分とアルド子爵の血の繋がりがあるとするならば、セルザード伯爵家ではなく、母親の方の血だろう。
しかし、それをロザリンドは口にすることができなかった。
(……やっぱり、今も昔も母様のことは鬼門なんだね)
幼い頃から、ロザリンドが母のことをギクラスに聞こうとするたび、彼は物凄く不機嫌になった。
今だって、ウィリアム並に眉間の皺を深くさせ、威嚇するようにこちらを見据えている。こんな雰囲気で真っ正面から聞けるほど、ロザリンドは馬鹿ではない。
「……そうか。では私から一つ。お前に報告することがある」
「なんでしょう?」
「お前のシリウスの誕生パーティーで着るドレスのことだ」
予想外のことにロザリンドの心臓は跳ね上がる。
「ド、ドレスなら、部屋のクローゼットにたくさん……」
自室の衣装クローゼットを開けたとき、ロザリンドは驚いた。
何故なら、何十着もの多種多様のドレスが仕舞われていたのだから。どんな令嬢でも、あのドレスの山を見れば、お気に入りの一着が見つかるに違いない。
(もっと別なところにお金をかければいいのにね。貴族の価値観は無駄が多すぎる)
ロザリンドは自分も侯爵夫人という立場なのを棚に上げてぼやいた。
「あれは既製品で普段使いのものだろう。セルザード伯爵家嫡男の誕生パーティーに泥を塗る気か?」
「申し訳ありません」
頭を下げながらも、ロザリンドは焦っていた。
(既製品、大いに結構! ドレスなんて、凝ったところで他人には分からないんだから!)
思い起こされるのは、お針子たちによる採寸や仮縫い、衣装合わせだ。それらに丸一日以上かかることを、ロザリンドはヴァレンタイン侯爵家に嫁入りしてから初めて知った。
あれこそが時間の浪費、人生の損失だ。
そんな時間があるならば、研究していた方が数万倍も有意義である。
「ヴァレンタイン侯爵家には仕立て途中のドレスがあると聞いた。それを本日中に仕上げることになった。無論、セルザード伯爵家から金は出すかたちだ」
「それなら、わたしが払います……!」
自分がお金を出すならば少しは融通が利くとロザリンドは思った。それに、学生時代はすべて自分のお金で生活していた。
しかし、ギクラスが眉を釣り上げたことで失言だったことに気づく。
「私の顔に泥を塗るつもりか? 娘のドレスの一つや二つ買うぐらい造作もない」
「はい」
有無を言わせないギクラスの言葉に、ロザリンドは早々に折れた。
「不満か?」
「不満というよりも疑問です。エレアノーラ学院に在学していたときは、一切援助などしなかったではありませんか」
「学費が払いたくなければ、私に言えば良かっただろう。何故、助けを求めない」
助けを求めるしたって、ロザリンドの元へギクラスは一度も手紙を書かなかった。
戦争が始まった時でさえ、彼はロザリンドを案じることはなかったのだ。
それなのに、今更助けを求めなかったと言われても困る。
ロザリンドは少しだけ反抗心のある瞳でギクラスを見た。
「そもそもお金に困っていなかったので。最初の頃はファリスが面倒を見てくれたし、薬を作り始めてからは、たくさんお金がもらえるようになったし……」
「……ファリス、か」
ギクラスは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、すぐに取り繕ったように無表情になる。
(父様はファリスのことを知っているの……?)
ロザリンドはそのことに違和感を持ったが、追求する前にギクラスが口を開いた。
「何にせよ、お前に送るはずだった金は残してある。自由に使いなさい」
「……はい」
「……研究が好きなのだろう? 金はあっても困らないはずだ」
渋々納得したロザリンドだが、研究という単語が出た瞬間、ぱぁーっと花開くような笑みを浮かべる。
「ありがとうございます!」
「礼はいらない。これは義務だ」
「はい!」
「……血は争えないということか」
ギクラスは眼をぱちくりとさせると、ロザリンドにも聞こえない声で呟いた。
「今、なんと言ったのですか?」
「お前が気にすることではない。それと、ヴァレンタイン侯爵家から一人、侍女が来ることになった。昼前には着くだろう」
「……侍女」
エレアノーラ学院であれだけウィリアムに対して暴言を吐いたのに、彼はロザリンドのことを気にしてくれているらしい。
(……本当に、憎らしいほどウィリアム様は優しい)
彼の優しさは底なしだ。黄金の聖女なんて称号を戴いたロザリンドよりも慈悲深い。
だが、優しさは時に罪となる。
ウィリアムはロザリンドだけを選んではくれない。
彼には大切な物がたくさんあって、優しいからこそシャーリーとルカを切り捨てられない。
客観的に見て、ロザリンドがウィリアムから離れていくのが最善だ。
(……物理的な距離が開けば、落ち着いてものが見られると言われたけれど、それも一長一短だね)
ロザリンドは優しいウィリアムが好きだ。
みっともないほど縋り付いて甘えたくなるほどに、心底彼に惚れていた。
「浮かない顔だな。ヴァレンタイン侯爵からの厚意だというのに」
「……今は喧嘩中なので」
「喧嘩するほど仲が良いというではないか。……私には縁のなかった話だ」
ギクラスは淡々とそう言うと、窓越しに空を見上げた。
#
ヴァレンタイン侯爵家の侍女は予定よりも数刻早く到着した。
見慣れた紺色の侍女服を着た彼女は、ロザリンドが一番信頼する侍女、シンシアだ。
彼女はロザリンドを見た瞬間、顔を青くさせながら詰め寄る。
「奥様! 体調は大丈夫ですか? 研究に明け暮れて栄養が不足していませんか? 睡眠は? きちんとお肌のお手入れをしておりましたか!?」
「……シンシア、落ち着いて……」
「はっ、申し訳ありません。ですが、とても心配していたのです」
シンシアは安堵の息を吐くと、朗らかな笑みを見せる。
よく見れば、彼女の目の下には薄らと隈が見える。それを見れば、彼女が本気でロザリンドを心配していたことが分かった。
「ごめんなさい」
「次に別居するときは、私も連れていってくださいね?」
「うん、分かった」
「姉上? ああ、ヴァレンタイン侯爵家の侍女か」
シリウスはロザリンドに用があったようで、シンシアを見て一瞬目を見張った。
「シンシアと申します。坊ちゃん」
スカートの裾を持ち上げ、可愛らしくシンシアはお辞儀をする。
「ぼ、僕は坊ちゃんじゃない……!」
シリウスがそう叫ぶと、シンシアはスッと目を細くさせた。
「……な、なんだよ……」
彼女のその眼力はまさに狩人。
シリウスは本能的な怯えからたじろいだ。
シンシアはそんな彼を見て、じゅるりと涎を垂らす。
「むふっ……うふふっ! 侍女になって苦節六年と三ヶ月と十七日。やっと生きのいい……じゃなくて、料理しがいのある……でもなくて……そう、生まれたての子羊のように瑞々しい少年を着飾ることができる……!」
「生きのいい子羊を料理するってことじゃねーか!」
「ちょっと待って。シリウスにはセルザード伯爵家の使用人たちがいるから……着せ替え人形にするのは……」
「ならば懐柔するまでです! 私の神の手が織りなす侍女技術を対価に出せば、交渉など容易いことですわ。むふ、ふふふっ」
「うん、清々しいほどわたしのを聞いていないね」
シンシアはだらしなく鼻の下を伸ばしながら両手をワキワキと蠢かせ、興奮で鼻息を荒くさせる。
ロザリンドからすれば、シンシアの手は神ではなく悪魔の代物だった。
美容のためにと怪しげなオイルを塗りたくられ、雑巾を絞るようにありとあらゆる身体の部位を捻り揉み込まれ、何度あの手で捕獲されて着せ替え人形とされたことか。
暴走した侍女の前では、貴族夫人など形無しなのだ。
「……シリウス、諦めて」
「助けろよっ! 姉上の侍女だろう!?」
「ふっ、女は一度火がついたら燃え尽きるまで止まらないものなんだよ。そして侍女は三度の飯よりも人形遊びが好きなの」
ロザリンドは達観した目で、そっとシリウスの肩を叩いた。
「……研究に狂っている姉上と同じ状態ってことか!?」
「むう……なんか失礼。わたしは我を忘れたりしない」
「さあ、さあ! 時間は有限です。おふたりとも、私が綺麗に可愛くしてあげますからねー」
シンシアは無自覚に、死んだ魚のような眼をするロザリンドとシリウスを引き摺っていくのだった。




