43話 十年越しの里帰り
本日5話目
ヴァレンタイン侯爵家に規模は劣るが、それなりに歴史を感じさせる石造りの屋敷。
それがセルザード伯爵家だった。
「……久しぶりに来たけど、案外変わっていないね」
屋敷だけではない、門や庭園にいたるまで、ロザリンドが住んでいた十年前と変わらないつくりを維持していた。
それを嬉しく思うべきなのか、悲しく思うべきなのか、ロザリンドには分からない。
「姉上、本当に大丈夫……?」
「女に二言はない」
「お、男らしいな」
シリウスは引きつった笑みを浮かべると、使用人たちに荷物を預ける。
使用人たちは人形のように無表情で、淡々と職務をこなしていく。彼らの瞳にはロザリンドはおろか、嫡男であるシリウスも映っているようには見えない。
「……継母様と父様は?」
「……ふたりとも本邸にはいないよ。父上は仕事で領地と王都を飛び回っているし、母上は堅苦しい本邸を嫌って離れで遊び暮らしている」
「父様はともかく、継母様は変わったんだね」
ロザリンドが幼い頃、不在が多い父親に代わって、継母は本邸で女王のように君臨していた。
しかしそれも時と共に飽きたということだろうか。
今の継母の関心は別の所にあるらしい。
「とりあえず姉上の部屋に行こう!」
シリウスはロザリンドの腕を掴むと、強引に屋敷の中へと引いていく。
エントランスの階段を上り、通路の奥へと進んでいく。
そして、懐かしい扉をシリウスが開け放った。
「……驚いた。まだ、わたしの部屋が残されていたんだね」
ロザリンドはぐるりと部屋を眺めると、本棚へと歩を進める。
本棚にはたくさんの本が並べてあり、どれもロザリンドが幼い頃に心の拠り所としていたものだ。
「小さい頃、よく姉上の部屋に行っていたんだ。姉上がどんな人か知りたくて、本棚を勝手に漁ってた。でも学術書ばかりでつまらなくて、でも、こんな難しい本を好んでいた姉上に負けたくなくて全部読んだ」
「学術書を読んでいたのは、それしかこの家の図書室になかったから。今では、恋愛小説を読むこともある」
「ええ、姉上がそんな低俗なものを!?」
シリウスは驚きで目を見開いた。
ロザリンドは人生の先輩として、大仰に頷いてみせる。
「シリウス、恋愛小説を笑う者は恋愛小説に泣く。教訓や人生における対処法を知ることができる、とても有用な書物だよ」
「……そんなこと考えるのは、姉上だけだよ……」
シリウスは深く溜息を吐くと、豪奢なベッドを指さした。
「まあ、今日のところは疲れているだろうし、ゆっくり休んでよ。明日からは準備で忙しいから……」
「気にすることないよ、家族なんだから」
そう言いながら、自分の口から家族という単語が当たり前にでることを、ロザリンドはふわふわと夢見心地になりながらも驚いた。
「家族……そっか家族だもんな!」
シリウスは心底嬉しそうに顔を綻ばせたが、それをロザリンドに見られたことを恥ずかしく思ったのか、すぐさま部屋から出て行ってしまう。
「弟って、こんなに可愛い存在なんだね」
ロザリンドは疲れた身体を休息させるため、ベッドに横たわった。
スプリングが軋み、容易く衝撃を受け止める。サラサラとした手触りのシーツからはお日様の香りがした。
「……温かい部屋」
この部屋に入ったときから、ロザリンドは違和感を覚えていた。
内装は以前の子どもらしいものから、令嬢らしい気品と美しさを重視したものに変わっていた。
それなのに家具や数少ない雑貨の位置は変わらず、部屋は清掃が行き届き、いつでも人が住むことができる状態にしてあった。
「……勘違いしたくなる」
これではまるで、ロザリンドがいつ帰ってきてもいいようにしているようではないか。
自分は継母と父親に疎まれ、結婚をしてセルザード伯爵家から抜けた存在だ。それなのに……。
「疲れた。もう、何も考えたくない」
ロザリンドは疑問に思ったことは、気が済むまで調べ尽くし結論を導き出したがる性格だ。
しかし、今だけは疲労を言い訳にして、考えることを放棄する。
そんなロザリンドの心と同調するかのように、身体は休息を求め、従順に夢の世界へと旅立っていく。
#
翌日。ロザリンドはさっそく、パーティーの準備に明け暮れていた。
「テーブルの搬入は午前中までに終わらせて。予定している飾り付けも却下。華美なのはいけないけれど、地味すぎるのもダメ。セルザード領は薔薇の産地だから、それを活かしたものにする。いくつか薔薇を持ってきて。品種ごとに検分するから。あと、招待客一覧の資料を持ってきて」
本来ならば、女主人である継母の役目。だが、聞けばセルザード伯爵家で行われる催しは仕切るものはなく、使用人たちが準備していたという。
それでは形式を整えただけで、真に心のこもった催しにはならない。
(せめて、わたしができることをしないと)
ロザリンドは研究にばかりのめり込み、セルザード伯爵家と向き合うことをしてこなかった。
それは自分の心を守ることと同時に、シリウスを傷つける行為だったのだ。
ロザリンドは既にヴァレンタイン侯爵家へ嫁いでいる。だが、せめて今回のパーティーだけは、できる限りシリウスに協力をしてあげたかった。
「姉さん、パーティーの運営とか慣れているの?」
シリウスは意外だとばかりに目をぱちくりとさせた。
「いや、初めてだけど? ヴァレンタイン侯爵家に嫁いでから、貴族夫人の知識も学んでいる。今はそれを活かしているだけ。それにわたしなんて、まだまだ」
オルトンの地獄の夫人教育でロザリンドはまだ満点をもらったことはない。
世の貴族夫人に比べれば、ロザリンドのやっていることは当たり前の段階から脱却していないと思うのだ。
(……何か、変わった趣向を凝らさないと)
ロザリンドは必死に思考を巡らせていると、シリウスがロザリンドのドレスの端を摘まんだ。
「そんなことない。いつもの形式的なものと違うから」
「絶対、いいものにしてみせる。わたしは天才だから」
ロザリンドは彼の寂しさと昔の自分を重ね合わせ、気がつくとシリウスを抱きしめていた。
「……お嬢様」
遠慮がちに使用人から声をかけられ、ロザリンドは振り向いた。
「資料を持って来たの?」
しかし、そこにいたのは使用人だけではなかった。
「久しいな、ロザリンド」
聞き覚えのある、低く硬質な声音がロザリンドの身体の動きを縛った。
ロザリンドを見下ろす男の瞳は琥珀色に輝いているが、氷のように冷たく怜悧な印象を受ける。
彼はギクラス・セルザード伯爵。ロザリンドとシリウスの父だ。
(……纏う雰囲気は変わらないね)
記憶よりも幾分か老けたが、弱々しさは一切感じない。
幼い頃から変わらない覇気を纏い、彼はロザリンドを威圧する。
「……父様、お久しぶりです。デビュタントの時以来でしょうか?」
「ああ、四年ぶりだ」
何年も会っていなかった親子なのに、なんて他人行儀な会話だろうか。
しかし、ロザリンドにとってはこれが当たり前で、一番しっくりくるものだった。
「やあ! 私もいるのを忘れては困るよ」
「……アルド子爵」
ギクラスの背から、ひょっこりとアルド子爵は姿を見せた。
その顔は微笑を浮かべていたが、目はいやらしく三日月を描いていて、ロザリンドは薄気味悪いものを感じた。
「まさか、お前とシリウスを並んで見る日が来るとはな。それにこの屋敷で女主人の替わりに采配を振るうとは」
「ご迷惑でしたか?」
ギクラスは眉間に皺を寄せると、アルド子爵を後ろに下がらせた。
「いいや。アレは使い物にならんし、私の仕事が減るのならば有益なことだ」
アレとは、おそらく継母のことだろうとロザリンドは解釈する。
ギクラスは家族をセルザード伯爵家のための道具だと思っているに違いない。
「伝統あるセルザード伯爵家らしく華やかに、そして伯爵家の身分を弁えたパーティーにするように」
「ふふっ、ギクラス殿が嬉しそうだ」
見当違いのからかいをするアルド子爵を置いて、ギクラスは早々に自室へと向かってしまう。
ロザリンドの後ろに隠れていたシリウスは、ホッと小さく息を吐いて緊張を解くと、アルド子爵を睨み付ける。
「……お前の目は節穴か……?」
「私は野生動物並の感を有していると思うけど?」
「絶対に嘘だ!」
「そんなことはないさ。そうでなければ、今頃私はこの世界に存在していないからねぇ」
そう言うと、アルド子爵はぐしゃぐしゃとシリウスの頭をかき回した。
「おい、やめろ……!」
「シリウスは小さいよね。本当に明日、十一歳になるのかい?」
「余計なお世話だ!」
確かに、シリウスの身長は同年代に比べると小さい方だ。
「まあ、いざとなればロザリンドが背を伸ばす薬を開発してくれるよ」
シリウスは期待の眼差しでロザリンドを見上げる。
どうやら、相当身長のことを気にしていたようだ。
「世の中には、できることとできないことがある」
「少しは夢を見させろよ!」
シリウスは叫ぶと、怒ったままどこかへ行ってしまう。
「ふふっ、男の子だね」
ロザリンドは嫌われていようとも、シリウスが可愛くてしかたない。
ウィリアムとの間にできた亀裂を埋めることはできないが、それでもシリウスとの交流は確かにロザリンドの心にむず痒い温もりを与えた。
欠けたピースを嵌めこむように……憧れや後悔に渦巻いた過去をやり直している気さえしてくる。
「もう少し、頑張ろう。研究は我慢、我慢」
今だけは、自分もセルザード伯爵家の一員なのだと胸を張れる気がする。
ロザリンドは決意を新たに、パーティーの準備を進めるのであった。




